街頭で語ることも第一歩

 昨日は寒い日であった.定例の 梅田解放区 に参加してきた.この日の朝はとなりの自治会の餅つき大会.例年そこの会長さんが誘ってくれるので,今年も出かけて、つきたての餅を,きなこやあずき,おろし大根などでいただく.おろし大根をつけたもちのうまいこと.主催者の衛生管理もたいへんなようだ.それからもどってひと仕事して,夕方大阪に出る.
 梅田東の場所に行くと,GoWest ComeWest の人らが街宣をやっていたので,まずその旗もちを手伝う.そして5時半からいつものように,みな語りはじめる.こちらはいつものように横断幕をもつのを手伝う.

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 東京に住んでいたが,体の調子がどうにも悪くなり,大阪に来てやっと元気にやれるようになった人がその経験を語る.いまも東京に行くと調子が悪い.放射能への感受性は人によって違うだろうが,東日本が汚染されている現実を語る.
 この4月から,いわゆる働き方改革の一環として労働者派遣法が改定され施行されるが,それを理由に派遣会社から雇い止めをいわれた人がそのことを語る.何が「働き方改革」なのか.月曜日から職安通いになるともいっていた.
 辺野古に行って来た人からも報告があった.軟弱地盤がはっきりとし,とても基地を作るどころではないのに,あの美しい海に今も土砂を投げ入れている.アメリカ軍を引き留めるため,そして工事業者の利権のために,工事が進む.
 イギリスで長く暮らし日本に戻ってきた人は,日本では非正規で働いているが,そこから見える日本の労働の現実を語る.そして,この日本で原発を動かすことの恐ろしさを語る.
 京都の丹後・宇川の街に近い米軍基地の反対運動を続けいている人も,京都からやってきて、語る.この基地のことは 赤旗のこの記事 に詳しい.そして彼はギターを弾きながら歌う.
 その他にもまだ数人が語る.30人近くが集まっていた.そしてみなで写真を撮ったところで,こちらは戻ってきた.若い人らはそれから交流会をやっている.

 私は横断幕をもちながら,日本の世の中が底の方から崩れていることを思わずにはいられなかった.人が人として生きられない世になっている.人を人として尊ばない世になっている.これは資本主義の非人間性が末端まで及んでいるということだ.
 3.11をショックドクトリンとして利用し,惨事便乗型資本主義として現れたのがアベ政治である.やりたい放題の新自由主義の段階であるがゆえに,この資本主義は、人を金儲けの資源としか見なさない.それが雇用の現場だけではなく,世のあらゆるところにおいて,人を人とみなさないことがまかり通っている.それに歯止めがかからない.

 私は今,前著の展開として,核炉崩壊以降について,その意味と,そして考えるべきことについていろいろ書きためている.まだまだ書くべきことがある.こうして街頭に出て,若い人らの思いのつまった語りを聴くことは,いろいろ考えさせられ,また書くべきことごとを教えられる.
 この日本の現実からの活路はあるのだろうか.誰かが言っていたが,こうして街頭に出て語ること,それもまたその活路をひらく第一歩だということはまちがいない.そしてやはりそういうものたちの団結だ.労働者,団結権基本的人権,これらはもう今は死語なのか.いや、そうではない.これを取りかえすのだ.道は遠そうであるが,できることをやってゆきたいと思った.

 

 

春節のアベやめろデモ

 この数日は午後四時前から神戸で仕事である.25日は,少し早めに家を出て,神戸の南京町を歩いてきた.三宮から西に10分ほど歩き,さらに南に曲がって少し歩くと南京町である.阪神淡路の地震のときにこの街は崩れた.それから25年である.

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 ここは明治の初めから神戸に住む華僑の人らの店が並ぶ界隈である.また南京町商店街の振興組合のページもおもしろい.この街の歴史についていろいろ教えられる.
 ちょうど時節は旧正月春節である.この道にも,いろいろ春節の提灯飾りも出ていて人で賑わう.いつもより人通りも多い.阪神地震のときに,出自の異なるいろんな人らが多くの苦労をともにしたことで,この街がより人に開かれた街になった.
  私はこの街を歩くのが好きで,よく散策する.神戸の街は京都とちがい新しい.そのなかで南京町は近代神戸と同じだけの歴史をもっている.
 あまり何か買って立ち食いするということもないのであるが,多くの店がいろいろと焼いたりふかしたりしながら売っている.それらの店をのぞきながら歩く.あとで仕事がなければ中国酒もうまいのであるが,それは控えて歩く.

