春が遅い

 春分から10日であるが,今年の関西の春は遅い.昨夕は定例の梅田解放区であった.大阪梅田北の中津の豊崎西公園に集まり,集会のあと梅田までデモした.梅田もいつもより人の通りは少ないが,それでも多くの若者が歩く.車道の半分をデモで占めて歩き訴える.今回もこちらは横断幕をもつの手伝ったので,デモの写真はない.
 豊中で森友問題を追及してきた人の言葉が重く,切実であった.2017年秋の段階ですべてはわかっていた.なぜ日本では怒りが起こらないのか.韓国やフランスのように人々の怒りが動きになれば,2017年の秋に安倍は退陣させられていた.
 実際,「宵山の日の参禅」にも書いたように,韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が,ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし,大統領弾劾が成立して罷免した.安倍のしてきたことは,あのときの朴槿恵大統領よりはるかに悪質である.刑法から見ても,人としても,はるかに悪質である.「人でなし」とはまさに安倍ととりまき連中のことである.
 デモを終え,今日は雨だったので,向かいのガード下に集まる.梅田のいつものところに集まって道ゆく人らに語りかける.森友問題を追及してきた人はここでも通りがかる若者に呼びかける.およそ50人は集まっていただろうか.
 園君たちは31日は11時から18時に大阪市役所前で座り込みもする.

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 さて,先日も書いたのだが,再び言わねばならない.

 こうして今日の日本は、国際資本の収奪に国家と国民を完全にゆだね、すべてをそこに捧げる政治体制となっている。これを「アベ政治」と言う。ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。

 今その犠牲が広がっている.この果てがどのようになるのか,まだ見えない.しかし,資本主義の終焉期に起こった一つの歴史段階であることはまちがいない.社会主義崩壊後のこの四半世紀,新自由主義が野放図に世界を支配してきた.2020年初頭にはじまる,新型コロナウイルスという疫病の世界的な流行は,新自由主義段階の資本の放埒な世界支配が限界に至っていることを教える.世界は新たな恐慌に陥ろうとしている.
 疫病の流行そのものは,今後もまた出てくる.資源開発,人口の増加,航空機の発達,経済活動の増加など動物居住地域と人との接触機会がますます高まり,新しい疫病が現れる可能性は高くなる.このコロナウイルスは,新自由主義の下に公的医療体制を破壊してきたイタリアやフランス,そしてアメリカで大きく拡大している.さらにまた,南米やインド,アフリカにも広がっている.99%の人々を誰一人取り残さない医療,これに転換してゆかなければ,ウイルスの拡散そのものを抑えることはできない.
 地球温暖化の防止,核兵器の根絶と同じく,疫病対策は極めて重要である.このいずれの課題も,資本の放埒さをそのままにして解決することはありえない.そのこと自体が,資本主義が終焉期にあることを示している.利益を貪ってきた多国籍企業の弱肉強食のやり方ではどうにもならないところに来ている.

 そのなかでも日本は実はいちばん酷いことになる.この疫病の蔓延を受けてアメリカの株が大きく落ちこんでいる.ところが日本の株は落ちこまない.それは政府が年金基金などを元手に株を買い支えているからである.日銀ETFの爆買いである.この数年,アベノミクスがうまくいっているように見せかけるため,この株の下支えがおこなわれてきた.今株が大きく下がれば,アベノミクスの損失があからさまになる.政府の株買い支えがなければ株価は1万5000円がいいところだといわれている.それをごまかすために買い支えてきた.ここで下がれば損失が露わになる.それで一時しのぎばかり続け,今も必至に買い支えている.
 しかしそれには限りがある.このまま行けば含み損は拡大し,いずれ年金の基金はなくなることが現実になる.それは必至である.いまの50代が退職するころ,日本の年金は解体している.
 あのトランプでさえ2400兆円もの経済対策を行う.アベ政治は口先だけで,ほとんど何も具体化していない.いまは,まさに,堕ちるところまで堕ちる過程であるのかも知れない.このままでは米騒動は必至である.いやそれが必要なのだ.

