国葬反対! 戦争反対!

 昨夕は第二土曜日で定例の梅田解放区であった.
 十数人が集まり声をあげる.発言した人はみな,10年近くのあいだにこれだけ格差を拡大し,最低賃金の国際的な順位を大きく落としてきたアベ政治を振り返る.実際,アベが政権の座にあった時代こそ,日本が大きく没落をはじめたときなのだ.
 だから,国葬などまったくとんでもないと,道ゆく人らに呼びかける.アベの国葬に利害が一致するものと,相反するものと,この日本は大きく二つに割れている. 
 そしてさらに言えば,アベの国葬に反対することこそが,戦争に反対することなのだ.

 アベ政治の果ての安倍暗殺によって,戦後の日本の政治の闇が白日の下にさらされた.統一教会自民党の癒着など,そうだったのかという声が大きくなりつつある.
 この声が,どこまで近代日本の政治を動かし,これを変えてゆくのか,それは今はまだ分からない.
 私自身は,近代日本を問うための基礎作業を青空学園で積みあげてきた.

 そのうえで,実際にこの政治を変えてゆくのは一人一人の行動だ.自分自身が出来る行動はしよう,その思いをもって梅田解放区に参加している.もう四年以上欠かさずに参加してきた.

 さて,『分水嶺にある近代日本』で,次のように書いた.

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 かつて造船疑獄があった。戦後日本の計画造船における利子軽減のための「外航船建造利子補給法」制定をめぐる贈収賄事件である。一九五四年一月に強制捜査が開始された。吉田茂法務大臣に対し指揮権発動を命じ、検察の捜査を止めさせようとした。これが大きく報道される。結局、政界・財界・官僚の被疑者多数が逮捕され、吉田茂内閣が倒れる発端となった。ここにはそれでも近代国家の基本原理である法治主義が働いていた。
 それに比して、安倍首相の収賄は首相そのものの犯罪であり、はるかに悪質で規模も大きい。また、公文書を偽造し、国家の基本的な統計も改ざん操作してきた安倍政府とその官僚の悪事は、造船疑獄の比ではない。しかし捜査すらなされない。
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 そしてその安倍は暗殺された.安倍と統一教会の事実としての密接な繋がりのゆえに,統一教会への怒りを安倍に向けたのだ.
 その安倍を国葬にすることが閣議で決定された.司法によって裁かれねばならなかった人間を国葬にするというのである.
 日本政府がいかに人民から乖離し,新自由主義資本主義とアメリカに隷属しているかをふたたび明確にした.
  これからの日本の没落の意味とそこからの途について,考えてゆく.

 もういちど言う.国葬反対!
 そして,国葬に反対することこそが,戦争に反対することなのだ.