 それから授業をして,三宮から梅田に向かう.今日は,梅田解放区の日で,中津の豊崎西公園から梅田までデモがある.これに参加しようと阪急梅田駅で降りて北に歩く.しばらく歩くと向こうからデモ隊列がやってきた.

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 これに加わる.そして横断幕をもつのを手伝う.この日はアメリカだけでも100都市以上でイラン攻撃に反対するデモがあった.それとの連帯の大阪デモと位置づけ,土曜の梅田の人で混雑する道を歩く.楽器もいろいろ,声もいろいろあり,ずいぶんと訴える力のあるデモであった.
 ガードをくぐり,いつものように梅田東の場所でみながしゃべる.この日は70人ほどの参加であったようだ.よく聞き取れなかったのだが,中国語で喋る人もいた.また,最近ここにくるようになった若い在日の韓国人の青年もしゃべる.彼は梅田解放区は植民地支配に対する責任問題にちゃんと向き合っているとのことを言っていた.若い人の発言を聞きながら,こちらはいつものように横断幕を持ち続け,そして戻ってきた.

 そして,26日午前中は自治会の用事があった.そのあと一休み.昼を食べてから家を出てこの日の午後も南京町によって,それから仕事にいった. 街中の広場では唐様の獅子舞がなされていた.黄色い色の獅子が鐘の音に合わせておどる.この一角は南京町の中心の広場である.ここに,誰かわからないが聖人の碑もある.

 三日ほど前,いろいろな文書を整理し,当面すべきことなどをまとめた.二月第1週くらいまでに問題を4題作らなければならない.地元自治会の用事もいろいろある.問題ができるまで,原稿書きに気を向けるのは難しい.しばらく中断だ.それでもこんなときこそいろいろうかぶので,それは記録しておく.やることがたくさんあるのはそれでよい.それでも,できるだけ街頭には出たいと考えている.そこがやはり新しいことがうかぶ一つの場であるからだ.ということで,今年もはや一月下旬である.

アベ政治を終わらせるとは

 今年の冬は暖かい.小さいころ,寒い日に,通りに面した部屋に日の光が入り,畳の一角を照らして,そこが暖かったのを今も覚えている.小学生のころではないか.関東は寒そうだが,関西はこのところ暖かい日が続き,日の光が入る暖かさは実感できない.
 さて,1月19日の日曜日,時間をつくって大阪難波の新町北公園で行われた『国会開会前市民行動 ”桜を見る会” 私物化、幕引きはさせない! 安倍政治を終わらせよう!』 に参加してきた.14時から集会,そして,14時40分から御堂筋へ出て南へデモ,もういちど難波へ戻ってきた.日曜日に連続して御堂筋をデモしたことになる.

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 主催は,おおさか総がかり行動実行委員会であった.集会には共産党の国会議員の清水ただしさんや,社民党から選挙に出た大椿ゆうこさんなどが発言し,またデモ行進の先頭で,道ゆく人らに呼びかけていた.
 こちらは始めから終わりまで,いつもの梅田解放区の「安倍やめろ」の横断幕をもって歩いたので,前からの写真はない.多くの人が集まり,デモ参加者は350人とのことであった.
 家に戻ってから犬の散歩でも歩くので,この日はあわせて2時間半は歩いたことになる.この年になると,デモで歩くのは,体を動かすうえで意味が大きい.