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 疫病の蔓延は大きな犠牲を払いながら,時代を動かしてきた.スペインかぜ(インフルエンザ)は1918~20年,第1次世界大戦のころにあったが,1億人以上が死亡した.そしてそれはロシア革命後の労働運動と革命運動の高揚をもたらした.欧州のペストの流行は,1347年~にあった.当時の世界の人口4億5000万人のうち約1億人が死亡したが,封建領主の弱体化と絶対主義王制への転換をもたらし,そこに生まれた商業主義が資本主義を準備した.東洋では,元王朝下の中国でのペストが流行し,その混乱と群雄割拠の段階を経て元が滅び明朝となった.そして日本の幕末,1858年(安政5年)のコレラである.封建制の崩壊と明治維新を準備した.平安時代の終わりころにも疫病の蔓延があり,それが武士の世を準備した.
 今回のコロナウイルスの拡大が,どのような変革とつながるのかはわからないが,人びとの命と環境を守ることを第一とする世のあり方に転換してゆかねばならないことを教えている.経済を第一とすることから,人を第一とすることへの転換である.しかしまた,そんな世は闘いなくしては生まれない.

 私は,このような時代の転換において,そこに生きる人のことわりを少しでも書きおきたいと前著をまとめた.そしていま,このような時代にあることが現実として現れてきた.拙著の次の展開のために,これまで書きためたものを再構成しているが,しかし時代の動きと思想の展開は一体である.資本主義の終焉期に,次の時代の扉をどのようにひらくのか,この問題に対する基本的な問いの枠組みを明確にすること,これが課題である.
 このような問題は,普遍性ある一般論と,現実のそれぞれの課題のあり方をふまえた固有の論が必要である.そしてその固有性が普遍の場にあることまでを明確にしなければならない.ここに書くことで,課題を見直しながらやっている.どこまでゆけるかはわからない.このような時代になった.いつも受験生にいっている言葉であるが,あせらず,あわてず,油断せず,で考えてゆきたい.

 29日からは授業である.この1ヶ月は授業はなく,仕事は書斎仕事,つまりは問題づくりで,これは今風にいえばメールワークであった.今夜から4日は授業である.桜は咲いていても五分である.写真は,野坂昭如の『火垂るの墓』に出てくるニテコ池から甲山を望む.ときどき犬を連れて歩く散歩道である.前に書いた大池から1Kmほど南で,それだけ甲山が小さく見えている.

春分の日々

 ハクモクレンの花はもうみな散り,花海棠の芽がふくらんできた.21日は宇治に帰り,われわれと兄妹で墓参り.一族親戚がみな眠る善法の墓地で,親の墓からはじめて、親戚の墓のそれぞれに線香を立ててゆく.ちょうど年下の従兄弟とそのお母さんも来ていて,四半世紀ぶりに出会った.この墓地には花屋敷・山宣の墓もあり,そこも参った.
 それから平等院の裏通りを歩いて宇治川に出る.裏通りと言ったが,これが本町通りと言い、いちばん昔からある通りである.桜はまだで,塔ノ島も人は多くなかった.子供のころから稲荷山と読んでいる川東の山塊が懐かしい.この山の麓には菟道稚郎子の住居跡といわれる宇治上神社もある.この山は3.11の地震の後に登っている.そのとき考えたことは「近代と核力」に書いた.

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 それから川沿いに北に歩いて平等院の入り口から平等院参道に出て,昔から続く小学校時代の同級生の店に入り,お茶をいただいてきた.六年間組替のなかった学年で,同級生はほんとうに親しい.近所への土産にと茶団子も買った.大津に住む妹からは鮒寿司をもらい,川魚屋で鮒の洗いとウナギの肝焼きも買って帰ってきた.酒の肴でも川の匂いのするものがいちばん懐かしい.前に買ったときの写真がここにある.

