春の梅田解放区

 昨夜は梅田解放区に参加してきた.もうほとんど桜の花も散り,緑の季節に入ってきた.それでも立っているとまだ寒い.
 私がはじめてこの取り組みに参加したのは「沖縄今こそ立ちあがろう」の歌 に書いたときなので,もう3年半ほど前になる.ここに参加して街頭に立つのは,ほんとうにこちらにとっても有意義なことである.
 核汚染水の海洋放出をやめろ/スガやめろ/維新はいらない
 自粛させるなら補償しろ
 黙ってないで立ちあがろう/手を繋ごう
等々皆で声をあわせる.人を人として重んじない政治が今の日本を支配している.それに対して,このままでは殺されると,若者が声をあげる.私は今日も横断幕を持つのを手伝ってきた.たたかうあるみさんAkhiltype6 さんのところにも写真が出ている.
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 日本の政治はこの間,酷くなるばかりであった.それがコロナ渦でさらに露わになった.日本政治の闇は,上から下まであらゆる段階を覆っている.
 近代日本は,根なし草の世であり,立場を超えた人と人の間の規範がないままの世であることを,今つくづくと思う.アベ・スガ政治によってそのことが露わになってきたことは,これを動かし変えてゆくために必要なことであるかも知れないが,しかしアベ・スガ政治の現実はあまりに酷い.
 日本は今すでに没落したクニである.没落するだけ没落しなければならない.没落の果てから立ちあがることはできるのだろうか.梅田で喋る人たちの言葉を聴きながら,ここには希望があると思った.こうして声をあげる人がいることは希望である.

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 これまでのやり方が根本からの転換を迫られていることは,日本だけのことではない.地球は有限であり、拡大しなければ存続しえない資本主義は終焉する.
 ではその次の世はどうあるべきなのか.かつて赤い社会主義がいわれた.それは、経済がまだ拡大しうる段階で,どのような方向で経済を拡大するのか.人民を収奪するのとは異なる拡大の途,それが赤い社会主義であった.
 それはしかし,ついには資本主義にのみこまれてしまった.ソ連も中国も、そしてその他のかつての社会主義国もみな,今の経済は資本主義そのもである.資本主義ということで言えば,今や中国の方が前に行き,アメリカや日本はずっと後ろをいっている.
 そのうえで,コロナ渦を契機に,この現代資本主義の大きな危機が現実化する.それは避けがたい.そして,資本主義の枠組の中では,そこからの途はない.
 これに対して,私の言う「緑の社会主義」は,もはや経済の拡大があり得ない段階において,資本主義経済に代わる途を提起するものである.であるからそれは別の生産関係を作るということではない.『根のある変革への試論』にも書いた.

 今日の根本問題は資本主義にかわる別の生産関係を生みだすということ自体ではない。生産関係の問題ではない。経済は手段であり方法であるという立場から、これをのり越えるのである。言いかえれば、資本主義的生産関係を使いこなす人とその組織、そのもとの世を生み出すこと、これが問題である。
 そして、これを創造してゆくこと自体が、資本主語の終焉である。経済は目的ではない。大切なことは、これを使いこなしうる、人を第一とする政治を生みだすことである。人としての尊厳ある生活、これこそ共通の目的である。

 そのような試みが始まっている.新しい人のつながりが生みだす世である.手を繋ぎ街に出て、この政府を倒し政治を根底から変えてゆくために,心あるものは行動を始めよう.やればできる.日本の歴史の中ではじめて,人民がときの支配者を倒し,自らの政治を生みだしてゆく.そのような歴史を切り拓こう.
 この日の参加してきた若者の気持ちを言葉にすれば,そういうことである.そしてそれは私の思いでもある.
 そんなことを考えながら戻ってきた.2週間ごとの梅田解放区は,こちらがいろいろ考えるうえで,ほんとうにありがたい.こういう場を作ってくれた若い人らに感謝する.

三月の終わりに

 昨夜は定例の梅田解放区であった.毎月第4土曜は大阪北の中津にある豊崎西公園に集まり,集会をもって,それから梅田までデモをする.関生連帯労組から,大きな音の出る街宣用のスピーカーも来てくれる.こちらはいつものように横断幕をもって先頭を歩く.たたかうあるみさんのブログにこの日の写真が出ている.

