行動しなければ

 昨夜は定例の梅田解放区であった.この日は東京でも官邸前で集会があった.第2第4土曜は東京と大阪でやることになっている.行動しなければ何も変えることはできない.これがこのように集まる人たちの共通した思いだろう.直接行動を積み重ねることが大切だ.
 小雨がふっていたが,大阪北の中津の公園にゆくとおよそ20人が集まり集会が始まっていた.それからいつものように東梅田までデモをする.デモでは,こちらは先頭で横断幕をもつのを手伝う.
f:id:nankai:20210124080304j:plain
 そして梅田でも雨が続いていたので,この日は高架下にあつまり,道ゆく人に呼びかける.

  あなたが変われば政治は変わる!
  自粛ではなく補償を!
  オリンピックを中止して医療体制の拡充を!
  菅政権打倒!

 梅田界隈はいつものように多くの若い人が,みな何ごともないかのように行き来する.人通りは少しも減ってはいない.こちらの呼びかけが彼らにどれほど届くのかはわからないが,心の片隅には残ってほしい.f:id:nankai:20210124080327j:plain
 新型コロナは,実際のところインフルエンザ流行のときと同じように冷静に対応するしかない.ところが,商業活動の縮小や都市の封鎖,そして緊急事態宣言云々と大騒ぎである.通勤時が一番感染しやすいのに,そこは対策を立てず,補償なしの営業の自粛要請ばかりである.
 コロナの蔓延そのものは、資本主義が地球を極限まで開発したために、これまでは野生動物の中や極地の氷の中にあったウイルスが人に移動して始まった.地球や人を金儲けの資源としてしかみない資本主義がもたらした地球環境変化の結果の一つである.
 資本の側はこれを機に,老人を削減し,零細企業を潰して大資本の下に再編しようとしているのではないか.だから放置しているのではないか.コロナ渦による農業危機を口実に遺伝子組換え作物を増産し,商業的農業をもっと世界大に拡げてゆこうとしている.こうして資本主義は疫病の蔓延をも世界の再編に使う.
 コロナ渦との闘い,気候変動との闘いは,資本主義との闘いである.ある意味,コロナ渦は,資本主義こそが問題の根本であるという,いまの世の有り様を可視化した.

 終わって帰途につく.道すがら,いま手を入れはじめている「根のある変革のための試論」について,いろいろ考えがうかんできた.このような行動に加わり,街頭に出ることで,新たな視点が加わる.この試論については,これからもっと手を入れてゆきたい.

 また,『人民新聞』の最近号で,「コロナ禍の世界 新年対談 エッセンシャルワーク・マイノリティ 労働を差別する資本主義をなくすために」と題して,社会学者の菊地夏野さんと酒井隆史さんの対談が2号に分けてのっている.前編後編 とここで読める.これにはいろいろと考えさせられた.
 いま,生産者と消費者が直接につながり共生する地道な取り組みが広がっている.わが家も野菜はほぼすべて有機栽培.山の方の農家が運んでくれるのと共同購入の会のと.このような営みを、資本主義からの転換の運動として横に繋いでゆくことができないものか。

 そして日本の没落が止まらない.政治や経済での没落,政治家の人としての没落.報道機関の崩壊,これを許してきた世の没落.行きつくところまでゆくしかないのかとも思うが,犠牲が大きすぎる.

  ここまで書いて,川口真由美さんの「このクニに生きて」を思い起こしもういちど聴いた.これはやはりすごい歌だ.10月25日にこの梅田解放区でお会いしたが,またじかに聴きたいものだ.彼女のつながる世界,ここには希望がある.
 これらについてはここで書き足してゆきたい.

年のはじめに

 昨夜は,東京と大阪で土曜行動の日であった.こちらは東梅田の街頭で横断幕をもつのを手伝ってきた.寒かったが街頭行動に最後までつきあってきた.サックスをもつ人が3人、語りにあわせてそれを吹く.
 それにしても、スガを首相のままにしている現在の政治のこの酷さである.なぜ人々は立ちあがらないのか.大きなデモやさらにストがあらねばならない状況であるがそれはない.しかしそれを言っていてもしかたがない.できるところからはじめるしかない.ということで東梅田の街頭に立つ.

