次代のために今を耕す

昔の知り合いから私のところに送られてくる『人民新聞』の最新号(1420号)の記事「次代のために今を耕す」に心を動かされた.福島で地域の農業再生のために有機栽培に取り組んでこられた菅野さんへの取材記事である.

 私が農業を営む二本松町は、平成の大合併東和町となりました。ここは日本でも有数の養蚕地域でした。ところが、1970年代の急激な貿平自由化で、外国から安い繊維製品が輸入されるようになると、養蚕は瞬く間に消えてしまいました。耕作放棄地が広がり、荒れた桑畑を再生したいとの思いで、桑を甦らせるための商品開発に取り組んてきました。それが健康食品としての桑茶です。
 特産品の開発・有機農業をとおして、地域資源循環型のふるさとづくりに取り組んできました。そうした長年にわたる取り組みが、ようやく実を結んできた時に、原発事故が襲ってきたのです。

その後の事々は,上記ウエブにも一部載っている.全文は本紙入手が必要だが,読めば身につまされる.原発事故がどんなことであるのかを,この記事から読みとることが出来る.ウエブには載っていないが次の言葉で締めくくられている.

 自立した地域を作ることが脱原発社会の要
 どうしてこんなことになってしまったのか? を考える時、原発を進めた政府・東電の責任は言うまでもありませんが、一方で我々農民が、輸入作物を受け入れ、減反を受け入れて、村が荒廃し、働く場がないからといって企業を誘致し、原発交付金で村を維持する構造だったと、反省しています。この地方と都市の歪な構造が、根本原因です。
 もっと怒り、声を出さなかった農民の責任もあるし、そうしたものを許してきた消費者の責任もあります。だからこそ、もう2度とこういうことが起こらないように、今「原発はいらない」という声を、生産者も消費者も上げなければならないと思っています。今声を上げなければ、いつ上げるのでしょうか?
 日本はいつの間にか大手企業に全てを委ねてしまう社会になってしまいました。ビールも車もエネルギーも、ほんの数社が独占しています。
 食料も含め、地域資源を活用した地場産業を根づかせて、農業とその加工業で成り立ち、働く場がある地域を作らねばならないと思います。

出来るところから出来ることを,と思う.私のところは,ささやかなことだが,野菜は西宮の農家から無農薬のを毎週届けてもらっている.にんじんも本当のにんじんらしい味がする.季節感や野菜の味を忘れないようにしたい.福島ではそれも出来ないのだ.そして日本農業の再生は本当に大変なことだ.宮城県知事は,漁業や農業に大資本が入りやすい制度を作ろうとしているが,その土地土地の人が反対することが,その地域の再生になろうはずがない.本末転倒である.
次代のために今を耕す,これは実は青空学園の初心であった.日本の教育はこの100年,考える力を育てず歴史を大切にせずにやってきた.先の『現代思想』のガロア特集で,上野健爾先生がガロア理論を解説した最後を次の言葉で締めておられる.

ガ口ア理論が語りかけることは、数学の歴史とは偏見からいかに自由になるかという歴史であり、新しい考えは実は既にある理論の中に存在する本質を見抜くことによって得られるという、余りに自明な結論である。何もないところからは新しい物は生まれないのである。そのことを日本の多くの教育学者は理解しておらず、日本の教育は死んでしまっている。これでは新しいガロアは日本からは生まれてこない。

日本の教育の荒廃は教育学者だけの責任ではないが,これは大変悲痛な現状認識である.確かに,新しいガロアは日本の既成の教育の中からは生まれない.しかし,実はガロア自身がフランス革命後の大きく揺れる時代に,王制復古派に対してフランス革命を継承し共和制を目指す「人民の友」運動に身を投じた青年であった.旧体制に対する反逆者であった.だから暗殺された.
日本においても,原発事故とその後の過程でその腐敗が明らかになった旧体制をのりこえようとする若者の中から,新しい何かが生まれることに,希望を捨ててはいない.「それでも自分で考えようとする若者はいるはずだ.自立して考える若者のために出来ることをしよう」というのが青空学園の初心であった.だから先の福島の農家の人の言葉は人ごとではない.
これからも初心を忘れずに頭の働く間は続けたい.
追伸:昨日は東京で若者デモ8000人.主催者HP写真速報ができた.福島に近いだけ,関東の若者の方が危機感が強い.しかし,関西には福井県原発銀座がある.自然の力は大きいのだ.