とんと祭

 明日は阪神淡路の大地震から四半世紀,二十五年である.あの日の朝のことは忘れられない.新幹線もまだ動いていない早朝であった.伊丹では新幹線の高架が倒壊した.もし山陽新幹線が動いていたらどうなっていたか.阪神高速も倒壊した.一つ一つ思い起こす.
 その日からしばらくは,瓦礫の街を,歩いたりバスで移動したりを続けていた.今にして思えば,アスベストのまうなかを行き来していたのだ.子供らもマスクをせずに通学していたのではないか.
 四半世紀経っても一つ一つ覚えている.そして、今になっていろいろ考えることは多い.

 15日はどんど焼き越木岩神社へ参ってきた.正月の箸や門松などを焼く.それをまとめて自転車に積んで,神社まで行ってきた.この祭りについては昨年の「とんと祭」に詳しく書いたのでくりかえさないが,大勢の人が順にやってくる.こういう行事は大切だとあらためて思った.
 神社が少し樹の茂みをひらいて駐車場を拡げたのは仕方がないとも言えるが,去年,「ここの森は原生林である.このような磐座を古くから守り祈り,そしてその周りの原生林が守られてきた.これは大切なことだ」と書いたように,やはり何とかならなかったのかと思った.確かに車で来る人が増えたのも事実なのだが.
 そして,1年は長くもあり,早くもあることを実感する.昨年,この「とんと祭」の最後に,「『神道新論』はその思想的な土台作りの試みの一つであった.やはり,もっと深めねばと思った次第である」と書いているが,もっと深めることが,どれだけできただろうか.
 この1年ということで言えば,2019年10月15日付の『人民新聞』1696号で杉村さんが拙著への書評を書いてくれ,これに対する返礼の手紙を2019年10月25日付の『人民新聞』1697号に寄稿した.それに対して杉村さんから「どうぞこの線でさらに思索を深化されることを期待しています」とメールをいただいた.考えれば大きな課題をいただいたのだ.
 その『人民新聞』新年号が『未来への大分岐』を編集した斉藤幸平さんへの対話を「資本主義『以降』を構想する」と題して載せている.読んで,ほんとうの課題はその次なのだと思った.そこがなければ現実ではない.
 資本主義以降という問題は普遍的に提起される.しかし,現実には固有性をもって現出する.その固有性の場での把握と問題の解きほぐしが不可欠である.『神道新論』はそれをやろうとした.ここから現代の課題にむきあい,これらの西欧の現代思想とさらに大きくむすびつつ深い普遍の場を拓いてゆかねばならない.そのための基礎的準備が拙著であった.
 それをふまえて,書きためたのもの集めて,その改訂からはじめている.書きながら,歩きながら,街頭に立ちながら,考えている.いつまでも『神道新論』のところにたちどまっているわけにはいかない.

 以下は「年末年始」に追伸として載せていたのだが,やはりこちらが適切と考え移した.
 11日と12日は今年の最初の街頭であった.
 12日(日)は,「御堂筋占拠」の集会とデモに参加してきた.「安倍やめろ」のもとにこの日は全国のあちこちで統一して行われた.大阪では,難波の元町中公園に集まり集会とそしてそのあとデモに出る.年頭の大阪の街を1時間半ほどデモしてきた.デモの終わり頃にはおよそ300人ほどにふくれていた.
 デモに出てしばらくしてからは横断幕をもって歩いたので,行進の前からの写真はない.難波界隈の人通りの多いところを歩いたが,町ゆく人のデモを見る目がこれまでと少し違い,共感をもって見ているのが伝わってきた.
 新宿占拠のデモの様子は田中龍作さんも報告しておられる:「アベ辞めろ」久々の大規模デモ 怒れる人々が参加.また「特別な1日」さんの東京の報告も読み応えがある.

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 11日(土)は定例の梅田解放区に参加した.これまでにない参加者数で,30人はいただろうか.人々がこういう場を求めていることを実感した.

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