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 梅田で音楽をやっていた人らと合流する.30人近くになっていた.そして道ゆく人に語りかける.ここで喋る若い人らはほんとうによく勉強している.教えられることも多い.私はそれを聞きながらいろいろ考える. 

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 さて, 東京オリンピックとやらの聖火リレーが始まったそうだ.

 オリンピックとは何か.安倍がオリンピック誘致を決めた頃の「1%による1%のための大会」に書いたように,西洋資本主義の価値観を世界に拡げるためにはじまったものであった.それをアベが誘致し,今の日本がおこなうのは,「原発事故は終わった」「放射能被害は存在しない」とごまかして現実を覆い隠すためである.事故炉の廃炉作業はデブリの取り出しもままならず,あと何十年,何百年かかるかわからない.汚染土や汚染水は溜まり続ける一方である.公共事業で使ったり海への放出したり、汚染物の拡散が目論まれている.

 今の日本は,今このときにオリンピックをやるという政治が支配している.本来,政治とは何か.ある日本語の辞典で「政治」は

国を治めること。近代では、主権者が立法、司法、行政などの諸機関を通じて国家的統一を維持し、国民と共同生活を守ること。

と定義されている.1988.国語大辞典(新装版)小学館

 このような近代政治の規範に照すとき,今の日本の政治はまったく政治とは言えないものになっている.明治維新よりこれまで,この近代の規範そのものがこの日本においては根づかなかった.私の言う根なし草近代である.その成れの果てとしてのアベ・スガ政治である.
 地球の有限性に規定されて,拡大しなければ存続しえない資本主義は終焉の段階に入っている.アベスガ政治は,その日本における現実である.

 だが,ここまで酷いことになっても,内閣を倒し日本の政治を変えようという大衆行動のうねりは,まだ起こらない.このままでは,この日本列島のクニはかぎりなく没落してゆく.それでも,このうねりのないなかで立ちあがった人々は,たがいに繋がり前に進む.大阪で続けてきたこの運動もまた,あきらめない人たちの、そんな運動だ.つくづくそれを思った.実際,語る若者も,あきらめないと言うことをしきりに言う.

 それに応えて自分に何が出来るのか.前にも書いたが,『神道新論』の展開として「根のある変革への試論」はもっと深めねばならない.これを踏まえて「緑の社会主義」を展開しなければならない.
 地元自治会の仕事も引きうけているし,問題づくりの仕事もけっこうある.そのなかで,自分のなすべき仕事はおさえておかねばならない.私は自分お仕事を,没落の果てから甦るための基礎作業と位置付けているが,やはりここになすべき第一のことがある.

 三月も終わるが,年度の末にそんなことごとを考える次第である.

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 地元の神園公園の桜.28日はここで花見をする予定だったが雨になった.写真は27日のもの.田中龍作さんが言うように,桜は皆に平等に咲く.

3.11から十年

追伸:3月13日 今日は定例の梅田解放区であった.小雨がちらついていたので,東梅田の鉄橋の下に移って,およそ20人が集まり声をあげる.いつものようにこちらは一緒に立ってそれを聞く.たたかうあるみさんがさっそくブログに上げてくれている.

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 世界中で考えても,今の日本ほど酷いところはない.何が酷いのか.それは,この日本の社会での人と人の対話の基盤が崩れていることだ.
 根なし草近代の成れの果てとしてのアベスガ政治.一度も人民闘争を経ることなく今日に至ったこの日本.人を人として認めあわない世,これが今の日本である.働く者の力があまりにも弱いままの日本.街頭に立って,道ゆく多くの若者をながめながら,つくづくとそのことを思う.
 そして,これだけの原発事故を経ながら,どんどん再稼働している.七割以上の人が反対しているにもかかわらず,議論も合意もなく,再稼働されてゆく.
 そのことに対して大きな怒りの声はなかなか上がらない.それでいいのか.このままでいいのか.皆それを訴え,声をあげる.

