地震から十五年,そしてセンター国語

nankai2010-01-17

十七日は地震から十五年の日である.私事は三年前に書いた.今年もそれを読みかえしそのときの事々を思い起こす.写真はメジロ.ミカンをつるすと食べに来る.
地震の記憶はセンター試験ともつながっている.いつも,センター国語は常識があれば八割はとれるよ,などといっている手前,今年も自分でやってみた.ざっとやってみると,残念ながら七割ほどしかとれなかった.もう少し見直せば気づくまちがいもあったが,なにせ古文が難しかった.『恋路ゆかしき大将』について少しでも文学史的な知識があれば、ずっとやりやすかっただろうが,当方に『恋路ゆかしき大将』についての常識はなかった.出題された部分の古文だけから,話の展開を読み取るのは難しいだろう.結局およそのところで選択するだけだっただろう.
しかしこれで古文がいよいよ嫌いになった,古文なんて試験が済んだらもう忘れる、などと考えないようにしてほしい.古文に慣れることは大切だ.どこで読みたくなるかわからない.基礎知識はしっかり身につけておくべきだ.私は今も『今昔物語』なんかはよく読むが,あれは面白い.これが読めるのも高校時代の古文の勉強が残っているからだ.
センター国語は,せめてもう少し高校生が読んでその内容において得るところのあるものを題材にすべきだ.そこから古文に興味をもつようにすべきだ.残念ながら中世王朝物語はそうではないように思う.来年の受験生がこのような問題の対策でまた貴重な時間を使うこと思うと,やはりこんなセンター試験はやめるべきだと思う.分からないことを前提に,いかに近似的に選択肢を決めるかの技巧が受験技術になる.そんなことは古文の勉強とは関係ないことだ.それを強いる試験は無意味だ.センター対策がどうだとか傾向がどうだとか,難化したとかいろいろいわれているが,そもそもこんな試験をする必要がどこにあるのかという議論はなかなか出てこない.センター試験事業仕分けの対象にという私の持論はやはり正しいと思った.