 そして22日は梅田解放区の街宣があった.アベ政治も煮詰まってきたということで緊急に呼びかけられたのだ.午後の2時間近く,こちらもいつものようにいって手伝ってきた.道路の向こう側にも別れて座り込みもした.この日は,連帯ユニオンの組合の人らも幟をもって参加し,語ってくれた.たたかうあるみさんのところにも詳しい.
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 新型のコロナウイルスの広がりがとまらない.これによって,世界は新たな恐慌に陥ろうとしている.社会主義崩壊後のこの四半世紀,新自由主義といわれる資本主義が,野放図に世界を支配してきた.この経済恐慌においても,1%は99%に犠牲を押しつけ乗り切ろうとする.
 しかし,このコロナウイルスは,新自由主義の下に公的医療体制を破壊してきたイタリアやフランス,そしてアメリカで大きく拡大している.さらにまた,南米やインド,アフリカにも広がっている.99%の人々を誰一人取り残さない医療,これに転換してゆかなければ,ウイルスの拡散そのものを抑えることはできない.
 利益を貪ってきた多国籍企業の弱肉強食のやり方では,どうにもならないところに来ているのだ. 不安定な仕事で食べている人々が,まず生活できなくなる.それによって消費が順に落ちこみ,最終的にはものを売ることでしか成り立たたない資本主義は立ちいかなくなる.
 これほど資本主義の終焉がはっきりと見えることになるとは思いもよらなかった.そして,この疫病の流行は,人びとの命と環境を守ることを第一とする世のあり方に転換してゆかねばならないことを明確にしている.
 これがこれまで言ってきた,経済を第一とすることから,人を第一とすることへの転換である.しかしまた,そんな世は闘いなくしては生まれない.小さなところからでも声をあげよう.
 皆そのことを訴えていた.道ゆく若者の心に届いただろうか.君らがいちばんの犠牲になるのだ.立ちあがれ.
 ここではいちいち書かないが,アベ政治とは,近代の法に照らして犯罪者であるようなもの達が集団で行っている政治だ.そもそも法以前に,人としての矜持を失った集団である.それを操るものは国際的資本の下にあるもの達だ.
 今回の疫病問題でも,アベ政治は責任を国民に押しつけたままである.この疫病は,アベ政治によっていっそう悪質になった.対応は世界中で最悪である.その上,この疫病を逆手にとって,緊急事態宣言というファシズム政治と,そして改憲まで狙っていた.
 だがこれは,安倍個人の問題ではない.かつての侵略戦争や植民地支配、そして国家神道を総括しないままきた近代日本の成れの果てに起こった.
 われわれこそ,これを転機として,新自由主義の政治と経済を根底から変え,生産者と消費者が直接につながり共生し,人として互いに敬い尊厳を認めあう世を生みだしてゆかねばならない.