f:id:nankai:20210110145150j:plain

 この日語っていた人のなかで,たたかうあるみさんのブログには彼のあいさつ文がのっている.
 また,慰安婦問題に取り組んできた人も語る.韓国地裁が慰安婦訴訟で日本政府に賠償を命じる判決を下した.これは当然の判断であり,大いに歓迎する.それに対して日本政府は,菅首相を筆頭に,断じて受け入れられないと猛反発している.これを批判して報じる報道も,そもそも野党からの批判さえ何もない.
 「日本軍「慰安婦」被害者たちに賠償を命じたソウル地裁判決を支持する」とのアピール全文がここに紹介されている.元はここにある.
 実際,歴史に向きあわず,植民地支配を省みず,それをそのままに,ただアメリカに従属してきた戦後政治の成れの果てがアベスガせいじであり,この韓国地裁の判決は逆にこの戦後日本を照射する.それだけの意味をもつものだ.
 しかし日本の多くはその意味をつかめない.今や日本はこのアジアの中でも遅れた没落した国になりつつある.経済的にも,政治的にも,そして何より人の道において,2021年は日本の没落が誰の目にも明らかなこととなるだろう.
 また新型コロナの疫病対策におけるスガ政権の無策・無力は悲惨というべき段階に来ている.気候変動の問題,そして新型コロナウイルスという疫病の蔓延は野放図な資本主義の必然の結果である.資本主義の枠の中でこれを越えることはできない.それどころか,資本主義はこれをいわゆるショックドクトリンとして用い,新たなファシズム支配を進めている.

f:id:nankai:20210110145225j:plain

 スガ政権もこれにのって,緊急事態宣言を出しまくっている.福島の事故を受けた原子力緊急事態とコロナ緊急事態と,二つの緊急事態が日本列島を覆っている.
 先日3日は,コロナ生活補償を求める大阪行動にも少し参加してきた.年末年始ととりくまれてきたのだが,他の日はいけなかった.いくと多くの人が大阪市役所前で行動していた.

f:id:nankai:20210103125739j:plain

 2021年は,資本主義のままではもうどうすることもできないこともまた明らかになってゆく.いかなる道筋で資本主義を終わらせるのか.それは人民の下からの闘争の積みあげしかない.
 資本主義経済を越えて生産者と消費者が直接につながり共生する,そのような地道な取り組みの積みあげと,そして人民の闘争である.これが資本主義を転換してゆく土台である.しかし近代日本においては,人民闘争は弱いものでしかなかった.人民の闘争によって資本主義を終わらせ,次の時代を開くために今何を準備しなければならないのか.
 この問題は,世界中のそれぞれの地で言えることである.とすればそこには普遍性と固有性という問題が存在する.
 日本においては,根なし草近代という固有の問題が根底にある.これは奥の深い問題である。誰もが識っているとはいえないが,どこかでこの問題に向きあわなければならない.私としてはせめても,この日本近代固有の問題を考え,それを書き置きたい.
 こんなことを考えながら街頭に立つ.

緑の社会主義

 昨夜は今年最後の梅田解放区であった.中津の公園に集まり集会をもつ.幾人かがそれぞれに今考えることを訴える.私は後ろに立ってそれを聞く.集会が終わりデモにうつる.私は前にいって横断幕をもつのを代わる.

f:id:nankai:20201227221701j:plain
 ここから東梅田までデモをする.師走の東梅田は人が多い.横断幕をもってデモの先頭で歩く.およそ25人というところか.よくみると新しい若い人が増えた.横断幕も「スガやめろ!」の新しいものになっていた.
 こうして集まり行動することが世を動かす始まりである.私はそう考えるので,この日も皆と歩く.そして東梅田ではいつものように街頭からの呼びかけをする.京都から来たという若い人の訴えも心に響く.

f:id:nankai:20201227221756j:plain

 さてこの間,『地球が燃えている : 気候崩壊から人類を救うグリーン・ニューディールの提言』(ナオミ・クライン , 中野 真紀子他 | 2020/11/18)を読む.

 ナオミクラインは「ショックドクトリン」で知られているが,現代の問題に正面から取り組む人だ.
 本書は,気候危機が歴史的に要請している新しい社会のあり方を,提起するものである.気候変動,これはつまり,温暖化であるが,それに対してどうするかはもはや一刻の猶予もない!  化石燃料を使い尽くし、戦争と格差を生み出す資本主義から,脱炭素社会への大転換を可能にするのは,資本主義を終わらせるしかない.これを提起する.
 オミ・クラインのこの書はほんとうに衝撃的である.著者は,いま世界がどのようになっているのかについて,具体的な事実を挙げながら語る.これについては,雑誌「経済」(2021年1月号)は特集が「コロナ危機とグローバル資本主義」で同じ問題を特集している.
 まさに,地球は今かつてなかった問題に直面している.資本主義が無限の資源があるという全体で拡大してきたが,それは資本主義の本質から来る幻想であり,資源には限りがある.地球の有限性に規定された資本主義の有限性.いまそのことを考えろというのが,今回のコロナ危機の教訓である.
 では,ここからどのように転換してゆくのか.斉藤幸平氏は『人新世の「資本論」』においてこの問題を提起し,マルクスを再読している.

