3・11の夜に

 昨夜は3・11にあわせた関電前抗議行動であった.2012年から,後に大阪での若者の新しい運動を担っていった人らが中心になって,金曜日にここで金曜行動を続けていた.昨年末で一区切りをつけ,定例の行動は終わっていたが,3・11にまた集まることを約していた.いつもの彼も来て,またよく知った顔にも出会って,声をあわせる.それにしても,核惨事がはじまり五年である.この五年目の3・11にあわせるかのように,3月9日,大津地裁高浜発電所3、4号機再稼働禁止仮処分の決定が出た.昨年4月に福井地裁で一度再稼働を認めない決定が出ていたが,「 高浜原発、再稼働容認 福井地裁」にあるように,福井地裁の林潤裁判長は12月24日,「安全性に欠けるとはいえない」と判断し,再稼働を即時差し止めた4月の仮処分決定を取り消した.それを再度くつがえし,再稼働禁止仮処分の決定となったのである.このような判決を引き出したのは,琵琶湖を守れと闘ってきた滋賀県現地の人々と,そしてこの金曜行動のように各地で積みあげられてきた行動の積みあげの結果である.
 大津地裁の山本善彦裁判長は,関電は安全面でどのような改善を行ったかについて十分な説明をしてこなかった指摘し,また同社は設計思想も,過酷事故や大規模津波があった場合の避難計画も十分に示していないと指摘した.その通りである.実際,昨年末の福井地裁の取り消しの後,関電は3・4号機を再稼働をさせた.3号機は1月下旬に運転を再開したが,4号機はわずか3日の運転で緊急停止した.緊急停止など,日本原発でもこれまで確か3回ほどしかない.12月24日の福井地裁の仮処分決定取り消しが,安全性を確認しないものであり,いかに,それが送り込まれた裁判長によってなされた政治的なものであったか.そのことがわずか1月とすこしで明らかになった.
 この緊急停止も大津地裁の判断の根拠になったのだろが,このように裁判所の判断が二転三転すること自体,今の日本支配層の内部で論理と倫理の崩壊が起こっていることを示しているのではないか.そしてこのような判決を引き出したことは,この数年の運動と昨年来の新しい運動の結果と,そして何より核惨事がいかなることであるのかを示した福島の教訓である.それでも再稼働しようとする日本政府に対して,この日も皆も声をあげていたが,「いうことを聞かせる番だ,俺たちが」という運動が現れてきた.その意識は新しい.原発とは,核燃料採掘地では過酷な環境破壊をおこない,そのうえで核兵器製造力を担保しつつ,原発立地にはカネをばらまいて,発電もしようというもので,それはまさに帝国主義となった資本主義の経済と政治の原理そのものである.この資本の論理,経済の論理に対抗して,人間原理を掲げて,反原発と反ファシズムの運動が,この日本でも深く広く続いてきた.
 資本主義の崩壊期に,このような運動のなかから新しい時代,人間を第一とする時代を担う人間は現れてくる.若い人らが,その自覚を持って,これからの運動を担っていってほしい.一人一人の行動は小さくても,量の蓄積は質の転化をもたらす.また,歴史が求めることは,必ずどれだけ紆余曲折を経ても現実化する.参加した一人一人,これまでの金曜行動の積みあげを思い起こしながら,またそれぞれの場にもどり,小さなことでもできることを取り組みを続ける.人間とはそういうふうにやってゆくものなのだと思う.