歴史は繰り返す


   「歴史は繰り返す」,昨夜コメント欄にこれを書いたが,気になったので、この言葉をもういちど調べてみた.日本ではローマ時代の歴史家 クルチュウス=ルーフス の言葉と言われているが,歴史を研究した人なら誰が言ってもおかしくはない.
 そして,カール・マルクスは,『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』の中で,「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と書いた.これもマルクスがはじめて言ったというより,原本では確認していないが,ヘーゲルが『歴史哲学』の中で書いたのが最初のようである.ヘーゲルは「弁証法」の一般論としてこれを言い,マルクスが、フランス革命からの具体例として書いたようだ.
 昨日は定例の梅田解放区の日であったが,横断幕をもちながらこの言葉を考えていた.そうしたら今日来た岩上さんのところからのメールに次のことが出ていた.
 岩上さんが昨日の安倍首相の記者会見でぶっつけ質問,「特措法の非常事態宣言で国民を慣らし,その後に改憲で緊急事態条項を導入するのではないか?」これに対して安倍は,「安倍独裁」を否定せず,それは「国民が選ぶことです」と,応えたというのである.
 なるほど歴史は繰り返す.ヒトラーは,ベルリンが,ナチスから言えば陥落し,連合国側からいえば解放され,自死する直前,「私を選んだのは普通の国だ。私を怪物と呼ぶならば、選んだ選挙民が悪い」と言い残したそうである.ファシズムの権力者は同じことを言うのだ.歴史は確かに繰り返す.ヒトラーはこの言葉を残して死んだ.安倍が同じことを言っているのは,それだけ追い込まれているということだ.
 マルクスの言葉を借りるなら,ヒトラーを一度目として,アベ政治は二度目の喜劇である.実際,安倍の愚かさ加減はもはや喜劇の段階である.しかし、ヒトラーが台頭してきたときも,ドイツ人の多くは彼が権力を握るところまでゆくわけないと思っていた.だが歴史はあの通りである.
 アベ政治のままでは経済恐慌に対応できず,日本はますます没落をはやめ,避けられたはずの国民の犠牲が広がる.ここはまさに,安倍を選んだ国民がそれに気づき,「国民が選ぶことです」の言葉とともに,安倍を追放しなければならない.それが歴史に対する,二度目の喜劇を生きるものの責任である.

 と言うことで,定例の「安倍やめろ」の梅田解放区に行ってきた.こういう時代になって参加者が増えた.梅田東の南北の歩道の両側に並ぶ.50人が集まってきた.そして1時間半,それぞれが喋る.皆,今の世の動きに,このまま許してはならないという,強い思いで語っていた.

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 いつものように私は喋らず,横断幕をもつ.東梅田の街頭に立って人の語るのを聞き,いろいろ考える.私にとってはそういう場になっている.だから出かける.若い人らはこの日も打ち上げの交流会をやっているが,私はそこには出ず,戻ってきた.
 先日も書いたが,いま歴史が大きな分水嶺にあることはまちがいない.このことは1年前にある雑誌に寄稿した『分水嶺にある近代日本』に書いたが,このように現実の問題として現れてきた.このなかでいかに生きるのか.ほんとうに,難しい時代になってきた.この歴史の動きに対して,自分にできることはしておきたい.
 三月も半ばを過ぎた.自分のいくつかの仕事や自治会の事々で新年度の準備をはじめてゆかねばならない.また前著を受けての,次の著作を準備しはじめている.枠組はある程度でき,その下にこれまで書き置いたものもまとめたが,これからひとつのものにしてゆかねばならない.これを今年前半の仕事の柱にしている.

f:id:nankai:20200317215019j:plain 写真は,梅田解放区が2枚,片隅のツルニチニチソウと,自宅から歩いて10分の大池の端から甲山を眺めるものとが,1枚ずつ.