 その前日18日は,日本労働党の『新春講演会・旗開き』に顔を出してきた.私の高校と大学の同級の由良さんが京都府員会の委員長をしている.労働党が1974年にできたときからこれまで,1号も欠かさず毎月機関紙を送ってくれてきた.昨年12月に彼に会ったときに,いちどいってみようかといったので,案内を送ってきてくれた次第である.
 党の中央委員長で労働党設立者の大隈鉄二氏が2時間以上にわたって講演された.もう91歳と司会が紹介していたが,たいへんお元気であった.それから旗開きであった.私の方は,夜も用事があったので,早めに出た.大椿ゆうこさんも来ておられて,同じ時間に出でられたので,新大阪駅までいろいろ話をしながら歩くことができ,名刺も交換した.といってもこちらの名刺は自治会長のもの,それしかない.
 それから京都駅までいき,行きつけの店で講師の新年会に出てきた.みな来年からの共通テストに批判的であった.センター試験から共通テストへの移行は,国家試験まで民営化してゆこうとするアベ政治の政策である.私は試行問題として出されたものの2年目の数学の解答を作った.そのときわかったのだが,あれは数学の問題ではない.論理の言葉遊びである.これはアベ政治の下での日本の教育の劣化そのものではないか.それでも受験生はこんなテストに負けずに,自分の勉強するべきことのために,時間と場を手に入れてもらいたい.

 これが週末と日曜日であった.この間『神道新論』の続きの原稿が頭から離れなかった.できたところまで刷りだしたものを,いつももってあるいていた.この2日,「安倍やめろ」の人らとともにいたのであるが,アベ政治というのは安倍個人の問題ではない.アベ政治は,日本の根なし草近代の成れの果てであるというのが,私の考えである.であるから,アベ政治を終わらせるとは,安倍個人をすげ替えればよいというものではない.
 福島の核炉崩壊以降の地点に立って,この根なし草近代の成れの果てとしてのアベ政治を終わらせるとはどのようなことであり,どのようになされねばならないのか,そして次の時代をどのようななかみで,どのような方法で創ってゆくのか,そこから考え,資本主義の終焉という普遍的な問題の中での,日本固有の問題がどのようにい位置づけされるのか.そのうえで固有性を尊重しあう国際連帯はどうあるべきなのか.このあたりを考えまとめたいと思っている.
 東洋の島国の日本は,当面このまま没落してゆくだろう.高度経済成長のときに一旦は隠されたが,その前の時代,戦後日本は「ものまね日本」であった.こちらから発明したり工夫したりするのではなく,他でなされてきたことを,勤勉に丁寧にものまねしているだけではないか.そういわれていた.ものまねのうまさがあの経済成長を生みだしたのだが,21世紀に入り経済は停滞しはじめた.それでも利潤を出すために,規制を順に取り払い,派遣法も改悪した.働く人の4割が使い捨ての非正規になっただけでなく、その結果経済的事情で結婚できない人,子どもを育てられない人が激増して、世帯数が減少し人口の減少が続いている.こうして資本主義の終焉の時代を迎えて,内から作り出す力のない衰退国家となり,大きく没落しはじめている.
 そこからの再生は,内からの根のあるものでなければありえない.そのためになし得ることをしなければと思っている.街頭に立ち,多くの人と共にあることは,私にとって考える場そのものである.しかしなかなか進まないのが今の状況である.まだまだ身を切るほどは考えられていない.それをふくめていろいろ考えさせられる時間であった.

とんと祭

 明日は阪神淡路の大地震から四半世紀,二十五年である.あの日の朝のことは忘れられない.新幹線もまだ動いていない早朝であった.伊丹では新幹線の高架が倒壊した.もし山陽新幹線が動いていたらどうなっていたか.阪神高速も倒壊した.一つ一つ思い起こす.
 その日からしばらくは,瓦礫の街を,歩いたりバスで移動したりを続けていた.今にして思えば,アスベストのまうなかを行き来していたのだ.子供らもマスクをせずに通学していたのではないか.
 四半世紀経っても一つ一つ覚えている.そして、今になっていろいろ考えることは多い.