 以下11日の一文

 あの日から十年が経った.昨日,この十年間のことをいろいろ考えていたら,鹿砦社から『NO NUKES voice』の27号が郵便で送られてきた.いつも献本してくださる松岡さんに心から感謝する.一気に読んだ.
 孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所所長)の「2021年 日本と世界はどう変わるか」の中の「日本は衰退の道をたどっている」は,私がここでいってきたことと同じである.そのうえで「日本の根本的弱点ー自ら進む方向を作れない国」の指摘もその通りであると思った.
 また,森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)の「『被ばくからの自由』という基本的人権の確立を求めて」には,当事者の心からの訴えに,こちらも心を動かされた.
 今号の『NONUKES voice』のそれぞれの論考は,どれもほんとうに重くまた考えさせられるものばかりであった.ぜひ多くの人が手に入れて読んでほしい.

 そして私は自分のこの十年についてもいろいろ思い起こした.昨年 「3.11の日に考える に書いたので繰り返さないが,やはりわれわれは「震災以降」に書いたように震災以降の日々を生きているのだ.私のひとつのまとめが『神道新論』であった.そして,この書のところからの進むべき道を「根のある変革への試論」で考えてきた.そして今「緑の社会主義」を柱にして考えることを深めているが,しかし道はほんとうに遠い.それでもこれらの営みが,あの震災を自分なりに受けとめるところから,生まれてきたものであることはまちがいない.

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 それにしても,今のこの日本の政治のあまりの酷さである.あの震災を,まさにショックドクトリンとして使い,なされてきた支配政治,それがアベスガ政治である.そしてこのアベスガ政治は,根なし草近代の日本という国の成れの果てでもあるのだ.ここには,世界史的にも深い教訓が潜んでいる.

 これに対する途はあるのか.そのことを青空学園で掘り下げて考えてきた.青空学園はその基礎作業と位置付けてきた.そのようなことをしている者として,できる行動はする.ということで,第2土曜の13日も梅田に行くつもりだ.その報告をここに書きたい.

  写真は甲山を向こうに見るニテコ池ほとりのサギ.

二月の終わりに

 昨夜は定例の梅田解放区であった.梅田の北の中津の豊崎西公園に集まり,集会をする.こちらは少し遅れて参加.そして集会のあと梅田までデモをした.いつものように先頭で横断幕をもつのを手伝う.

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 先に梅田にきて音楽を鳴らしやっていた人らと合流し,総勢20人ほどで7時過ぎまで東梅田の街頭で宣伝してきた.
 こうしてもう三年半ほどになるが,2週間ごとにこの行動を重ねてきた.こちらもそれに参加してきた.そして,この青空学園だよりにその報告を書きながら,いろいろ考える時間がもってきた.たいへんありがたい.

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 さて,2月13日に福島県沖でマグニチュード7.33,最大震度6強の地震が起こった.
 福島第一原発の3号機に設置されていた地震計2台が故障していたことを東京電力が確認しながら,それを放置していたため,13日の地震のデータを取れていないことが22日になって判明したのだ.東電が地震計の故障によってデータが取れていないことを認めたのは,22日におこなわれた規制委員会であったが,故障したことぐらい分かりそうなものなのに,そのまま放置してきた.ここに原発事故に対する東電の,そして日本政府の態度が如実に現れている.
 この地震によって福島第一原発の処理水や浄化途中の汚染水が入ったタンクの位置にずれが生じ,14日の午後1時ごろにはその事実を把握しておきながら,18日になってようやく公表したのだ.
 そしてさらに深刻なのは,19日に公表された,1号機と3号機の格納容器で水位が低下している,という問題だ.その水はどこへ行ったのか.ところがこのことでも,何の根拠もなしに大丈夫だと言っている.この問題の深刻さを隠しているとしか考えられない.この問題を隠すのは,オリンピックをなんとしてもやろうとするからである.
 新型コロナでは,国民(住民)を守り経済を守るために他の国が当たり前にやっていることを日本政府は出来ないと言い,やろうともしない.反対に,現状から不可能としか思えないオリンピックは何が何でもやると言う.「国民の命や生活」より「利権と献金天下り」だからだとしか思えない.
 いま没落しつつある日本のの悲惨ともいうべき状況が,13日の地震を通して,再び可視化された.いつまでこのような政治を許しておくのか.われわれ自身が問われている.

 この地震列島に原発は置かない.このことを明確に政策として打ち出し,それを実行する政府をわれわれの手で生みだすしか,この日本列島に生きるものに途はない.
 あの阪神淡路の震災,そして3.11の震災を経て,これでもまだ今までと同じようにいくのか.13日の地震はそれを問う.