3.11の日に考える

 今日は福島の原発事故から9年目の日である.時間をつくって大阪の関電本社前までいってきた.いつも梅田解放区で出会う人らと,そして前からここで座り込みを続けている人らと,それぞれに抗議の意思表示をしていた.関電の周りをデモしながら声をあげる.こちらは仕事もあり,少し早めに戻ってきた.かつて毎週金曜日に通い続けた関電の周りは,何とも懐かしい.
 いや,懐かしいと思うだけの時間が経ったのだ.しかし、この核惨事はこれからも続く.何も終わっていない.この日のことはたたかうあるみさんのブログに詳しい.この後の行動もいろいろあったようだ.いつもご苦労さまです.
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 家に戻ったら、鹿砦社の松岡さんから3月11日発売の「NONUKES voice」23号が届いていた.いつもありがとうございます.それを読みながら,今日考えたことと重ねあわす.自分の記憶のために記しておく.
  なによりおさえなければならないことは,いままさにわれわれは,福島原発原子炉崩壊以降の時代を生きているということだ.この時代においては,それぞれの人が,原子炉崩壊の意味とは何か,それ以降の世をいかに生きるのか,それが問われている.そのことをどこまで自覚するかを含めて,問われている.
 原子力緊急事態宣言は今も続き,これを根拠に被曝許容範囲の制限も福島ではないに等しい.そのことを覆いかくし,終わったことにする力が今の日本を支配している.地震列島に五十六基もの原発を作ったのは,そこに利権と利潤の拡大を求める日本の資本主義そのものである.
 そしてこの資本主義は原発事故とそれを受けて発令された原子力緊急事態宣言を覆いかくし,今が原子炉崩壊「以降」にあることを否定する.しかし,いかに覆い隠そうとしても,核惨事の中にあるという事実は,厳然と現実化する.東京から西へ避難した人らの存在がそれを教える.
 九年前,福島原発の核炉が東日本大震災で崩壊したとき,これを教訓として,日本は変わらねばならなかった.ここに至る歴史を省み,近代の世のあり方を問い返さねばならなかった.しかしそれはなされず,それどころか,これをいわゆるショックドクトリンとして利用し,惨事に便乗して民主党から政権を奪いかえし,新自由主義の資本主義政治がおおっぴらになされてきた.それがアベ政治である.
 東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は,かつての十五年戦争の敗戦につぐ近代日本の第二の敗北であった.近代日本に内在する基本的な問題が,二つの敗戦に通底している.この過ちを三度くりかえしてはならない.
 しかしアベ政治の下では,再び同じ過ちをくりかえそうとしている.

 それが,コロナウイルスに対する政治の対応である.福島の核惨事と同じ過ちがくりかえされている.9日に書いたように,この疫病の蔓延に対するアベ政治の対応は世界的に見ても最悪である.
 そして日本の経済はこれを契機に大きく没落する.株価の暴落を糊塗するために政府は年金基金で株の買い支えをしている.しかしこれも限界がある.遠からず年金の破綻が現実化する.年金の破綻は日本没落の始まりに過ぎない.
 ワクチンなどの予防策が出てこない限り,一定の人が免疫をもつまで続く.国際的にも一国的にも人の移動が制限され,多くの産業や社会機能が制限される.これまで拡大し続けてきた新自由主義経済に大打撃を与える.金融危機も進行し,国際的金融資本の世界体制とそれにもとづく米国の覇権体制が終焉する.まさに資本主義の終焉である.
 それがこのように疫病の流行によって明確になるとは思いもよらなかった.走り続けてきた人類に,少し立ち止まってこれからのことを考えよ,ということなのかも知れない.そしてそれは,立ち止まることをしないアベ政治を打ち倒せ,ということでもあるにちがいない.

 私は二年前『神道新論』を出版した.物書きでも何でもない私のようなものが,自著を出版したこと自体,福島の事故以降に生きるものであるがゆえのことであった.あのようにまとめるのに,自らが青空学園で考えてきた蓄積は必要であったが,福島の事故後に生きるということがなければ,出版はなかったかも知れない.そのもう一つの契機は二〇一三年の秋に五週間の入院をしたこともある.福島の事故と,自らの病気とそこからの回復,これが雑誌への寄稿とそれをもとにした出版を促したのだ.
 『神道新論』では,日本語に蓄えられてきた智慧としての日本神道をとりだし,そして,それとは真逆の国家神道の下にあった近代日本を照し出し,次の時代の構想と,そこに向けて今をいかに生きるかについて,考えた.
 いわば,拙著は日本語に蓄えられてきたこの智慧を取り出すための基礎作業であった.それをふまえ,いまの時代の課題,歴史の求めに応え,資本主義以降の歴史の扉を開くことについて,掘り下げて考えたい.それを求めてゆきたい.
 そのように思いながら,それを考える場として,私は街頭に立っている.

季節の変わり,世の変わり

 いつの間にか春の兆しである.わが家のハクモクレンも満開である.春の花ではハクモクレンがいちばんに花を開く.それから花海棠,そして桜へと順に花が咲いてゆく.
 こちらの出かけ仕事も学校の閉鎖にあわせて休みである.それで地元自治会の仕事の他は,もっぱら自宅で問題を作り解答解説を書いたり,また今年の入試問題を解いて青空学園に出したり,そして書きかけの原稿に手を入れたりと,もっぱら書斎での原稿仕事である.

