進路はよく考えて

新しい3年生は自分の進む方向をよく考えなければならない時期になった.一つの問題提起として,医学部という進路を考えたい.『勉強のすすめ』で私は,次のように書いた.

ここで一言言いたいことは,偏差値が上位であることだけで,医学部を選んではならないということだ.本当に医学を志すものは,大いに勉強してぜひその方面にいってほしい.しかし,単に偏差値が高いだけで医学部を選べば後悔する.
医学部や法学部の実学系の学部は,基本的には職業訓練だ.自動車教習所と同じである.しっかり技術を身につけないと命に関わるという点でも,実技免除の国家試験があるという意味でも,同じである.しっかりとした職業倫理の教育と技術の習得はきわめて大切なことである.だがそれだけに,六年間の勉強と二年間の研修,合計八年間を医学に適性の乏しいものがやり遂げるのは大変だ.偏差値が高ければ高校は医学部を勧めるかも知れないが,それに乗せられてはならない.必ず自分の内面の気持ちをよく確かめなければならない.
医学にとって大切なことは受験偏差値的な力では全くない.職業的な適性であり,確固とした倫理である.要するに人間性である.人間性が問われる学問としての医学はすばらしい.そのような医学にこころざし,この方面に進もうというものは,がんばって合格し,十分勉強して倫理も技能も身につけ,立派な医者になってほしい.
進路を真剣に考えることも,大人になるための条件だ.外面的に大人になるということはどちらでもよい.しかし,一人一人の内側で自分というものができていくことは,大切なことである.そういう数年間を過ごすために自分にあった大学に入る,ということである.入学試験は目標ではない.第一の関門にすぎない.

私が京大理学部に入学した1966年は,理学部最低点の方が医学部最低点より高かった.1972年にほぼ同じになり,1973年以降医学部の方が難しくなって,今日に続いている.日本が敗戦の荒廃のなかにあったとき,湯川秀樹ノーベル賞は人々を励ますものであった.戦後まもなく岩波書店西田幾多郎の『善の研究』を出したとき,書店には行列が出来たという.湯川秀樹は京大物理であり,西田幾多郎は京大哲学だった.私もそんな大学にそれなりにあこがれ,入学した.大学の現実がどうであったかは別の問題だが.
時代は転換点を迎えていた.1970年は大阪万博が開かれ,いよいよ経済成長が主要な問題となる.1960年代に徐々に時代の転換が進み,この頃から,精神的な問題より,実利的で現実的な問題が優先され,大学でも理学部や文学部より医学部や法学部が難しくなっていったのだ.
大学各学部の間の難しさの違いは,このように時代に左右され,変わる.絶対的なものではない.そして今日,医学部や法学部を難関学部にしてきた価値観が崩れはじめている.再び時代の転換が近づいているように思われる.勝ち組とか負け組とかいうのも,経済第一主義の枠のなかでのことだ.勝ち組というが,いったい何に勝ったのか.人生,本当にそれでいいのか.それが問われる時代に転換しつつある.だからこそ,自分がしたいことを本当に考え,内面からの根拠で進路を選んでほしい.われわれは皆,時代のなかで生きていて,これは避けられないし,選べない.その時代の条件のなかで,精一杯,人間として当たり前な生き方をしてほしいと願っている.