 資本主義のもっとも基本的なことは,地球を,そして人を金もうけの資源とするということである.それに対して,人を人として敬い,この地を生きる場として尊ぶ世を生みだしてゆかねば、地球に次はない.
 今年のコロナ危機もまたこの資本主義の野放図な地球改変の結果である.ここから教訓を引き出すことができるのか.それが問われている.来年はいろいろな面において大きく動くであろう.ものごとの本質が否応なく表に出るときとなるだろう.

  資本主義の次の段階は「民主的な環境社会主義」ともいわれるが,言葉としては,私は「緑の社会主義」が適切だと考えている.「根のある変革への試論」の中でこれを深め,試論の草稿を仕上げること,これが私自身の来年の第一の課題である.
 そして,この時代の歴史の要求に応える新しい運動を何とかこの日本で創り出したい.若い人らと試行錯誤し,この糸口を生みだすこと,これが第二の課題である.
 できるかぎりのことをしたいと考えている.

 今日27日と明日28日は地元の自治会の夜回りである.およそ10人ほどが集まって「戸締まり用心,火の用心」と声をあわせ,拍子木をたたきながら,町内をまわる.地域の年中行事になってきた.こうして今年も過ぎてゆく.

冬の神戸と梅田の街頭で

 12月6日(日)午前11時から「日本学術会議会員任命拒否の撤回を求める市民デモ第3弾」に参加してきた.集合場所は三宮東遊園地である.市民デモHYOGOと憲法共同センターの共催で200人ほどの参加であった.神戸大学名誉教授の森井俊行さん、神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんがそれぞれ話され,それからデモに移った.内田さんの話は上記YOU TUBEにある.
 三宮にある神戸市役所の南の歩道の紅葉が美しい.遊園地北入口付近からその歩道に出て北に上がり,三宮商店街を西に進んでJR元町駅東改札口手前までデモした.内田さんも言っていたが,集まってくるのはわれわれの世代ばかりである.若者はいない.

f:id:nankai:20201213133511j:plain

 12月12日(土)は定例の梅田解放区であった.冬の梅田であったが,若者が20人以上が参加し,街頭に立つ.こちらはいつものように横断幕をもつ.若い人らが,どんどん戦争をする国に変化している今の日本への危機を語る.また,非正規労働者として闘い一定の結果を勝ち取った人が,自らの経験をもとに,前をゆく若者に闘うことを呼びかける.みな自分の経験に即して語る.
 私にとっても大いに勉強になる.こうして梅田に来るようになってもう三年である.はじめて参加したときのことをここに書いた.街頭に立ち,若者の語りを聞き,そして考えることは自分にとってたいへん貴重なときである.
 この日はなかなか面白いこともあった.こちらは少し離れていて話しの中味がよくわからなかったのだが,それはたたかうあるみさんのブログを見てほしい.こういう右傾化した若者が逆に増えている.これはこれまでの教育の結果である.

f:id:nankai:20201213133647j:plain

 最近『人類は資本主義を本当にこのまま続けられるか~斎藤幸平と水野和夫が次の社会を構想する』と題する,大阪市立大学大学院経済学研究科准教授の斎藤幸平さんと,法政大学教授のと水野和夫さんの対談を読む.
 ここでは今日の世界の根本的な問題が,普遍的に語られている.それはまったくその通りであり,それが地についた日本語でこのように語られることは意義深い.
 しかし,現実にその構想を具体的に実践しようとすれば,それはそれぞれの地での固有性に立脚した実践でなければ根のあるものとはなり得ない.根のある言葉と実践という問題を考え続け,そのための礎となる作業を青空学園日本語科に置いてきた.