 15日はどんど焼き越木岩神社へ参ってきた.正月の箸や門松などを焼く.それをまとめて自転車に積んで,神社まで行ってきた.この祭りについては昨年の「とんと祭」に詳しく書いたのでくりかえさないが,大勢の人が順にやってくる.こういう行事は大切だとあらためて思った.
 神社が少し樹の茂みをひらいて駐車場を拡げたのは仕方がないとも言えるが,去年,「ここの森は原生林である.このような磐座を古くから守り祈り,そしてその周りの原生林が守られてきた.これは大切なことだ」と書いたように,やはり何とかならなかったのかと思った.確かに車で来る人が増えたのも事実なのだが.
 そして,1年は長くもあり,早くもあることを実感する.昨年,この「とんと祭」の最後に,「『神道新論』はその思想的な土台作りの試みの一つであった.やはり,もっと深めねばと思った次第である」と書いているが,もっと深めることが,どれだけできただろうか.
 この1年ということで言えば,2019年10月15日付の『人民新聞』1696号で杉村さんが拙著への書評を書いてくれ,これに対する返礼の手紙を2019年10月25日付の『人民新聞』1697号に寄稿した.それに対して杉村さんから「どうぞこの線でさらに思索を深化されることを期待しています」とメールをいただいた.考えれば大きな課題をいただいたのだ.
 その『人民新聞』新年号が『未来への大分岐』を編集した斉藤幸平さんへの対話を「資本主義『以降』を構想する」と題して載せている.読んで,ほんとうの課題はその次なのだと思った.そこがなければ現実ではない.
 資本主義以降という問題は普遍的に提起される.しかし,現実には固有性をもって現出する.その固有性の場での把握と問題の解きほぐしが不可欠である.『神道新論』はそれをやろうとした.ここから現代の課題にむきあい,これらの西欧の現代思想とさらに大きくむすびつつ深い普遍の場を拓いてゆかねばならない.そのための基礎的準備が拙著であった.
 それをふまえて,書きためたのもの集めて,その改訂からはじめている.書きながら,歩きながら,街頭に立ちながら,考えている.いつまでも『神道新論』のところにたちどまっているわけにはいかない.

 以下は「年末年始」に追伸として載せていたのだが,やはりこちらが適切と考え移した.
 11日と12日は今年の最初の街頭であった.
 12日(日)は,「御堂筋占拠」の集会とデモに参加してきた.「安倍やめろ」のもとにこの日は全国のあちこちで統一して行われた.大阪では,難波の元町中公園に集まり集会とそしてそのあとデモに出る.年頭の大阪の街を1時間半ほどデモしてきた.デモの終わり頃にはおよそ300人ほどにふくれていた.
 デモに出てしばらくしてからは横断幕をもって歩いたので,行進の前からの写真はない.難波界隈の人通りの多いところを歩いたが,町ゆく人のデモを見る目がこれまでと少し違い,共感をもって見ているのが伝わってきた.
 新宿占拠のデモの様子は田中龍作さんも報告しておられる:「アベ辞めろ」久々の大規模デモ 怒れる人々が参加.また「特別な1日」さんの東京の報告も読み応えがある.

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 11日(土)は定例の梅田解放区に参加した.これまでにない参加者数で,30人はいただろうか.人々がこういう場を求めていることを実感した.

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年末年始

 年末から年始へと時が過ぎた.この間のことごとを,自分のために記しておきたい.
 12月27日と28日の夜は地元自治会の年末夜回りであった.26日は雨で中止したので,2日間,10人前後で「戸締まり用心,火の用心」と声をあわせながら町内をまわる.これを済ませてようやく気持ちも年末ということになる.
 29日から31日は正月準備である.といってもこちらは料理をしたりするわけではなく,門松を飾ったり雑煮の茶碗を出したり,三宝鏡餅を飾ったりというだけである.大掃除もした.
 元旦は集まる者が集まって雑煮をいただき,越木岩神社に初参りをする.それから昼も一緒にいただく.そして皆それぞれのところに戻り,こちらは2日,3日と重箱の残り物を片付ける.
 3日は犬を連れて甲山の向かいの丘まで歩いた.昨年は「年の瀬」に書いたように年末にいったのだが,今年の年末は雨がちで,ようやく3日にゆくことができた.自宅から半時間である.甲山の中腹にある神呪寺,甲山大師は古くからの寺であり,江戸時代には大阪からの参拝者が山道を歩いて参った.向かいの丘からも初詣の人がよく見える.鐘の音も聞こえる.甲山の東の方には,あいだに武庫川があり,山がつながっているのではないが,北摂の山々が見える.