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 満池谷の墓地から遠くに甲山を望む.この少女の銅像の横を通るときは,いつも挨拶する.24日,午後3時過ぎに犬との散歩で撮影.


没落するこのクニに生きて

 昨夜は定例の梅田解放区であった.何かの事故で電車が遅れ,梅田に着いたのは5時半過ぎ.急いで行くともう始まっていた.二〇名近くが集まり,いつものように道ゆく人らに語りかける.
 スガ政治を変えなければ明日はないと訴える.そして,森元首相の差別発言の背景とスガ政権の悪政への批判.また,都構想は否定されたにもかかわらず同じ内容を進める維新の府民騙しへの怒りの訴え.それから,慰安婦問題での韓国裁判とこの問題での日本政府の対応について語る.また,辺野古現地の闘いに参加している人からの訴えと続く.こうして次々に若い人らが訴える.
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 また中年後半の反戦タイガースさんも,いつものようにドラムをたたき道ゆく人に呼びかける.そしてこちらは横断幕をもつのを手伝う.

 昨今の日本政治の状況を見ていると,これまでいろいろと書き置いてきたことごとが,現実の問題として立ち現れてきている.二年前,季刊『日本主義』の終刊号に「分水嶺にある近代日本」を寄稿し,そこで次のように書いた.

 二〇一九年にはじまる日本の分岐は、もはや何を選択するかという選択の内容や方向をめぐる分岐ではない。人民の内部について言えば,能動的に選択するのか、それとも無自覚に流されてゆくのかの分岐である。
 能動的に選択しようとする側にも、当然にさまざまの立場と意見の違いがある。しかしその内部では、思想信条の自由にもとづき、互いを認めあって議論を行い、そのうえで当面する政治課題においては行動を統一する。このことが、目的意識をもって追究される。アベ政治を終わらせるという課題で一致するものは、副次的な違いをひとまず横に置いて、行動で統一しなければならない。
 その意味で、この分岐は、選択しようとする民主主義か、流されゆく全体主義かの分岐である。政治的には、この全体主義を廃し民主主義を実現するのか、これをそのまま続けさせるのか、この分岐である。
 日本列島のこの国はいま歴史の分水嶺に立っている。

 これを書いてから二年,まさに今,現実の日本は,歴史の分水嶺を越えて崩れていっている.二年前には,ここまで酷い現実がこれほど早く露わになるとは考えなかった.
 しかし,コロナ渦は事態の進展をおしすすめ,日本の没落が可視化されてきた.この日本の没落の意味は大変に深い.最近次のような記事を見つけた.「日刊ゲンダイ」(2021/02/06 06:00号).この記事の最後に次のように書かれている.

 台湾高速鉄道商戦の敗北から垣間見えるのは政治の無為無策、いまだにジャパン・アズ・ナンバーワンを捨てられず自らの技術を過信する傲慢、そして輸出相手先・競合相手を理解しない独善……日出ずる国の黄昏は深まり。黄昏の先に待つ暗闇からは一条の曙光すら見えてこない。

  ここにあるのは技術の問題だけのことではない.まさに,この日本というところは,このままでは一条の光もない.私は,「根のある変革への試論」のPDF版 に次のように書いた.

 このアベ政治、スガ政治は安倍や菅個人の問題なのではなく、資本主義の終焉期という普遍的な場において、根なし草の近代日本百五十年の成れの果てとして現れたものである。
 このままでは、たとえ安倍や菅個人が除けられ別のもに変わっても同じことが繰り返される。アベ政治、スガ政治から日本近代を省みるとともに、その教訓の上にこれからの方向を考え、動かねばならない。

  根が浅く,抵抗の歴史もほとんどない,この近代日本がそのゆえに没落してゆく.根なし草近代の成れの果てとしてのアベ・スガ政治,そして森発言である.これは近代日本の世に,社会的な規範が基底の構造として機能していない、その結果である.そしてそれは,日本の近代が根なし草であることに起因する.
 根なし草近代のこのクニはかぎりなく没落する.具体的なことは省くが,没落を示す事例は,日々の報道の中に幾つも見出すことができる.