 今の世のあり様もまた,まことに酷いものである.それでもこの間,いくつかの新しい動きがあった.
 11月1日の大阪市廃止の是非を問う住民投票でその阻止が決まった.
 そして,12月4日の大阪地裁の大飯原発3,4号機の設置許可取り消しの判決が出た.これは8年半に及ぶ長い闘いであった.「原発の終わりが見え始め早く終わらせるための闘いへと段階が変わった」という言葉を見つけたが,その通りである.
 そのうえで言えば,現在の支配政治と原発は一体である.これを終わらせてゆくために,まさに今の政治を変えなければならない.
 上記のような形の街頭での運動が出てきたことは,一つの段階として新しい.しかしこの道は遠く,先は長い.こちらもできることはしようと街頭に立つ.

秋深きー安倍スガ政治を終わらせよう!

 昨夜は定例の梅田解放区であった.5時半に大阪北の中津にある豊崎西公園に集まり,小集会の後,多くの人がゆきかう週末の梅田までデモをする.そしていつもの東梅田の街頭に立って語り,道ゆく人々に呼びかける.20人超の参加であった.
 まったく今の日本政治はすべての規範が崩れてゆくという悲惨な状況にある.ここまでのことになって,なぜ日本では大衆的な怒りの直接行動が起こらないのか.多くの人はなぜ声をあげないのか.情報産業をすべてむこうがおさえているからなのか.それを破って立ちあがらなければならない.
 しかしこれは中央の政治の問題だけではない.今の世のそれぞれの場での現実の悲惨である.これをうち破るために行動せよ.

f:id:nankai:20201129092956j:plain

 安倍前首相の犯罪が,ようやく捜査されはじめたが,安倍を逮捕するかどうか,ここが分岐である.それは人民の怒りと行動が決める.今はまだまったく弱い.量の問題ではない.質の問題である.量はわれわれの運動の質が決める.アベ逮捕となるかどうかはわれわれの運動の力の問題である.
 少しでもできることはしなければならないし,声をあげなければならない.ということで,こちらも若い人らと一緒に梅田の街頭に立つ.

f:id:nankai:20201129095607j:plain

 最近多くの人が日本の没落を言うようになった.数年前から私は徹底して没落しきらなければ日本の再生はないと言ってきた.同時に,それは犠牲が大きすぎるとも言ってきた.現実に日本は没落している.ここからの反転の芽はあるのか.
 このままでは翼賛体制となりそのもとでの憲法の改変まで行きつく.それが世界軍需産業の狙うところである.十五年戦争を経てできた戦後の体制が根底から覆される.現在の日本の人々の置かれた状況から,それはありうる.没落とはそこまでゆくことになるのか.
 そのことを考えながらデモをし,若い人らの語るのを聞く.集会のあと若い人らはいつも交流会をしているのだが,私はそれには出ないで西宮に戻ってきた.

 この間いろいろ集まりがあった.20日は,地域アソシエーション研究所の総会であった.私も会員なので参加し,その後の交流会も出てきた.ThさんやTdさん,人民新聞の山田編集長,それぞれ長いつきあいだ.梅田解放区を主催している園君も来ていた.
 この研究所は,北大阪での戦後の長い運動,その中心におられたのが上田等さんだが,その流れのなかにある.考えてみれば私の二度目の中国旅行も北大阪商工組合の訪中団に加えてもらったのであり,この流れのなかでのことであった.

 休日の23日は,Uさん,Tmさん,Yさんと茨木市の故Hさん宅へうかがう.Hさんの夫人を交えて鍋を囲む.Hさんは入院闘病のなか,八月に自宅に戻り,十月下旬に亡くなった.私と同い年である.72年73年と「月刊たいまつ」の読者会をやっていてそこで知りあった.私は73年の秋に兵庫県に移動したので,Hさんとのつきあいはこの2年間だけであったが,UさんやTmさんはその後もつきあいがあった.また,こちらは思い出せないのだが,Yさんは高槻の市会議員や大阪府会議員もした人で,私とは京都ベ平連の時出会っているとのことである.この後Yさんとは郵送でたがいの本のやり取りもした.
 Uさん,Tmさんとは「月刊たいまつ」の読者会で知りあって以来,もう48年のつきあいだ.かつて働いていた市芦の仕事も京都の下宿でTmさんからまわってきたものだった.こういう知りあいに助けられてきたこの半世紀のことをいろいろと思う.