 4日の午後から夜は,杉村さんや脇浜さんらと山田さんの家で新年会をした.話をすることも多くあり,こちらは前著の次をどのように作ってゆくかもいろいろ考えさせられた.
 5,6日は問題づくりの仕事始め.そして7日は京都で仕事.少し早く家を出て,京都市南区吉祥院天満宮と東寺に初詣をしてきた.吉祥院は母の里,この天満宮を知ったのは2012年だが,吉祥天女をまつる堂もある.このあたりは何か懐かしく心安まる.そして西大路十条からバスにのって東寺の南門で降りる.空海にはじまる東寺の境内をあちこち歩く.そして東門から出て門前の街並みのあいだをぬけて,油小路を北に曲がり京都駅北側の教室まで歩く.京都の裏通りを歩くのはほんとうにいい.

 そして今日9日は自治会の役員会であった.昨年末の諸行事をふりかえり,春の日程や今後の予定,回覧板などの段取を協議した.ここまできて、これでようやくに年を越したという思いである.

 年末年始に考えた事々:

 われわれは今,福島原発の核炉の崩壊にはじまる核惨事の歴史のなかに生きている.いろいろな報告を読んで,実際、今核惨事の中にあるのだとわかる.この時代区分は,千年は続くであろうと考えられる.しかしそのことを覆いかくし,終わったことにする勢力が今の日本を支配している.報道機関と政府があげてオリンピックで福島を覆い隠そうとしている.だが,いかに覆い隠そうとしても,核惨事の中にある厳然とした事実は,さまざまのところで現実化する.
 九年前に福島原発の核炉が東日本大震災で崩壊した.それ以降の日本は,これを天の声と聞き,変わらねばならなかった.近代の世のあり方を問い返さねばならなかった.しかし,それどころか,これをいわゆるショックドクトリンとして利用し,民主党から政権を奪いかえし,そして国際資本に日本を売り尽くす悪代官の政治がおおっぴらになされてきた.それがアベ政治である.
 東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は,かつての十五年戦争の敗戦につぐ近代日本の第二の敗北である.近代日本に内在する基本的な問題が,二つの敗戦に通底している.この過ちを三度くりかえしてはならない.従来の道を改めなければならない.
 そのためにこそ,資本主義の終焉を見すえ,資本主義以降を構想する.また,次の時代を創ってゆく運動の一環であることをおさえつつ今を闘う.このことが現代の歴史的な課題である.
 私は前著『神道新論』で次のことを述べた.

この課題は,一般化された議論では不可能であり,それぞれの固有性に根ざした思想とそしてその運動を経なければ不可欠である.そして,日本語に蓄えられてきた智慧としての日本神道は,次の時代の構想と,この時代をいかに生きるかについて,深く示唆している.

  前著は日本語に蓄えられてきた智慧を取り出すための基礎作業であった.それをふまえ,時代の課題,歴史の要求にあらためてなしうるところから応えたい.これを今年の課題としたい.

年末デモ

 昨日の日曜日は12時から大阪北の中津にある豊崎西公園で「12・22 韓国敵視・自衛隊イラン攻撃反対! 安倍政権倒そう! 年末デモ」があり,参加してきた.3時過ぎから神戸で仕事だったので,デモが阪急梅田駅横まで来たところで抜けて三宮に向かった.
 主催したのは,12・22年末デモ実行委である.アジア共同行動,釜ケ崎パトロールの会,梅田解放区など6団体で構成されている.豊崎西公園にあるタコの滑り台の前におよそ60人が集まってくる.集会では,それぞれの代表が語り,また,韓国の原爆被爆者を救援する市民の会の活動を長くやってこられた人,日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの人らがそれぞれ発言した.
 いろいろ考えさせられる発言が続いた.日本の侵略戦争や植民地支配の歴史を視ようとしない今の政治風潮のなかで,逆にこの歴史と向きあいそこからどのように生きてゆくのかをそれぞれが模索し,それが語られる.いつも梅田解放区で見かけるATTAC関西グループの人が,こうして街頭で語りかけることで、少しずつではあるが若い人らが参加してくるようになってきた.これからも地道に続けてゆきたいと言っておられた.
 それから梅田の方に向かってデモに出る.日曜日の昼時である.公園のあたりはそうでもないが,梅田近くまで来ると,通りは人で一杯である.2車線の道の半分を埋めてデモをする.道ゆく人らはどのように聞いただろうか.