 季節の変わり目にあわせるかのように,アベ政治が行きつくところまできた.一年前、ある雑誌に寄稿した「分水嶺にある近代日本」で,アベ政治について「ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる」と書いた.それから一年経ち,いままさに,上から下まで堕落した支配政治の下で,犠牲が広がっている.
 コロナウイルスに対してアベ政治は一月にはすべきであった水際作戦を放棄した.そしてこのように深刻になるまでPCR検査を民間にさせなかった.それは,穏便にという中国政府からの圧力と,なによりオリンピックを開催するためであった.
 オリンピックは「1%による1%のための大会」にも書いたように,西洋世界から見てもすでに歴史的な役割を終えている.コロナウイルスの蔓延は,オリンピックがもう意味ないのもであることを教える天の声である.日本の歴史では,こういう大きな転換のときに,それを教えるような天変地異や疫病の蔓延がくりかえされてきた.
 このコロナウイルスによる疫病は,アベ政治によっていっそう悪質になった.台湾の様にやっていれば封じ込めることもできたのに,もう行くところまで行くしかない段階になっている.「アベノウイルス」とも言われているようだが,まったくその通りである.
 全国一律にする必要などない学校閉鎖を,政権のやってる感の演出に打ち出し,大きな混乱を引き起こしている.教育はそれぞれの地方の教育員会の管轄下にある.これを全国統制しようとした.それどころか,この疫病を逆手にとって、緊急事態宣言というファシズム政治と,そして改憲まで狙っている.福島の地震と核惨事を逆手にとったショックドクトリンとおなじことを,コロナウイルス蔓延を逆手にとってもういちどここでやろうとしている.これがアベ政治である.

 それはやめさせねばならないし,アベ政治は今こそ終わらせなければ,犠牲が広がるばかりである.いまこそこの世のあり方を変えねばならない.その意思表示と政権打倒へ一歩前進ということで,昨日8日午後,緊急の梅田解放区があった.急な呼びかけであったが,40人近い人が集まり,それぞれに喋って歌ってとやってきた.はじめて見る人もいればいつも顔をあわす人もいる.アベ政治のあまりの酷さが人々を動かしている.

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 私はいつも横断幕のをもつのに徹することにしている.そして若者が喋るのを聴く.このように東梅田の多くの人の通る中で語ることは,今の日本ではとりわけ重要だ.私にとっては,ここに立って思い考えることが,新しい糸口を見つけたり書いている文章の改訂ヵ所に気づくなど,得るところが多いのだ.この日も表題の改訂がはっきりした.

 アベ政治は、安倍個人の問題ではない.近代日本の成れの果てが,新自由主義の時代にこのように具体的に現れてきたのだ.だから,アベを換えればよいのではない.
 社会主義陣営の崩壊以降,資本の論理そのままに動いてきたいわゆる新自由主義も,この疫病を契機に大きく落ちこむ.資本の側は労働者へのしわ寄せでそれを超えようとする.それでますます売れなくなる.新自由主義の落ち込みと停滞は歴史の必然でありる.経済第一でゆくことが最早できない段階に至っているのだ.
 アベ政治は,今必死に年金資金を用いて株を買い支えている.これまでも,アベノミクスのみかけを作るためにどれだけの年金資金を使ったのか.このまま株が下がり続ければ,年金破綻は現実である.
 このようなときこそ,われわれはこれを契機にして,新自由主義の政治と経済を変革し、こうして思いを同じくするものが街頭で出会い,生活の場では生産者と消費者が直接につながり,それぞれのところで,人として互いに敬い尊厳を認めあってゆく.それを土台にする新しい世を生みだしてゆかねばならない.みなの喋るの聴きながらそう思った.

