射影幾何(続)

nankai2011-06-04

 『パスカルの定理と幾何学の精神』の第2章まで作った.これからも書き足すが第2章の大枠はできた.ノートを取り出すと,2010年の1月に『デザルグの定理』,3月に『九点円の不思議』を作り,それからパスカルの『円錐曲線試論』を読み,夏までかかって高校数学の範囲での証明をつけた.途中で『ムーアヘッドの不等式とその応用』とパスカルの定理の別解もできる  『重心座標』に二か月ほど時間をかけた.昨秋から公理的射影幾何をずっとやってきた.『射影幾何学』(秋月康夫・滝沢精二著,現在数学講座,共立出版,1957)の1章と2章の36ページを基本にしたので,これを読むのに10月ほどかけたのだともいえる.読みくだき図をつけ,『数学辞典』の射影幾何を参考に再編した.まだまだ記述がこなれていないし,証明ももっとていねいに書くべきところや逆にもっと簡明化できるところがある.あくまでこちらの学習ノートである.1年半ほとんど幾何を中心にやってきた.これでいよいよ円錐曲線にはいってゆけそうだ.
 大きくは高校数学につながるところを掘りさげようという意図のもとに,基本的にまったく自分の楽しみのためにやってきた.はじめた頃に比べて幾何への理解がはるかに深まり,はじめは『幾何学大辞典』が聖典であったが,今はその構造を読むことができる.その他の教科書もすべて裏までつかめる.昨秋にも書いたが上記の『射影幾何学』は著者にとっても満足のいくできではなかったようだ.しかし自分で図を書きながら読めるなら,骨組みはしっかりしている.私にとっては長い間の宿題をやっているようなものだ.
 射影幾何は19世紀にほぼすべて明らかになった事々であり,すでに立てられた問題で何か未解決のことがあるわけではない.しかし数学を学ぶ以上,幾何は学ぶべきであり,そこから数学の精神を汲みとらなければならないと思う.そのような数学教育がありうると思う.いずれ誰かそういうことも考えるだろう.そのとき何かの役に立てばよい.
 私は数学というものは「文明の方法」であると考えている.幾何学はエウクレイデス以来,一貫して文明の方法であった.幾何学なくして技術も文明もありえなかった.文化としての数学をいう人も多いが,数学の表現形式は文化であっても,数学そのものは文化ではない.現代文明の基本的な方法であり,だからこそ数学を学ぶことが,この文明のもとでこの文明におしつぶされることなく人間として生きるうえで必要なのだ.教育数学ということが可能であれば,それはこの文明のもとで生きる人間的な力をつける数学でなければならない.大きくはそのための下準備として,この学習ノートは残してゆくつもりである.
 追伸:6月5日,夕食の後ほろ酔い気分で螢を見に夙川まで歩いた.途中の用水路で3匹,夙川上流で2匹,確認した.この間の大雨の影響か少し少ない.うまく撮れなかったが証拠写真