 香港の中学生や高校生大学生があのように街頭に出て闘っているのに,なぜ日本の若者は怒らないのか.没落する国の現実が否応なく吾が身に迫らなければ,気づかないのか.あるいは,いろいろな困難があっても,自分の責任だと考えて,反抗しないのか.
 なぜか.これについてはすでにも書いてきたが,近代日本の学校教育が,ものごとの根拠を問うことを教えない教育であったことが大きい.戦争の責任は問いつめない.「原発は安全だ」と言われればそのまま受け入れる.このように仕込まれてきたのだ.この現状を変え動かしてゆくのは,集会での発言にあったように,地道な呼びかけを続け,できる行動をすることである.
 また,ながく続くアベ政治自体が,安倍晋三の個人的な問題ではなく,近代日本の成れの果てとして現れてきたものであり,晋三を取りかえて終わるものではない.安倍をやめさせることは,この国の政治のあり方を根底から動かし変えてゆく始まりに過ぎない.それは,今の世の人と人との関係のあり方を変えてゆくことが内実として伴わなければならない.そしてまたそうしなければ人々が人として認められ互いに助けあい生きてゆける世にはならない.その途は遠いかも知れないが,それを生みだしてゆくのだ.歴史が求めることは,時間がどれだけかかっても現実になる.

 それでもこうして冬の日曜日の昼に人々が集まる.このような人々の存在と横のつながりは希望である.この12月に会った2人の友人との関係も,個人的な思いは別にして,この横のつながりの一部である.
 そして,仕事の帰りに駅から自宅まで道を歩いていて,一歩一歩踏みしめて歩くことの大切さを思った.足を地に着けて、根のある言葉を掘り下げつむいでゆく.根なし草の日本近代を乗りこえてゆくための基礎作業を深めたい.その一部でもあるのだが,学問としての高校数学も,もう少し深めたい.
 私は,かつてはある党派に属し,その専従もしていたのであるが,今はまったくの個人である.町内会以外の一切の組織や運動団体に属することなく,こういうことを考えている一個人として,これからもこのような場に出てゆく.組織に属さない市民が参加することの大切さが,かつていろいろ主催する立場にあったがゆえに,よくわかる.同時に私にとっては,街頭に立って考えることで,新しい視点を得る機会となる.実際そのような経験を経てきた.これからも参加してゆきたい.この日の集会とデモは,来年の自分の課題をいろいろ考える場となった.

追伸25日:昨日まで4日間,いわゆる冬期講習だった.3年生と2年生のクラスで授業をした.いろいろと追加問題などを配り,いっしょに考えた.十数年前の問題とその当時こちらが作った解答などを準備し,いっしょに考えると,もっといい解法が出てきたりと,なかなか楽しかった.私なりに充実し得るところが多かった.この二十年,青空学園をやってきたが,その営みの根底には,やはり高校生とのやりとりがあることを再確認した.
 二十数年前,私がそれまでのいろいろな活動に破れ,路頭に迷おうかというときに,「お前は高校生に数学を教えるしか能がないのだから」と塾での仕事を紹介してくれた,かつての市芦での同僚であるT先生の言葉を思い出した.自分の原点を再確認する四日間であった.

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核炉崩壊以降に生きる(二)

 14日土曜日鹿砦社から『NO NUKES voice vol.22』『紙の爆弾』2020年1月号増刊』が届いた.季刊で出されるこの雑誌『NO NUKES voice』は『紙の爆弾』の増刊として出されているが,いつも献本としておくってくれる.ほんとうにありがたい.何とも読むところの多い雑誌である.1日がかりで読み通した.
 今が核炉崩壊後の世界であることを覆いかくし,終わったかのように見せかけようとするものが支配している世にあって,鹿砦社の雑誌『紙の爆弾』とそしてその増刊の『NO NUKES voice』は,今の世のほんとうの姿を伝える.
 それにしてもものすごい取材である.取材力に感銘する.今年は鹿砦社ができて五十年だそうである.こちらは仕事でいけなかったが,先日はその記念集会も,東京と西宮であった.京都で『季節』という雑誌に出会ってからなので,確かに半世紀が経っている.