 没落するクニに生きることは,得がたい経験である.近代の世は発展を基調にしてきた.その行きついたところからの没落,これが今の日本であり,まだ他にはない.
 これもこれまでも言ってきたことだが,とことん没落したところからしか,その先の途は見えない.没落の果てにおいて,明治からの日本近代をとらえ直し,世のあり方を根底から変えてゆくこと,それが歴史の要求である.青空学園日本語科は,そのときのための基礎作業としてやってきた.
 それはまた,資本主義の終焉の果てに,次の時代を見通すことともつながる.この資本主義の後の世を「緑の社会主義」と言う.これについて,そしてそこに至る途についてはまだまだのべることはできていない.これからのべてゆくつもりで、今その構想を練っている.頭の働くうちに,これだけは仕上げて書き残したい.
 この問題の日本における現実が,アベスガ政治の果ての没落である.われわれは今,没落しつつある近代の世を生きているのだ.そのことをつくづくと思う.没落の過程での闘いは続く.この闘いのみが没落の果てからの途をひらく.

 オリンピックについても騒々しいが,これについてはすでに書いている.「1%による1%のための大会」.あれを書いてからもう七年半なのだ.時間の経つのははやい.そこにも書いたように,近代オリンピックはその歴史的役割を終えている.しかし,利権がらみであるがゆえに,利権をもつ側からオリンピックをやめるとは言わない.
 それでも現実に開催は不可能である.スガは責任をとらされ使い捨てられるだろう.しかし放置すればその後にはスガ以上のファシズムが現れる.
 そのときどれだけ人民が動くのか.全体主義に流されることにどれだけの抵抗ができるか.われわれもまた問われる一年となる.

行動しなければ変わらない

 昨夜は定例の梅田解放区であった.この日は東京でも官邸前で集会があった.第2第4土曜は東京と大阪でやることになっている.
 行動しなければ何も変えることはできない.これがこのように集まる人たちの共通した思いだろう.直接行動を積み重ねることが大切だ.
 小雨がふっていたが,大阪北の中津にある豊崎西公園にゆくとおよそ20人が集まり集会が始まっていた.それからいつものように東梅田までデモをする.デモでは,こちらは先頭で横断幕をもつのを手伝う.
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 そして梅田でも雨が続いていたので,この日は高架下にあつまり,道ゆく人に呼びかける.

  あなたが変われば政治は変わる!
  自粛ではなく補償を!
  オリンピックを中止して医療体制の拡充を!
  菅政権打倒!

 梅田界隈はいつものように多くの若い人が,みな何ごともないかのように行き来する.人通りは少しも減ってはいない.こちらの呼びかけが彼らにどれほど届くのかはわからないが,心の片隅には残ってほしい.f:id:nankai:20210124080327j:plain
 新型コロナは,実際のところインフルエンザ流行のときと同じように冷静に対応するしかない.ところが,商業活動の縮小や都市の封鎖,そして緊急事態宣言云々と大騒ぎである.通勤時が一番感染しやすいのに,そこは対策を立てず,補償なしの営業の自粛要請ばかりである.
 コロナの蔓延そのものは、資本主義が地球を極限まで開発したために、これまでは野生動物の中や極地の氷の中にあったウイルスが人に移動して始まった.地球や人を金儲けの資源としてしかみない資本主義がもたらした地球環境変化の結果の一つである.
 資本の側はこれを機に,老人を削減し,零細企業を潰して大資本の下に再編しようとしているのではないか.だから放置しているのではないか.コロナ渦による農業危機を口実に遺伝子組換え作物を増産し,商業的農業をもっと世界大に拡げてゆこうとしている.こうして資本主義は疫病の蔓延をも世界の再編に使う.
 コロナ渦との闘い,気候変動との闘いは,資本主義との闘いである.ある意味,コロナ渦は,資本主義こそが問題の根本であるという,いまの世の有り様を可視化した.

 終わって帰途につく.道すがら,いま手を入れている「根のある変革のための試論」について,いろいろ考えがうかんできた.このような行動に加わり,街頭に出ることで,新たな視点が加わる.それをふまえてこの試論に加筆した.

 また,『人民新聞』の最近号で,「コロナ禍の世界 新年対談 エッセンシャルワーク・マイノリティ 労働を差別する資本主義をなくすために」と題して,社会学者の菊地夏野さんと酒井隆史さんの対談が2号に分けてのっている.前編後編 とここで読める.これにはいろいろと考えさせられた.