f:id:nankai:20201201162833j:plain

 『ショック・ドクトリン』などの著作で著名なカナダのナオミ・クラインは,新著『地球が燃えている』で,気候変動がこのまま進行すれば人類存続の危機が訪れると警鐘しているとのことを読んだ.実際その通りである.
 2030年までに,世界全体が脱炭素化に向けて抜本対策を講じるべきと言われている.しかし資本主義はその本性において生産を拡大しなければ存続しえない.気候変動を招いたのは資本主義そのものである.資本主義のまま気候変動の問題を超えることはできない.
 彼女は「グリーン・ニューディール」を提唱する.私がかつてより言ってきた「経済より人」である.そのためには人が今よりもはるかに大きくならねばならない.しかし今の日本の政治を許している人の有り様をみていると,やはり危機に直面しなければ変わらないのかとも思う.
 こちらはなすべきこと,できることをやりながら,考えてゆきたい.上の写真は12月1日の夕方,犬の散歩のときにとった甲山.満池谷墓地の一角から北への眺めである.

晩秋の梅田解放区

 昨夜は定例の梅田解放区の日であった.阪急をおりて東梅田に行くと,同じ場所で4時半からあったGowestComewestの人らの街宣が続いていた.こちらも声をあわせる.福島県から大阪に避難してもう長い人の訴えをきく.日本政府がいかに無策で酷いか.それでもこういう連帯を繋いできた人らの努力に頭を垂れる.立って聞いているのは結構寒い.晩秋であることを思う.

f:id:nankai:20201115103003j:plain

 それから定例の時間がきて梅田解放区をはじめる.第2と第4土曜は東京や広島や,その他のところで,それぞれの時間帯で一斉に「安倍スガ自民にとどめを」と街頭に立つ.ここ梅田では20数人が参加し,街に向かって思いを語る.

f:id:nankai:20201115103715j:plain

 若い人らが,慰安婦問題,ベルリンでの少女像をめぐる問題での日本政府の愚かさ,外国人実習生の人権蹂躙労働問題,格差と非正規労働の問題,そして生活困窮者に対する維新政治の責任放棄,等を語る.
 こちらはもっぱらビラ配布を手伝う.私がこの集会に参加するようになって間もなく三年である.主催している園さんやその頃からやってきた人と,この間のいろいろな問題,とりわけコロナ禍の問題から参加してきた人と,多彩である.はじめて参加したときのことは『「沖縄今こそ立ちあがろう」の歌』にある.そしてこの三年,世の有り様は何も変わらないどころか,よりいっそう酷くなっている.
 前にも書いたが,韓国KBSが日本の運動を報道したものの写しがyoutubeの viUZw1ka32s で見られる.ここに出てくる人らは昨日も参加していた.その人らと,あのように日本の現実が韓国に報道されたことはほんとうにいいことだった,今の日本公共放送ではあり得ない放映内容であった,などなど語りあう.
 今の日本の政治状況は,一部のものに私物化され食い尽くされる政治そのものであり,日本の現実はまったく酷いことになっている.社会の現実,世のあり様は東アジアや東南アジアでいちばん酷いものである.

 大阪では,大阪市廃止は否決された.松井市長は,大阪市廃止,つまりは市長もなくなるという提案をした当事者である.そしてそれが市民によって否定された.自らの提案が否決された当事者として,いますぐ辞任しなければならない.
 ところが逆に,維新の会は大阪市の多くの事務権限と財源を府に一元化する条例案を通そうとしている.直接投票で否定された内容をそのまま条例化して,維新と公明で過半数の議会に委ねようとしている.それは大阪市を潰し,大資本に売りわたそうとすることだ.
 沖縄では,辺野古への基地移設問題で,住民投票でも反対が賛成を大きく上回り,知事選や国政選挙で何度も反対の意思を示してきた.だがこの沖縄県民の意思は,国によって無視され続けている.
 大阪も沖縄も,いずれもそこに暮らすものの意思を無視し,大企業の利権を優先する政治である.そして私は,これが日本近代の帰結であり,その成れの果てであることを言ってきた.
 日本はかぎりなく没落する.没落しつくさなければ再生は有り得ない.しかしそれは犠牲が大きすぎる.私はこれらのことを言い続けてきた.いままさにその没落の歴史がすすんでいる.
 それでも没落させようとするものと闘い,その闘いの中から次の時代を準備せよ,いま問われる歴史の課題である.準備するとはどういうことか.それは闘いのなかでしかあり得ない.街頭に立ち,そこで考えたことをもとに,おのれの場で少しでも前に進む.この歳になると,これまでに一体何ができたのだろうかという思いもまた強くなる.

