センター試験を事業仕分けの対象に

政府の行政刷新会議で「事業仕分け」がはじまる.不要不急の政府事業を見直し,金の使い方を変えていこうということである.
私はぜひ「センター試験」を事業仕分けの検討対象にしてもらいたいと考えている.『私の考え,私の願い』にも書いたが,次の言葉は1999年のある国立大学入学式での学長あいさつの一部,センター試験について話されたことである.

センター試験は全くその人の力を測ることにはなっていない.今年の地理の問題で,ある国の主要な生産物を問う問題が出ていた.地理学の教授に聞いたが,大学センターが正解としているものを主要な生産物とは断定できない,と言っていた.それをマーク式で答えさせるなんて無意味だ.じっくり読めば読むほど時間が足りなくなるような試験は,試験でない.
諸君は受験競争を勝ち抜いてここに来たのだが,大学での勉強は,受験勉強とはまったく違う.受験の学力と大学に入ってからの力とは別のものである.

センター試験が意味ない試験だという意見には私も賛成するが,これを聞いたときは無性に腹が立った.国立大学の学長が何を無責任なことを言っているのか.本当にセンター試験が無意味だと言うなら,センター試験を廃止するために学長としてなすべきことをすべきである.それをせずに,試験の弊害を入学式で得々としゃべるのは,偽善であり,無責任である.この発言を聞いて何かしなければと考えたことも青空学園をはじめる動機の一つになった.センター試験を廃止せよという声はかつては大学の先生からも発せられていた.例えば京都大学の上野健爾先生,『数学セミナー』1996年3月号所収「高校数学の再生を求めて」で「センター試験は廃止する」ことを主張されていた.この雑誌は今も手元にある.
しかし最近はあまりそのような声は聞かない.これまでは国立大学の教員や高校教員がセンター試験廃止を言うのは,文科省教育委員会の圧力が強くて難しかったかも知れない.しかし,かつて自民党政権下では口が裂けても言えなかった「八ツ場ダム中止」や「羽田をハブ空港に」が大臣の口から出てくるようになった.ほんの少し時代が動いている.だから,いろんな人がセンター試験廃止を言うことは可能だ.まず,共通一次試験,センター試験とやってきて,日本の教育がどのようになってきたのか検証しなければならない.今年は無理だろうが,今後行政刷新会議でもじっくり検討してもらいたい.
私は,先の学長が言うように無意味な試験だったと考える.膨大な予算を使い,日本の教育を大きく低下させてきた.この30年,高校生の言葉の力,論述力は低下する一方だった.それにはもちろんいろんな要因があるが,センター試験が肯定的な役割を果たしたということは全くない.センター試験を廃止し,その予算をもっと教育の無償化や大学授業料の値下げにまわすべきだ.