『福島の原発事故をめぐって』

山本義隆さんの『福島の原発事故をめぐって』をアマゾンに注文していた.ところが書店には山積みしてあるのに,なかなか送ってこない.アマゾン書店は書物の内容で扱いに差があるのか.それでこれをキャンセルして本屋で買ってきて,すぐ読みあげた.
1937年に核分裂から膨大なエネルギーが取り出せることが理論的にわかってから,とにかく兵器として開発され使われるまでわずか8年.核技術がいかに未熟な技術かがよくわかる.そして日本は,核兵器をもたないがそれを作る潜在的能力を保持する,これを外交の力としようとしてきた.このことのために国策として原発は推進されてきた.そのことがまったくよくわかる.
まじめな高校生がこれを読むと,現代の日本に何かか救いがたい気持ちになるかも知れない.希望はないのか.あるはずだ.若い人が「3・11後をいかに生きるか」,老世代は何を言い置きたいのか,これをまとめたいものだとよけい思った.ところがそこに『人民新聞』1423号が来た.編集長の山田さんが1週間以上かけて福島現地を取材してきたのだ.彼がそのリードで言う.

  原発事故とは、目に見える危険ではないゆえに、生きる意味を問うような重い選択を、その原因には何ら責任のない住民に迫っている。「放射能汚染による移住」とは、大げさに言うと、①人間が生きている意味や存在意義に関わるところまで掘り下げて考えざるをえないような問題であること。②しかもそれは、老人も子どもも例外なく全ての人に重い選択と傷を迫る理不尽な大罪であること。であるがゆえに、③この根本原因を作った東電役員・歴代政府が、責任をとろうとせず、今だに情報を独占し続け、現実に向き合おうとすらしていない、という途方もない不条理が際だってくる。

まったく,私が言う「いかに生きるか」は,この重さ,不条理に気づき,それをふまえるものでなければ無意味だ.となると,私の言葉もそれに耐えうるものでなければならない.
私は,高校時代から大学初年級の数学を学ぶことは,現実を鵜呑みにするのではなく,自分で考え必要なら批判的にとらえるためのこそ訓練でもあると考えてきた.だからこそ,誰もが逃げられない受験数学からはじめて,数学的批判能力を育てるような勉強を提唱してきた.
しかし,東北大地震にはじまる福島原発事故とその後の経過をうけて,私はいま,大変恥ずかしいというか辛いというか,そのようなな気持ちでいる.「原発は安全だ」と言われ続けてきた.ならばなぜもっとその根拠を問わなかったのか,その結論を深めなかったのか,である.
原発は人災だといわれる.私もそう思ってきた.しかしそれは本当か.災いは向こうにあるものをいう.人災ということで何かを許していないか.事実は「原発事故は人災ではない.それは犯罪だ」.人間の生存権を奪う犯罪である.少なくとも業務上過失致死であることはまちがいない.しかし検察はいっこうに東電を捜査しようとしない.なぜなのか.このことも深めなければならない.困難な時代になったものだ.写真は芙蓉の花.夏の終わり頃の花.
追伸:鉢呂経産大臣が首を切られた.福島第一原発を視察後に「市街地は人っ子一人いない,まさに死の町という形だった」という感想を述べた.これ自体はまったく正しい現状認識だ.死の町にしたのは東電と自民党である.自民党逢沢一郎国対委員長は「とんでもない発言だ。資質がいきなり問われる事態だ」と述べたそうだが,よく言うよとはこのことであり,原発を推進してきた自民党にそれを言う資格はない.鉢呂氏の責任をいちばん追及していたのがアメリカ帰りの前原であるから,裏で何が動いたかは推して知るべし.これが現在の日本であり彼我の力関係である.
だから,鉢呂氏が確信をもって脱原発をいうのなら,次のように言うべきであった.「市街地は人っ子一人いない,まさに死の町という形だった,というのは事実である.死の町にしたのは東電である.死の町という現状認識に立ってそこから復興への道筋を考えなければならない.福島から帰ってきたまま記者の質問に答えた.記者の中でそれを気持ち悪そうに避けようとしたものがいた.それで怒りの感情から追いかけたのだ.非難されるべきはその記者の福島差別の方である.発言は撤回しない.辞任もしない」.鉢呂氏にこう言い切る信念はなかった.命がけの覚悟もなかった.そのような者に脱原発は無理なことであった.
一連のことから見えてくるのは,マスコミを使って揚げ足をとり脱原発をいった鉢呂氏を追い落とした,東電や経産省の焦りである.後任は推進派がなるだろう.しかし長期的に見て,彼らやその背後のアメリカが没落してゆく趨勢は変わらない.脱原発以外にありえない.彼らの焦りを確認してじっくりいきたいものである.