歴史と向きあう

 住民投票によって,大阪維新の会(代表・松井一郎大阪市長)の吉村知事,松井市長による大阪市解体は阻止された.これまで,大阪市の解体に反対して闘ってきた多くの人に感謝する.私もまたできるところでそのために行動もしてきたので,ようやくに日本でも人民の意思と力で現実を動かせたことに,よかったという気持ちである.
 資本主義がもはや拡大できないという条件の下,日本の政治経済はそれを越える新しい枠組を何一つ作ることができない.その結果,日本が大きく没落してゆく.このなかで,少ない利益をほんの一部に集中させようとするのが,維新やスガが狙った大阪市の解体である.
 百三十年の歴史をもつ大阪市を解体し,権限も財源も「都(府)」に吸い上げ,「一人の指揮官(知事)」のやりたい放題の体制をつくろうとするの維新の会の野望を市民の良識が打ち砕いた.それは,新自由主義段階の資本の放埒な動きの一つを市民が止めたということだ.
 松井市長は大阪市長でありながら大阪市の解体をすすめ,そして市民に拒否されたのである.であるならば,即刻辞めねばならない.松井は今すぐ辞めろと,吉村知事や松井市長,それとつながるスガ首相らの責任を今後とも厳しく追及してゆかねばならない.
 同時に,なぜ維新のような政治を許してきたのか,これについてもっと深く掘り下げて考えねばならない.

 日本では,歴史と向きあい同じ過ちを繰り返さないという思想や運動,それ以前に一人一人が歴史と向きあうこと,これが非常に弱い.

 最近読んだ『時効なき日本軍「慰安婦」問題を問う 』<2020/7,社会評論社,纐纈厚 (著, 編集), 朴容九 (著, 編集), 申琪榮 (著), 李芝英 (著), 韓惠仁 (著), 李相薰 (著), 李哲源 (著), 楊孟哲 (著),松野明久 (著)>において,纐纈さんがこの問題を掘り下げている.
 この書については,いつも梅田解放区で出会うだいさんが彼のブログ「 加害者の孫を生きる ~日本軍「慰安婦」問題のこと、その他のこと」のなかの読書録「纐纈厚・朴容九(編)『時効なき日本軍「慰安婦」問題を問う』」に詳しく書いてくれている.
 この2015年の赤旗の記事にもあるように、1991年、日本の国会では政府が「慰安婦」制度は軍(国)が関わっていたのではなく,民間業者がやったことだと発言した.それに対して,金学順さんが名乗り出て告発した.
 日本は,国家として内から「慰安婦」問題と向きあったのではなかった.問題の無時効性と,そして戦争責任の問題は一貫して回避され続けた.「慰安婦」問題は,普遍的な問題であり,また無時効性をもつ問題である.帝国の侵略における被侵略地の女性に対する人権侵害であり,それはその当事者が亡くなっても,問題を抉り出し責任を追及することにおいて時効ないということである.その追究と歴史の研究交流には、国境を越えて未来を共有する可能性を提案する役割がある.

 そのうえで,もっとも基本的な固有の問題は,近代の日本は,歴史と向きあい教訓を引き出すことをしない世であったということである.ここに,日本近代という固有性に根ざした問題がある.戦後,この「慰安婦」問題と向きあうことなく,形だけを繕い実際には放置したままの日本国家,そして,それを許している人民の問題である.
 それでも,こうして日本近代の歴史を事実から目を背けることなく向きあわせるいろいろな営みがようやくに出てきている.学ぶべきこと,考えるべきことはほんとうに多い.同時に,資本主義を越える新しい人の繋がりを目的意識をもって生みだしてゆく試みもいろいろと出てきた.

 私はこれまでやってきた日本語の掘り下げの基礎作業を,新しい動きに繋いで次の時代を準備してゆくために,何ができるかを考え,なしうることをしてゆきたい.
 そのために『根のある変革への試論』に手を入れてはじめている.これは東電核惨事をうけて「核炉崩壊以降」として書きはじめたのだが,もっと深くあの日本軍国主義と向きあうところまでいかねばならないと考えるようになった.スガ政権の批判はそれをふまえるものでなければならない.
 大きな方向ははっきりしているのだが,書いてゆくのは難しい.力およばずとなるかも知れないが,これはやらねばならないと考えている.その骨子をかいてゆく.

 日本近代は根なし草であった.
 それは一人一人の個の枠組が根をもたないことでり,
 それは,人と人の間においても,その集積としての世のあり方においても,それを規定する枠組が根をもたないことと,一体である.