春の盛りに

昨年も同じ題名で書いていた.それはともかく,今まさに春の盛りである.4月2日の地元の花見のときは,天気はよく穏やかであったが桜は一分咲き.それでも多くの人と紙芝居を見たり尺八を聞いたりの時間を過ごした.その桜もいつの間にか満開となり,もうそろそろ散りはじめている.ハクモクレンは花が散って新緑の青葉がひろがりはじめ,かわりに花海棠が満開である.前の道の脇にはタンポポツルニチニチソウが咲く.このあたりはツルニチニチソウがたくさん咲いている.
こうして春は過ぎゆくが,日本の現実は,夜明け前どころか,ますます闇が深い.アベ政治の,国家や公共の私物化が白日の下に曝された.私物化は彼らの一つの方法である.私物化し仲間内で分けあう.そしてそういうものたちが日本会議のようなところに集まる.日本会議神道政治連盟のようなところが,アベ政治の闇のなかで動いている.すでに書いたが,国家神道は,日本神道本来の「場をむすぶ神」ということを「国家をむすぶ天皇」に置きかえることで成立した.明治時代,国家は国家神道の名の下に全国の神社を再編し傘下においた.
この国家神道に回帰しようとする今日の日本会議などの役割を客観的に見るなら,それは,今や戦争以外に利潤を生み出さない時代に,戦争を日常化させ,そこへ人々を動員し,ここからの利潤で,資本主義を維持しようとすること以外にない.戦前の国家神道も,実際には国家の戦争に人々を動員していくてことして働いた.こうして,遂にあの十五年戦争に至る.いまそれが再び繰り返されようとしている.政治の私物化と戦争動員に反対するものを共謀罪で押さえ込む.今日は,まさに再びの戦争の前にいるのではないか.
あの敗戦の後の体制は,人間天皇を「象徴」と位置づけてきた.これは「国家をむすぶ天皇」を「国民をむすぶ天皇」に置きかえたものに他ならない.人が神の言葉を聴き,その言葉にしたがって人々をむすぶためにはたらくことはある.しかしむすぶはたらきそのものはあくまで神のことである.さらに,ある血脈のものがそのゆえにそれをするという考え方は,神道にはない.「国民をむすぶ象徴としての天皇」と「人間としての天皇」にも深い矛盾が存在している.
戦後の政治は,この国家神道を根底から見直すことはなかった.国家のもとにあった神社が,そのくびきから解放されることもなかった.戦争責任もまた内部から問われることなく,官僚制などの基礎組織はそのまま残った.森友疑獄で明らかになった嘘とごまかしの官僚の醜悪な姿は,実はあの戦争を推し進めた戦前の官僚組織がそのまま残ったものである.あれだけ「鬼畜米英を撃て」と国民を動員しておきながら,戦後は一転,対米隷属の政治となる.そして,アメリカの核戦略の一環として地震列島に原発をいくつも作り,ついに福島の核惨事に到ったのである.アベ政治は,2013年4月28日に主権回復70年の式典を行ったが,これもまた対米隷属政治をごまかすための演出に過ぎなかった.
森友疑獄や加計疑獄の暴露によって,ようやくに,日本政治の闇の奥が表に出てきたが,しかし,これが政治を変えるところまでゆくには,まだまだ時間が必要である.今日の政治は,地方政治においてもまた大きく劣化している.いや,より深くこの日本社会という世のあり方自体が,理念を失いさ迷っていると言ったほうがいいかもしれない.そして,それでも立ち上がったものは共謀罪である.
岡山理科大がアベ友の加計学園の大学であることは知らなかった.かつての恩師が定年後に働かれた大学でもあり,かつての同級生が働いた大学でもあった.これまで地道にやってきたのに,そしてこれからもアベ政治などに頼ることなくコツコツやっていればよかったものを,アベ政治の時代になって,個人的な関係をもとに思い上がったのかもしれない.今治市にこのたび開校する獣医学大学にしろ,この岡山理科大にしろ,これだけ世間に知られてしまっては,加計学園の大学を出たことが,その後の人生にプラスにはならないとなれば,もう学生は集まらないのではないか.そしてそのツケは地元今治市にくる.
日本社会の現実は,例えば学校の現実は,ほんとうに酷いものである.たとえば,全国の中学校には各クラスに1〜2人の不登校の子がいる.実際に会った子らはみな真面目で人間性の深い子である.そんな子ほど学校にいけなくなる.アベ政治が道徳を教科に入れたが,道徳の時間にハイハイといいことを言っている生徒が休み時間に弱い子をいじっている.それをまわりが囃し立てる.それを見ればアホらしくて学校にいけなくなる.不登校の理由は千差万別,個性豊かであるが,そんな子が各クラスに一人はいる.これが多くの日本の中学の現実である.
こういう社会の劣化がアベ政治を支えている.であるからまだまだ闇は続く.このような世の有様を変えてゆく,その活路をきりひらくことが求められている.新しい段階をひらかなければならないこと自体は,もうこの半世紀の課題であった.このように考え,青空学園というウエブサイトの仮想学園をつくり,日本語科と数学科をおいて,この18年やってきた.闇夜のなかの破壊の瓦礫の中から,新たにたちあがってゆくとき,生きた言葉とそれにもとづいて根拠を問う学問が,不可欠である.非力かつささやかではあるが,できるところからその準備をしてゆこう,それが,これをはじめたときに考えたことである.そしてまた私の考えは,まだ全くの少数である.しかし,いずれ,多くの人がそうだと考える時がくる.
青空学園をはじめたときからずいぶんの時間が経って,今日,このような形で政治の劣化が表になるとは,実のところ考えていなかった.しかし,このように具体的に現れ,豊中の木村議員のように,地道に動いてきた人がいる.そうであるなら,こちらももう一度初心に立ち返り,地についたところから,またなしうるところから,この現実を動かそうとする人らと協働してゆきたい.このところ,やってきたことを順に見直し,これからのことを考えている.その一方で,仕事や地元のあれやこれやが重なる.ということで,このブログの更新はもっと間が空くかもしれない.