 いま,生産者と消費者が直接につながり共生する地道な取り組みが広がっている.わが家も野菜はほぼすべて有機栽培.山の方の農家が運んでくれるのと共同購入の会のと.このような営みを、資本主義からの転換の運動として横に繋いでゆくことができないものか。

 そして日本の没落が止まらない.政治や経済での没落,政治家の人としての没落.報道機関の崩壊,これを許してきた世の没落.行きつくところまでゆくしかないのかとも思うが,犠牲が大きすぎる.

  ここまで書いて,川口真由美さんの「このクニに生きて」を思い起こしもういちど聴いた.これはやはりすごい歌だ.去年の10月25日にこの梅田解放区でお会いしたが,またじかに聴きたいものだ.彼女のつながる世界,ここには希望がある.「人間の歌」,「星のした」もすばらしい.
 これらについてはここで書き足してゆきたい.

年のはじめに

 昨夜は,東京と大阪で土曜行動の日であった.こちらは東梅田の街頭で横断幕をもつのを手伝ってきた.寒かったが街頭行動に最後までつきあってきた.サックスをもつ人が3人、語りにあわせてそれを吹く.
 それにしても、スガを首相のままにしている現在の政治のこの酷さである.なぜ人々は立ちあがらないのか.大きなデモやさらにストがあらねばならない状況であるがそれはない.しかしそれを言っていてもしかたがない.できるところからはじめるしかない.ということで東梅田の街頭に立つ.

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 この日語っていた人のなかで,たたかうあるみさんのブログには彼のあいさつ文がのっている.
 また,慰安婦問題に取り組んできた人も語る.韓国地裁が慰安婦訴訟で日本政府に賠償を命じる判決を下した.これは当然の判断であり,大いに歓迎する.それに対して日本政府は,菅首相を筆頭に,断じて受け入れられないと猛反発している.これを批判して報じる報道も,そもそも野党からの批判さえ何もない.
 「日本軍「慰安婦」被害者たちに賠償を命じたソウル地裁判決を支持する」とのアピール全文がここに紹介されている.元はここにある.
 実際,歴史に向きあわず,植民地支配を省みず,それをそのままに,ただアメリカに従属してきた戦後政治の成れの果てがアベスガ政治であり,この韓国地裁の判決は逆にこの戦後日本を照射する.それだけの意味をもつものだ.
 しかし日本の多くはその意味をつかめない.今や日本はこのアジアの中でも遅れた没落した国になりつつある.経済的にも,政治的にも,そして何より人の道において,2021年は日本の没落が誰の目にも明らかなこととなるだろう.
 また新型コロナの疫病対策におけるスガ政権の無策・無力は悲惨というべき段階に来ている.気候変動の問題,そして新型コロナウイルスという疫病の蔓延は野放図な資本主義の必然の結果である.資本主義の枠の中でこれを越えることはできない.それどころか,資本主義はこれをいわゆるショックドクトリンとして用い,新たなファシズム支配を進めている.

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 スガ政権もこれにのって,緊急事態宣言を出しまくっている.福島の事故を受けた原子力緊急事態とコロナ緊急事態と,二つの緊急事態が日本列島を覆っている.
 先日3日は,コロナ生活補償を求める大阪行動にも少し参加してきた.年末年始ととりくまれてきたのだが,他の日はいけなかった.いくと多くの人が大阪市役所前で行動していた.

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 2021年は,資本主義のままではもうどうすることもできないこともまた明らかになってゆく.いかなる道筋で資本主義を終わらせるのか.それは人民の下からの闘争の積みあげしかない.
 資本主義経済を越えて生産者と消費者が直接につながり共生する,そのような地道な取り組みの積みあげと,そして人民の闘争である.これが資本主義を転換してゆく土台である.しかし近代日本においては,人民闘争は弱いものでしかなかった.人民の闘争によって資本主義を終わらせ,次の時代を開くために今何を準備しなければならないのか.
 この問題は,世界中のそれぞれの地で言えることである.とすればそこには普遍性と固有性という問題が存在する.
 日本においては,根なし草近代という固有の問題が根底にある.これは奥の深い問題である。誰もが識っているとはいえないが,どこかでこの問題に向きあわなければならない.私としてはせめても,この日本近代固有の問題を考え,それを書き置きたい.
 こんなことを考えながら街頭に立つ.