 今週は11日の関電本社前集会や14日の定例の梅田解放区も参加できそうだ.

冬の週末

 2020年は世が大きく動く年であろうことは予想していたが,このようにウイルスのまん延が起こるとは思いもよらなかった.激動のときにこういう疫病の広がりが重なるのは歴史上いくつかあった.そしてそれがそのときの政治の劣悪さ、悲惨さを浮きだたせる.いままさにこのウイルスまん延はアベ政治の結果である.
 時間の経つのははやい.もう2月の下旬である.この週末のことごとを,後で読み返せるようにいくつか記しておきたい.
 21日金曜日は京都で最後の仕事であった.来年は神戸だけになるので,もう京都に毎週に行くということはない.それで帰りに行きつけの店によって少し食べて飲んで挨拶してきた.この京都駅前,塩小路烏丸東側の店に毎週行くようになってもう20年になるのではないか.おそらく,こちらが青空学園でいろいろ制作してきた時代と重なる.
 京都の街角に立ったときと,神戸の街角に立ったときでは,感覚が違う.京都の街は中に入っているという感じで,神戸の街は外から見ている感じである.フランスやドイツの街角に立ったときの感じは神戸に近い.京都は自分の体の一部のようだ.
 京都で仕事がある日で可能なときは早めに家を出て,あちこちまわってきた.南区吉祥院にある吉祥院天満宮はこうして行きはじめたところだ.いつも西大路の駅で降りて十条通りの手前まで歩く.火曜日18日も京都だったのでこの日も参ってきた.また,河内の国と山城の国の境の山城側の山崎の駅でおりてあちこちまわるのもこの数年のことだ.そこで撮った十七士の墓の写真は拙著にも使った.まだ天王山には登れていない.どこかでゆけるだろうか.

 22日土曜日は午前中味噌造りをした.まず,去年の冬に仕込んだ味噌を瓶からとりだしガラスの容器に移す.手に付いたのを口に入れるとこれがうまいのである.それから瓶を洗いそして,糀と塩を,大豆をすりつぶしたのとよく混ぜて瓶に入れる.半日仕事である.糀も大豆も,種からよくわかっているものを使う.今店で売っている味噌は遺伝子組み換えの大豆ばかりである.こうして自家製の味噌の味を知ると,もう外での味噌は食べられない.

 それから犬の散歩で1時間歩き,一休みして梅田の北,中津に向かう.梅田解放区の日である.中津の豊崎西公園に集まって梅田までデモをする.そしていつものところで喋る.この日の様子はたぬき御膳さんのところや,たたかうあるみさんのところにある.

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 私は最初からデモの先頭で上の写真の緑で囲んだのをもって歩いたので,私が撮ったデモの写真はない.この写真は到着してからのものである.この日の参加者は30人ほど.それに対して大阪府警の警官も同じくらいいた.それが梅田までデモの横に並んで歩くのだ.仕事とはいえ彼らはアベ政治をどのように考えているのだろう.
 梅田界隈はいつもより人通りは少なくなっている.それでも週末の梅田である.道路の半分を占拠してのデモである.すれ違う若者は何を思っただろうか.それからいつもの東梅田の一角で若者が喋る.この日ももっぱら横断幕などをもつのを手伝う.終わってから若い人らは交流会もしているのだが,こちらはここでひきあげる.

 いつのまにか2月も下旬になった.2月の初めに高校の同窓会総会があり,卒業生の著作を展示する一角も設けるとのことだったので,『神道新論』をもっていってきた.その後,そこで出会った同級の人らに拙著を送った.そのひとりのHさんからメールをもらった.彼は阪大の建築科を出て,都市での街づくりを仕事にしてきた.退職したあとは、広島県の高原の方にある里山に移り住んで,農村と都市の結びつきを模索する暮らしをしている.メールでつぎのように言ってきてくれた.

