冬籠もり

 今日で冬期講習というのが終わった.それぞれ皆よく勉強した.年々こちらの頭の回転の速度は落ちているのだが,それがかえって3年生にはちょうどよい.彼らの考える速さとこちらの喋る速度が共鳴して,いつもなかなか楽しい.昔,というのは40年以上前だが,あの時代,いわゆる一期校の大学入試は3月3,4,5日の記述試験だけだったので,この1月の時期はまだ入試にはもう少し時間のある時だった.共通一次試験が1月に行われるようになって以来せわしない.センター試験は文明にとっては大変まずい試験であるが,文部官僚にとって大学入試センターほどいい天下り先はない.すぐにはなくならない.
 とはいえ,いつの時代もどのみち選抜制度に矛盾はつきものである.とにかく3年生は入試制度や選抜方法の不合理に負けないで,まずなにより自分の進路を切りひらいてもらいたい.それでも私の授業を受けた皆さんは,今の世では客観的には恵まれた条件にある.それを自分だけで使わずに,まず大学生になり,そのうえで,考える時間を得て,世のことのために,自分の持てる力を役立ててもらいたい.人間の能力というのは,自分だけのものではない.賜ったものだ.この力を与えてくれた世に恩返しするように,それを忘れないでこれからも歩んでいってもらいたい.
 2年生の授業はないので,センター試験が終わった後の3年生の入試直前の最後の授業までしばらく授業はない.2月も新年度に向けた授業がときどきあるだけで,毎年この時期は私の冬籠もりである.籠もるとは,殻に入って,新たな魂を受けること.籠もる場としての「中空の場」は,生命の宿るところとしての子宮,米が籠もる殻,サナギが籠もる繭,セミが籠もる殻,新芽が籠もるつぼみ,これらから新たな力の宿る創造の場と考えられてきた.これは農耕の文明である.私にはこの小さな書斎が籠もるところである.冬に籠もるのは,春に新しい命が芽吹くためになくてはならないことであり,冬に籠もるからこそ,春に芽吹く.
 受験生の皆さんも,いましっかり籠もって春に芽を出してもらいたい.私は授業をしながら,生徒の皆さんが計算している間,黒板の前を行ったり来たりしながら,籠もってすることをいろいろ考えていた.『数学対話』は第4期としてやってきたが、これを整理し,内容も途中で終わっているところも多いので,もっと仕上げて,教育数学と高校生向け対話をもっと分離して,第5期を作ろうか.それはすぐにはできないし,まず今考えているところを手を入れようか.『幾何学の精神』,これは何とか夏までにはできそうだ.『解析基礎』は,それをふまえて手を入れる.等々数学のことを考える.
 その一方でこの2,3日仕事の行き帰りに読んだ『哲学の起源』を反芻しながら,著者の柄谷行人ギリシア以前の地中海文明とそこでの人のつながり方のことを書いているが,それといわゆるグノーシスとの関係はどのようになっているのだろう.イオニアの精神がブルーノ(1600火刑死)に噴き出したことは書かれているが,その前に南フランスのカタリ派,そしてパスカル,近年のシモーヌベイユと続く「もう一つのヨ−ロッパ」の地下水脈に続いているのではないか,こうして現代につながることを問題にしなければ,等々自分の問題意識にひきつけて考えてしまう.この本はたいへん面白く刺激的である.
 現代はローマ帝国が崩壊した西暦400年から1600年の時を経ている.この1600年の前半分は東の時代,後半分は西の時代であった.そして今,帝国アメリカは早晩崩壊し新しい東の時代がはじまろうとしている.が,まだそれは具体化していない.それが現代という時代である.私はいわゆる哲学者ではないし,先行研究をふまえた文章を書くことも出来ない.しかし,素人の直観として,考えていることはまちがいない.ただの人間として本気で向かい合って考えねばならないところだ.等々考える.ということで,しばらくは籠もってじっくり考え,そして書いてゆきたい.