冬籠もり

前にも書いたが,冬籠もりという言葉に力を感じる.繭をつくって冬を越す生き物,芽を準備して冬を越す木々,籠もることによって力が内に蓄えられる.こもるという言葉は,魂がこもるという意味に深まる.親鸞は六角堂に籠もって95日目,救世菩薩の夢告に出会う.この夢告に従い,夜明けとともに東山吉水の法然の草庵を訪ねる.籠もってこそ,花が咲き,孵化できる.受験勉強も同じ.自分一人になって部屋に籠もって打ち込むときが大切だ.問題に向きあうと同時に自分に向きあうということだ.
私もこのところ冬籠もりである.射影幾何もようやく基本定理の前あたりまで証明をつけてきた.十九世紀の終わりころにはなされていたことなのであるが,一から構成してゆくと実に面白い.こういう公理的構成のおもしろさを,高校生に伝えることは出来るのだろうか.そんなことを考えながらやっている.
一方,M3Wの最終テストの添削は終えて先日事務所に届けてきた.もうすぐ郵送されるだろう.もういちど解きなおしておいてほしい.こちらは冬期の授業がはじまるまでに,問題作成.高校数学の問題ではないので,別の難しさがある.また受験生用の演習問題も春までに20題ほど作らなければならないのだが,急にはできないので少しずつ書きためたいと思いながら,まだ何もできていない.
先日,塾で2年間教えた人で教育実習を終えた4回生にいろいろ話を聞かせてもらう機会があった.実習校の指導教官との間で辛いことがあったようだ.教員の世界も余裕がなくなってきたのだろうか.教育の仕事をやってみたいと思うように指導してほしかったが,それでも授業を聞いた生徒はよくわかったと言ってくれたということを聞き,またその指導教官を客観的に見ることができるようになっていて少し安心した.院に進む予定で、無事に進めたら春から就職活動をはじめるということだった.
そんなに早くと思ったが,そういえば今年の5月頃に塾にチュ-ターで来ている人が普段とちがう格好.「もう4回生?」と思わず聞いたらまだ3回生.あの時期から就活がはじまるそうだ.学部生も院生も就職活動の大変さは聞くところだが,こんなに早くはじめなければならないのは,客観的には若者が落ち着いて勉強する時間がそれだけ少なくなるということであり,全体としては大きな損失になっている.学部なり院なりで勉強して,それをもって就職するのではなく,先に行き先を決めなければならないのだ.大学教育とは何なのだ,ということになってしまう.高校も大学も就職先の決まらないままに卒業するということが日常化している.私も昔教員をやっていたころ,進路指導部で企業に採用の依頼にまわったものだが,あの時代はなんといっても人手不足,売り手市場の時代だった.昨今の厳しさとは比較にならない.
そのうえでいえば,いつの時代も世間は厳しく,若者はそこに出ていかなければならない.そのときに,自分のやりたいこと,やらねばならないこと,譲れないことを失わずにやってほしい.そうすれば活路はある.途はひらける.私も昔,路頭に迷いかけたこともあったのだが,いろんな人に助けられて何とかなってきた.いまはそんなに甘くない,という言葉に反論はできないが,やはり人間,とにかく自分を大切にして,また自分が精一杯やってきたことに確信をもって,思いきり生きてほしいと思う.若い人にそういう以上,こちらもやることはやらねばならならないのだが.籠もりながら,そう思う.