 昨日,15日日曜日の午後は時間がとれたので,「原発被ばく隠し・2020年事故幕引きを許さない大阪集会2」に参加してきた.「2」というのは2回目ということである.天満のPLP会館が会場であった.福島や関東からの避難者がそれぞれに語る.政府は2020年のオリンピックでもって,この事故が終わったことにしようとしている.しかし、この核惨事は今も続いている.事故以前とはまったく違う世界に生きているのだ.報告を聞きながらそれを実感する.
 日本政府の避難者への冷たい対応を聞くと,まさに「人でなし政府」そのものである.そしてその政府のもとで,あらゆる分野で日本が没落してゆく.
 それでもここには,この現実を何とかしようとの思いを同じくする人が100人近く集まる.次の時代の芽ともいうべきことだとも思う.集会のあと15:40に天満から梅田までデモ.そして,いつも梅田解放区をやっているところで集会をしてきた.

 今日16日の夕方は,それこそ半世紀近く前の京都ベ平連の時代からの友人の田村さんがくる.広島から京都に来て,それから長く大阪で労働運動をやってきた.彼は広島の北の方の集落にある神社の後継ぎである.広島と大阪とを行き来している.大阪に出てきているので会いたいとのこと.
 拙著『神道新論』をこの前10月中頃に会ったときに渡したら読んでくれて,もう10冊ほしいと言ってくれた.彼は今の国家神道には反対で古神道だという.私は今の問題だとかんがえるので,古神道の「古」はとって「神道」というのだが,私の言うことと通じる.
 少し話したいということで本をとりにうちに来ることになったのだ.こちらのこれからの方向を模索しているので,考えるきっかけが 得られればと思っている.
 駅まで迎えに行く.田村さんは広島の地酒の賀茂泉をもってきてくれて,飲みながら二時間ばかりいろいろ話して戻っていった.うまい酒だった.かつてのベ平連の仲間が,半世紀を経てこうして神道を軸に語りあうことになるとは思ってもみなかった.彼は広大の理学部の生物出身だがその広大時代の同窓会が大阪であったそうだ.そしてそこで出会った滋賀にいる同級生と明日会うそうだ.そのときこれを渡したいと『神道新論』を持って帰った.この同時代に生きるわれわれの来し方行く末を思わずにはいられなかった.
  彼から,アーリア人ゾロアスター教についていろいろ教わり,また本も紹介してくれた.自著の一部に書いたことをもう少し広い視野でつかむこともできた.

 明日は京都で授業だが,その前に日本労働党京都府委員会の委員長をしている由良さんに吉祥院の事務所で会う約束だ.彼は高校の同級で一緒に京大理学部にいった.その後彼は探検部に入り,そして南米の探検から帰ってきて,大学闘争の終わり頃に飛び込み,大学を中退した.それから空港反対運動で淡路島に住みこんだ.彼からは,高校時代にいろいろな考え方ということを学んだ.前に会ったとき,彼にそのことを話すとまったく覚えていないという.さて,今どんな話をするか.
 追伸17日:今日は3時から4時過ぎまで,吉祥院にいた.京都市南区吉祥院は母の里.その家はもうなくてそこには工場が建っているが,西大路の駅で降りてそのあたりをひとまわりして,それから彼の事務所にいった.
 彼と話せばきりがない.もう半世紀前の高校の同級生が,68年のあの時代以降の時代に,それぞれしなければならないと考えたことをやってきたのだ.彼が高校のとき,夏休みに学校に泊まり込んで光の回析の実験をしていた.それをまとめてガリ版刷りの冊子を作った.それがこちらの押入れから出てきたので,もっていって渡した.学問としての高校物理の実践だった.
 彼は根っからの物理の人だった.大学1年のときも物理の講義のここがわからないといっていたのを覚えている.私には何のことかわからなかったのも覚えている.彼がそれから,この道に入ったのは,物理以上にやらねばならないことに出会ったからだろう.それは認めるのだが,あの物理の才能がそのままになったのは,正直惜しい.
 田村さんといい由良さんといい,話すと時間がすぐ過ぎる友人だ.友人に恵まれたとも言えるし,逆にまたそれぞれの歴史への責任も感じるというのが今の思いである.