言語力育成?

nankai2007-08-18

積乱雲がうつくしい.左中央に伊丹を出た飛行機が写っているのだが見えないだろう.それはともかく,夕立でも来て明日から少しは過ごしやすくなるのだろうか.といっていると,夜の8時になって雷鳴がして雨が降りはじめた.17日の朝日新聞朝刊に以下の記事が載った.

全教科を通じ「言語力」育成 文科省有識者会議 (2007年08月17日朝日新聞)

 「言語力」の育成に関する文部科学省有識者会議は16日、都内で会議を開き、小中高の全教科を通じて、言語力の育成を目指すことを求める報告書を大筋で了承した。同省は現在、改定作業が進んでいる学習指導要領の柱に言語力を置いており、この報告書を元に各教科で具体的な検討が進む。

 報告書は国際的な学力調査等で日本の子どもの読解力の低下が指摘されているほか、いじめなどの人間関係をめぐる問題もあり、言語力の必要性が高まっていると指摘。次期の学習指導要領では「言葉」を重視すべきだとして、国語や外国語に限らず、全教科で横断的に指導することを求めている。

 具体的な例としては「身近な地域の観察・調査などで的確に記述し解釈を加えて報告する」(社会、地理歴史、公民)「観察などで問題意識や見通しをもちながら視点を明確にし、差異点や共通点をとらえて記録・表現する」(小学校中学年理科)「皆で一つの音楽をつくっていく体験を重視し、表現したいイメージを伝えあったり他者の意図に共感したりする指導を充実」(音楽)――などを挙げている。

 報告書は有識者会議座長の梶田叡一・兵庫教育大学長が最終的に修正したうえで、学習指導要領改定を審議している中央教育審議会の教育課程部会に提出する。同部会は年度内の改定を目指して、現在作業中。

青空学園ではかねてから,高校生の言葉の力が近年著しく低下してきていることを指摘してきた.『高校数学の方法』「手で考え,言葉で表せ」.まったくそれは酷いもので,考える力,人間性の根幹が危ういと感じることもあった.言葉の力がこのように衰退してきたのは,さまざまの要因が絡みあっていて,簡単な問題ではない.

そのなかで,とにかく高校生には,自分の言葉の力が落ちていることを認識して,落ちた力は自分で取りもどせと,訴えてきた.言葉の力を取りもどすには,その人の内部の力によらなければ,不可能だ.

文部科学省が言葉を重視しようとするのは当然であり,遅すぎたくらいだ.しかし,今回の文部科学省の方向転換が教育の場でどのように機能するかはよく見なければならない.それは,『心のノート』の経験があるからだ.

文部科学省は2002年4月1日,『心のノート』を発表し,全国の小・中学校に送付した.文科省初等中等教育局によると『心のノート』は「教科書や道徳の副読本に代わるものではなく,日常生活や全教育活動を通じた道徳教育の充実を図るために用いる教材として作成したもので,児童生徒が自己の生活や体験を振り返る「生活ノート」的な性格や,家庭との「架け橋」としての性格を有し,児童生徒の道徳学習の日常化を目指したもの」であるとしている.1,2年版のはじめには次のように書かれている.

このノートは、あなたのこころを/おおきくうつくしく/していくためのものです。
こころのえいようを/じょうずにとるための/ヒントもたくさんのっています。
このノートをがっこうやいえで/くりかえしひらいて、/あなたのこころを/おおきくうつくしくしてください。

まったく,よけいなお節介はやめてくれ,ほっといてくれ,といいたくなる.偽善の言葉だ.『心のノート』は府県によってはあまり使わなかったところもあるだろうが,いずれにしても,『期待される人間像』の頃から,友だちをつくれ,美しい心をもて,いい子になれ,という教育が日本中の学校で行われてきた.大人がこれを押しつければどうなるか.ある子供は必死に外面を繕うようになる.またある子供は本心からいい子になろうとする.友だちの出来る子になろうとする.いい子になろうとするのはしんどいことだ.教室に入れば明るく振る舞うけれど,それに疲れ果てる子供が多くなっている.ほんのささいな人間関係で傷つく.そしてついに教室には入れなくなる.自分に正直な子供ほど教室に入れなくなった.

『心のノート』教育で,どれだけ多くの子供の心が傷ついたか,登校できない子供が増えたか,文科省は知っているのだろうか.今年京大に合格した高校生でも,ずっと,友だちをつくれという脅迫概念に悩まされてきた.合格報告にきてくれてその話になり,私が「友だちなんか無理につくらなくてもいい.やりたいことをやってそれを話しあえる人に出会えればいいし,一人でもいい」というと,その後『今日はどうも有難うございました。お話して、「無理して友達を作ろうとすることはないんだ」とわかり、少しですが気が楽になりました。』とメールもらったこともある.それくらい,文科省の『心のノート』は子供達を傷つけてきた.真綿でくるんだ柔らかい抑圧体制=全体主義,である.これが今,学校をおおっている.

さらに昨年教育基本法が変わり,教室の柔らかな抑圧体制はよりひどくなっていく.

この状況の中で言葉の問題が強調されると,それは決して一人一人の内から言葉の力をつけることにはつながらない.さらに,言葉の問題が「いじめなどの人間関係をめぐる問題もあり」という文脈で取り上げられるとき,子供達にどんな影響を及ぼすか.他人と話すより一人で考えることを好む子供が居づらくなるのではないか,言葉になるまで時間のかかる子供が,能力がないとされないか,今でも受けをねらって心にもないこという子が多いのに,ますます大人がどう受けとめるかだけ考えて発言する子が増えないか,などなど考えるべきことは多い.

言えることは,自分で考え物事の本質を見ぬく力を養え,ということだ.孤立を恐れず黙々と歩め,ということだ.汝自身の道を行け,人は語るに任せよ(ダンテ)ということだ.