年のはじめの金曜行動

今日は今年初の大阪関電本社前金曜行動の日であった.夕方西宮を出て参加してきた.はじめは20人くらいで少し少ないな,という感じであったが,すぐに人が増え始め,80人前後までの参加者であった.高浜原発大飯原発の再稼働が現実の日程にのぼるなか,寒さを吹き飛ばすような熱気のある集会であった.もう2年半以上続いている.こちらも途中で入院ということがあったのだが,それを経て,こうして参加できている.しかし,現実の日本政治はいよいよ混沌としてきている.みな,ここが踏ん張りどころという感じであった.
こちらは,電車の中で,孫たちの時代にこの日本は一体どのようになっているのだろうといささか陰鬱な気持ちであった.孫ができて,孫たちの時代ということが他人ごとでないようになってきた.そんな気持ちで集会にいって声をあわせているうちに,そうだ,人間はその時代その時代に,時代の課題に向きあい人間として精一杯のことをやるものであるし,そうすることがまた人間がこの世にある証しなのだ,このように思われてきた.孫たちの世代もまたそのように生きてゆく.人間はこのように代を重ね,次代を思い,やってきたのだ.そうなのだと少し気分がはっきりとした次第.やはりこのような集会の場は大切である.
そう思ってみなのプラカードを見ると,そうか,こんな気持ちを込めているのだと納得するものがいくつかあった.「すべての大人たちが,すべてをのりこえて,子どもたちを守れるよう」.きっとこの人もかわいい孫がいたり,近所の子どもに気を配る人にちがいない.孫たちの時代を思えば,こうして足を運ばざるを得ないのだ.「でんきはたりてる.たりないのは愛」.「たりないのは愛」なのだ.この気持ちは関電社員にも伝わる.集会の横を通り過ぎる彼らも何か思うだろう.80人の参加者の8割方はわれわれと同じ世代.これらのプラカードを見て,なんというか,その気持ちよくわかるという,ことである.
そして明日十七日の未明は阪神淡路大地震から20年である.昨日のことのように思い出す.あの年,長男のセンター試験が15日に終わり,高校で自己採点をして戻ったその翌日未明であった.センター試験が終わるのを待っていたかのような地震であった.あの地震は,日本列島が再び地震の活動期に入ったことを告げるものであった.わが家はテレビや本棚が倒れ,食器がたくさん壊れた.前の道路も盛り上がり,家の壁にもひびが入ったが,家族は無事であった.しかし,私の働いていた高校の校長であった人,教え子,別の教え子のお母さんなど,知りあいをなくした.この地であの地震に遭遇したものそれぞれが,あの地震から再びの人生を生き直してきた.この20年は長くそしてまた短かった.16年後の福島の地震と東電核惨事を思いあわせれば,本当に言葉もない.今はただ手を合わせるのみである.
追伸:「でんきはたりてる.たりないのは愛」の原画はきゅうりちゃんの「でんきはたりてる、たりないのは愛」にあります.