 さっそく著書をお送りいただき大変ありがとうございました。
 とても気持ちのいい本でした。問題意識を実直に追及することに感動しました。そして日本語の原点に戻って考えを整理することに新鮮さを感じます。
 地域を基盤にヒトが協働生活を持続する生き方が神道(カミのミチ)であるとして、仏も共にあるとする考え方に共感します。私は今、70戸のところで、お寺と神社の総代をしていますが、素直な気持ちで神社をみることができそうです。

 私の方は『神道新論』をふまえて,今の時代に次にまとめるべきことを模索している最中である.そういうときに,自分の理念を持っていろいろやっている人からのこのような言葉にはほんとうに励まされる.こちらの考える方向にも示唆を受ける.感謝である.

街頭で語ることも第一歩

 昨日は寒い日であった.定例の 梅田解放区 に参加してきた.この日の朝はとなりの自治会の餅つき大会.例年そこの会長さんが誘ってくれるので,今年も出かけて、つきたての餅を,きなこやあずき,おろし大根などでいただく.おろし大根をつけたもちのうまいこと.主催者の衛生管理もたいへんなようだ.それからもどってひと仕事して,夕方大阪に出る.
 梅田東の場所に行くと,GoWest ComeWest の人らが街宣をやっていたので,まずその旗もちを手伝う.そして5時半からいつものように,みな語りはじめる.こちらはいつものように横断幕をもつのを手伝う.

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 東京に住んでいたが,体の調子がどうにも悪くなり,大阪に来てやっと元気にやれるようになった人がその経験を語る.いまも東京に行くと調子が悪い.放射能への感受性は人によって違うだろうが,東日本が汚染されている現実を語る.
 この4月から,いわゆる働き方改革の一環として労働者派遣法が改定され施行されるが,それを理由に派遣会社から雇い止めをいわれた人がそのことを語る.何が「働き方改革」なのか.月曜日から職安通いになるともいっていた.
 辺野古に行って来た人からも報告があった.軟弱地盤がはっきりとし,とても基地を作るどころではないのに,あの美しい海に今も土砂を投げ入れている.アメリカ軍を引き留めるため,そして工事業者の利権のために,工事が進む.
 イギリスで長く暮らし日本に戻ってきた人は,日本では非正規で働いているが,そこから見える日本の労働の現実を語る.そして,この日本で原発を動かすことの恐ろしさを語る.
 京都の丹後・宇川の街に近い米軍基地の反対運動を続けいている人も,京都からやってきて、語る.この基地のことは 赤旗のこの記事 に詳しい.そして彼はギターを弾きながら歌う.
 その他にもまだ数人が語る.30人近くが集まっていた.そしてみなで写真を撮ったところで,こちらは戻ってきた.若い人らはそれから交流会をやっている.

 私は横断幕をもちながら,日本の世の中が底の方から崩れていることを思わずにはいられなかった.人が人として生きられない世になっている.人を人として尊ばない世になっている.これは資本主義の非人間性が末端まで及んでいるということだ.
 3.11をショックドクトリンとして利用し,惨事便乗型資本主義として現れたのがアベ政治である.やりたい放題の新自由主義の段階であるがゆえに,この資本主義は、人を金儲けの資源としか見なさない.それが雇用の現場だけではなく,世のあらゆるところにおいて,人を人とみなさないことがまかり通っている.それに歯止めがかからない.

 私は今,前著の展開として,核炉崩壊以降について,その意味と,そして考えるべきことについていろいろ書きためている.まだまだ書くべきことがある.こうして街頭に出て,若い人らの思いのつまった語りを聴くことは,いろいろ考えさせられ,また書くべきことごとを教えられる.
 この日本の現実からの活路はあるのだろうか.誰かが言っていたが,こうして街頭に出て語ること,それもまたその活路をひらく第一歩だということはまちがいない.そしてやはりそういうものたちの団結だ.労働者,団結権基本的人権,これらはもう今は死語なのか.いや、そうではない.これを取りかえすのだ.道は遠そうであるが,できることをやってゆきたいと思った.