年末年始

 年末から年始へと時が過ぎた.この間のことごとを,自分のために記しておきたい.
 12月27日と28日の夜は地元自治会の年末夜回りであった.26日は雨で中止したので,2日間,10人前後で「戸締まり用心,火の用心」と声をあわせながら町内をまわる.これを済ませてようやく気持ちも年末ということになる.
 29日から31日は正月準備である.といってもこちらは料理をしたりするわけではなく,門松を飾ったり雑煮の茶碗を出したり,三宝鏡餅を飾ったりというだけである.大掃除もした.
 元旦は集まる者が集まって雑煮をいただき,越木岩神社に初参りをする.それから昼も一緒にいただく.そして皆それぞれのところに戻り,こちらは2日,3日と重箱の残り物を片付ける.
 3日は犬を連れて甲山の向かいの丘まで歩いた.昨年は「年の瀬」に書いたように年末にいったのだが,今年の年末は雨がちで,ようやく3日にゆくことができた.自宅から半時間である.甲山の中腹にある神呪寺,甲山大師は古くからの寺であり,江戸時代には大阪からの参拝者が山道を歩いて参った.向かいの丘からも初詣の人がよく見える.鐘の音も聞こえる.甲山の東の方には,あいだに武庫川があり,山がつながっているのではないが,北摂の山々が見える.

 4日の午後から夜は,杉村さんや脇浜さんらと山田さんの家で新年会をした.話をすることも多くあり,こちらは前著の次をどのように作ってゆくかもいろいろ考えさせられた.
 5,6日は問題づくりの仕事始め.そして7日は京都で仕事.少し早く家を出て,京都市南区吉祥院天満宮と東寺に初詣をしてきた.吉祥院は母の里,この天満宮を知ったのは2012年だが,吉祥天女をまつる堂もある.このあたりは何か懐かしく心安まる.そして西大路十条からバスにのって東寺の南門で降りる.空海にはじまる東寺の境内をあちこち歩く.そして東門から出て門前の街並みのあいだをぬけて,油小路を北に曲がり京都駅北側の教室まで歩く.京都の裏通りを歩くのはほんとうにいい.

 そして今日9日は自治会の役員会であった.昨年末の諸行事をふりかえり,春の日程や今後の予定,回覧板などの段取を協議した.ここまできて、これでようやくに年を越したという思いである.

 年末年始に考えた事々:

 われわれは今,福島原発の核炉の崩壊にはじまる核惨事の歴史のなかに生きている.いろいろな報告を読んで,実際、今核惨事の中にあるのだとわかる.この時代区分は,千年は続くであろうと考えられる.しかしそのことを覆いかくし,終わったことにする勢力が今の日本を支配している.報道機関と政府があげてオリンピックで福島を覆い隠そうとしている.だが,いかに覆い隠そうとしても,核惨事の中にある厳然とした事実は,さまざまのところで現実化する.
 九年前に福島原発の核炉が東日本大震災で崩壊した.それ以降の日本は,これを天の声と聞き,変わらねばならなかった.近代の世のあり方を問い返さねばならなかった.しかし,それどころか,これをいわゆるショックドクトリンとして利用し,民主党から政権を奪いかえし,そして国際資本に日本を売り尽くす悪代官の政治がおおっぴらになされてきた.それがアベ政治である.
 東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は,かつての十五年戦争の敗戦につぐ近代日本の第二の敗北である.近代日本に内在する基本的な問題が,二つの敗戦に通底している.この過ちを三度くりかえしてはならない.従来の道を改めなければならない.
 そのためにこそ,資本主義の終焉を見すえ,資本主義以降を構想する.また,次の時代を創ってゆく運動の一環であることをおさえつつ今を闘う.このことが現代の歴史的な課題である.
 私は前著『神道新論』で次のことを述べた.

この課題は,一般化された議論では不可能であり,それぞれの固有性に根ざした思想とそしてその運動を経なければ不可欠である.そして,日本語に蓄えられてきた智慧としての日本神道は,次の時代の構想と,この時代をいかに生きるかについて,深く示唆している.

  前著は日本語に蓄えられてきた智慧を取り出すための基礎作業であった.それをふまえ,時代の課題,歴史の要求にあらためてなしうるところから応えたい.これを今年の課題としたい.