射影幾何(続)

射影幾何の勉強が二度目の山を越えた.一度目の山はパスカルを訳し,できる範囲の証明をつけた昨年の今頃だった.PDFはほぼ毎日更新している.いろいろと論証の不備が後から出てきて,そこを埋めるのにまた時間がかかる,このくりかえしである.何か気づかれた方はぜひ教えてほしい.
思えば,射影幾何の勉強をはじめたのは,青空学園をはじめた初期のころだ.『数学対話』で「パスカルの定理」,「デザルグの定理」,そして「ポンスレの閉形定理」などで,入試問題の分析とその掘りさげからはじめたものであった.そして,昨年の今頃,パスカルの『円錐曲線試論』を訳し,日本の高校数学の範囲でこれに証明をつけた.この証明はいうまでもなくその基礎が危うい.
そこで,それから改めて射影幾何の公理系を定め,そこから展開できることごとを考えてきた.いちばん役に立ったのは「文献目録」の『射影幾何学』(共立出版)だった.これは学生時代に購入しながら読み切れていなかったものだ.よくこれを買っておいたものだと思う.これに頼りながらその証明に図をつけ,同時に『岩波数学辞典』の「射影幾何」の項に載っている諸命題をことごとく証明してきた.これは昨年の秋からはじめた.およそ十月で辞典の八割方に証明をつけた.古典的な二次曲線の定義と極系による定義の橋渡しにもあらかた道筋をつけたので,間もなくパスカルの定理にいけそうだ.
パスカルの定理と幾何学の精神』にも書いてるが次のことは言っておきたい.実は日本の『数学辞典』(岩波書店) の項目名は「射影幾何学」であって「射影幾何」ではない.しかしこれは「射影幾何」でなければならない.「射影幾何」といえば数学的に存在するものであり,「射影幾何」を対象とする学問を「射影幾何学」という.そして「公理から構成される」のは「射影幾何」である.学の対象としての射影幾何,射影幾何を対象とする学問としての射影幾何学,これはまったく別の範疇に属する.もちろん,幾何をどのようにつかむのかという把握の方法自体が学であるから,対象のあり方と学のあり方は相互に深く関係し合うのであるが,別であることに変わりはない.
このような問題は数学それ自体の問題ではないという考えもあるだろう.しかし,パスカルが「数学者である前に人間でなければならない」といったことの顰みにならえば,数学においても言葉を慈しまねばならない.言葉の問題は文化の枠組の問題である.数学の枠組においても,これを疎かにしてはならない.だから岩波の辞典には「射影幾何学」とあるのに,辞典の「『射影幾何』の項に述べられている諸命題のことごとくを証明してきた」と言ったのだ.
さて,証明をつけることは,一週間も二週間も同じことを考えていたりして,その後でわかるのであるから,本当に面白かった.もっとも若いときならもっと直感的につかめることに時間がかかるのだが.それは仕方がない.現在,射影幾何の本は今はなかなか手に入り難い.また古本などで入手できたも,古典的な幾何的証明で終始するか,あるいは逆に線型代数の一応用としての射影幾何に終始するかのいずれかであって,両者の間を行き来するような本は皆無である.
このことに鑑み,両者を行き来する考察を残しておくことはいささかの意味はあるだろう.そこにこれを書いておこうとする動機があった.手もとにある本を見るとこれも入れたおきたい,あれも入れておきたいということごとがつぎつぎ出てきて終わりがない.これを一通り作りその後も改訂を続けてゆけば,後に射影幾何を学ぼうとする人にとって,必ず意味があると思う.
パスカルの定理は二次曲線のうち,双線型の二次形式論に近く,線型代数の範囲で解決できるといってよい.それに対してポンスレの閉形定理は,高次の代数幾何の扉を開けるものだ.あと一年ほどかかるだろうが楕円曲線の入り口までは行きたいと考えている.
ということで六月は終わり七月,夏である.写真はムラサキゴテン.今年もあちこちで咲いている.