人と会う(続)

nankai2011-02-17

 昨日は古くからの友人2人と一緒に大阪の弁天町で食事をした.一人とは3年ぶり,一人とは一度本屋でばったり会って以来なので2年ぶりである.Tさんは大阪で診療所の事務の仕事をしながら組合活動をしていたが,彼を含む多数が不当解雇されもう20年以上組合委員長として闘っている.その一方で信頼できる医師に出会い,精神保健福祉士として別に診療所の運営をしている.Uさんは大阪府の職員で農業普及指導員としての資格をもって働いてきた.Tさんとは京都のベ平連で知りあい,一緒に昔あった『月刊たいまつ』という雑誌の読者会に参加してUさんと出会った.Uさんはもう定年退職している.(追伸:2月19日,奇しくも「たいまつ」のむのたけじさん96歳がここに出ておられた).
 3人はほぼ同い年である.40年になるつきあいだ.かつて私が兵庫県で教員の仕事にありつけたのもTさんのところに来た話からだった.京都を出るときの引っ越しの運転手はUさんだった.互いに遠慮なく何でも話し,しかも何の利害や打算もなく会食する間だ.2,3年にいちど会う.この歳になると次いつ会えるかわからないし,いやもう会えないかも知れないしという気もちょとして,その時間は貴重である.Uさんは同じ仕事を続けてきた.Tさんは同じ地域医療の分野でやってきた.私がいちばん振幅が大きかった.それでもそれぞれこの時代の中で出会い,それぞれを認めあってきた.こういうのを本当に友というのだろう.
 1月の半ばから1ヶ月かけて,ここに書いていない人を含めてそれぞれ貴重な人たち七人と会ってきた.きっと人間とはこうして歳月を重ね生きてゆくものなのだ.
 追伸:小沢一郎が2月11日に自身の政治塾で語った言葉の録音が流れている.手に入ったのでここにおいた.「いくら米国が軍隊を何万、何十万投入しようが、アフガンでは戦争に勝てないし、民衆を治めることはできない」と明確に語り,しかもこれをルース駐日大使と面会したときに主張したという.戦争している当の国の大使に,そんな戦争は空しいと言うのだから,これはたいへんなことだ.いくつか日本歴史について意見の違うところもあるが,語っていることは至極まっとうであり,これを実際に力のある政治家として現実政治のなかで言うのだから,その意味はたいへん大きい.ぜひ聞いてみてほしい.
 私は個人の思想信条としては前にも書いたが新しい段階の共産主義の理念をもつ.しかしだからといって,現在の民主党内の対立に対し「どっちもどっちである」という立場はとらない.現実政治で矛盾や対立が起これば,そこには必ず社会の土台部分の矛盾が反映している.凋落をはじめた現代の帝国=アメリカに追随し世の荒廃をさらに大きくするのか,そこから自立し国民生活を第一に新自由主義小泉改革がもたらした諸問題に取り組むのか,この対立が民主党内の対立を生みだしている.この点に関して後者の側を支持する.現実の歴史過程を観念で超えることはできない.理念をもって,現実は一歩一歩である.
 写真は白梅.いつの間にか梅の時節となった.