没落途上国・日本

追伸(2日):小出さんの『フクシマ事故と東京オリンピック』が届いた.帯に,
忘れていませんか? 
この国は,現在も,100年経っても,『原子力非常事態宣言』下にあることを 
≪世界に告ぐ≫東京五輪は即刻中止!

とあった.7カ国語で書かれている.この本は「フクシマ事故と東京オリンピック」をもとにしているが,翻訳をあわせて1冊の本にしたものである.これが世界の多くの人に読まれることを願っている.

 今日から師走.奄美に行ってから四ヶ月である.時間の経つのははやいようにも思う.また,このあいだに時間だけのことをしてきた,とも思う.

 昨夜30日も梅田解放区があった.定例は第2,第4土曜日としているのだが,事態の緊急性から毎週土曜日にやることになった.12月のこちらの土曜は7日以外は仕事や地元の行事で詰まっているので,何とか昨日も参加して横断幕をもってきた.

 若い人らが喋るのを聞きながら、考える.日本は,教育費の公費負担の割合が先進国中30数位で下方から2番目.この二十年先進国で賃金が下がったのは日本のみ.医療費の個人負担も高く,さらに75歳からの負担割合を1割から2割に引き上げようとしている.そして若者の賃金はまったく足りず,たとえ仕事があって寝る時以外の時間をほとんどを仕事に費やしても,食べるのに精一杯である.
 その一方で,世界で最も外貨保有高が大きく,企業の内部留保も大きい.そして,オスプレイ17機3600億円,イージスアショア2基6000億円,F35戦闘機147機6兆2000億円とアメリ軍需産業からいわれるままに爆買いし.辺野古新基地2兆5000億円,オリンピックに3兆円,である.
 その総集が,日米FTAである.日米FTAが現実化すれば,どのようになるのか.これについては長州新聞の記事「主権蹂躙も甚だしい日米FTA 国会承認急ぐ政府が明らかにしない協定の内実」がよくまとまっている.
 日本という国は,働く者を金儲けの資源として搾り取れるだけ搾りとるところになっている.そしてそこで奪った金を国際資本に捧げ出す.これが今の日本である.どこか先進国なのか.と言って発展途上でもない.ならいまの日本は何なのか.そこでうかんだ言葉は,「没落途上国」である.それがまさに今の日本であり,没落の途に大きく舵をきったのが8年余続くアベ政治である.
 今年の初めに『分水嶺にある近代日本』を書き,そのなかの「悲惨国家の現実」で,立て前としての近代国家の枠組さえ崩壊したことを述べたが,この一年,アベ政治はそのままに,首相や閣僚の犯罪を積み重ねてきた.
 アベ政治による日本没落は,対外的にも現実化してきている.「安倍首相、国連演説を断られる 9月の気候行動サミット」という記事が今になって共同通信が配信した.「お前にそんなことを言う資格はない」と拒否されたのだ.混乱は,来年のオリンピックでいっそう現実になる.まず,核汚染を理由とするいくつかの国不参加,選手の参加拒否,そしてそれでも強行して,酷暑での選手やボランティアの問題の顕在化.これを承知で誘致し受け入れた日本オリンピック協会と国際オリンピック協会.こうして,日本は何というところだということが広く知れわたる.

 目の前を通り過ぎる若者の群れをながめる.皆,世のあり方や政治には関心がないこのように歩いて行く.なぜ,香港の中学生や高校生のように立ちあがらないのか.ここ東梅田の交差点はほんとうに人の多いところである.没落する国の現実が否応なく吾が身に迫らなければ,気づかないのか.あるいは,いろいろな困難があっても,自分の責任だと考えて,反抗しないのか.
 なぜこんなことになったのか.日本の近代教育は,根拠を問うことを教えなかった.戦争責任は問いつめない.「原発は安全だ」と言われればそのまま受け入れる.アベ政治が続いてきたのはここにそのわけがあるかもしれない.そして,それにのってやってきた近代政治のなれの果てがアベ政治である.
 人は金儲けの資源ではない.人それ自体が尊厳あるものとされる世であらねばならない.今の日本はそれとはまったく逆の世である.
 日本の植民地支配と闘ってきた韓国や中国の人々には,抵抗の心とそれにもとづく行動が根づいている.植民地支配を問い直すともできない日本は,自らの国家が没落してゆくときにも,行動できないのか.
 ある人に聞かれた.今の中国をどのように考えるのか,と.これについては今から28年前に「十六年目の中国」に書いたように,この時代から中国はもう社会主義ではない.あれから28年.今の中国は,経済は資本主義,政治は一党独裁ファシズムである.であるから,私はこの中国と闘う香港の若者を支持する.そのうえで言えば,香港の闘いも,まだ拡大の余地のある資本主義中国のファシズム政治との闘いとして,困難で長い闘いとならざるを得ない.これはまさに長征である.

 人に言う前にまず自分でできることをやる.それが梅田解放区に参加する理由である.また『神道新論』を表したのも,立ちあがってゆく足場を掘り下げることであった.杉村さんが拙著への書評のなかで,「21世紀の『革命の長征』は、ここからしか始まらない状況にわれわれは逢着しているのではないか 」と書いてくださったが,ほんとうにそうである.
 そしていま,私は,ここからの次の言葉を模索している.道は遠い.これもまたまさに長征である.香港の闘いが長征であるのとおなじ水準の長征なのだ.
 今われわれは歴史のこのような段階に立っている.この数日いろいろ考えるところがあったが,街頭に立って考え少しはまとまってきた.