五山送り火

昨日まで夏期講習の三ターム目.毎日四講座で少し声が涸れてしまった.今年はどの教室もどの講座も皆よく勉強する.こちらの思い込みかも知れないが充実しているように思う.
さて,今日十六日は京都五山送り火である.昔はときどきこの送り火を見に出かけていたが最近は夏期講習の中休みで京都まで出かける元気はない.五は送り火を炊く山の数であるが「五大」の「五」であり「大」が如意が岳の送り火の形である.それは京都新聞ここにも書かれている.
弘法大師空海は『声字実相義』で

  五大にみな響き有り.十界に言語を具す.六塵ことごとく文字なり.法身はこれ実相なり.

と述べている.これは空海の世界観であり,空海がつかんだ密教の世界である.「五大」とは「地・水・火・風・空」,つまりこの世界のことであり,「十界」も「六塵」もこの世界のことである.空海はこの世界は「すべて響きである」と言っている.
送り火は,盆にこちらに戻っていた霊をかえす行事で,いろいろな形がある.昔,故郷の宇治ではこの日に六十センチ前後の木で作った舟を宇治川に流していた.精霊流しである.これは今もよくおぼえている.川に舟を流すので川環境の問題もあるが,近年はおこなわれているのだろうか.京都の送り火は,祇園祭と同じく,戦乱や天変地異が続いた中世の都市・京都で鎮魂のために盛んになったのである.神戸のルミナリエが震災の犠牲者への鎮魂であるように,祭の背景には鎮魂の気持ちがあるのだ.
五大,つまりこの世界で営々と続いてきた遠い祖先からの人間の営みに思いおこし,その魂を鎮め,後の世の人々にも伝えていこうというこころざし,これが五山送り火ではないだろうか.十六日が過ぎて夏も終わっていく.このような季節感と一体となった年中行事は受け継ぎ次代に伝えていかなければならないと思う.