「日本に京都があってよかった」か

昨日「日本に京都があってよかった」というポスターを地下鉄で見た.どこのだろうとネットで探すとなんと京都市総合企画局のだ.京都創世PRポスターというのだそうである.しかし今回の送り火騒動を見るかぎり,これは京都の思い上がりである.「よかった」どころか多くの人の心を傷つけた.
京都は伝統にあぐらをかき,その心を忘れた.祇園祭も五山送り火もみな心のこもった鎮魂の行事である.そのこころが失われて単なる観光になり果てている.これでは京都が人を惹きつけることは出来ない.
京都は私の母親の生まれたところであり,私が学生時代を送ったところだ.あの時代,京都の街を歩きまわった.禅の修行もした.それだけに,京都の街がその歴史の奥行きと多くの人の思いを沈めた街として,再び甦ること願っている.大震災と3・11以降の世界は,京都にも脱皮を求めているということかも知れない.
京都創世100人委員会というのがあるそうだ.名簿を見るとそうそうたる京都の文人である.いつの時代も街を甦らせてきたのは風狂に生きた本当の文人とそして町衆であった.いまいちど歴史の大元に立ちかえってこの街を甦らせるために考えてもらいたい.