311後をいかに生きるか(1)

私は高校と塾という二つの現実の場で高校生に数学を教えてきた.それらの仕事をしていた時間はあわせてかれこれ30年になる.そして自分で作りだした青空学園数学科という仮想空間の学校で自分の考えにもとづいて高校数学を述べてきた.ときどきこんなメールも来るので,これも教育活動といえるかも知れない.

現在、先生の書かれた「高校数学の方法」を使って勉強している者です。最終学歴が中卒と言うこともあり数学がかなり苦手だったのですが、先生のテキストをコツコツやっていくにつれて苦手意識も薄れてきて、先日行われた駿台の京大実践模試の数学においては5完でした。ただ、テキストを何度も繰り返してやりすぎて、問題をほぼすべて覚えてしまい、次にどんな問題集を選ぼうかで悩んでいます。
周りに相談できる知人もなく、困り果ててメールを送らせていただきました。問題集およびその使い方についてアドバイスしていただけませんでしょうか。大変お忙しいとは思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

仮想空間でのやり取りであるから顔は見えない.でもこれに答えることもまた,大きな意味での教育の営みだろう.「高校数学の方法」を問題を覚えるくらいくりかえし勉強し,力をつけてくれたことは嬉しい.きっと中学でいろいろあって高校に行けなかったのだ.あるいは高校が続けられなかったのだ.そんな人が青空学園で勉強していることにこちらも励まされて,月日を重ねてきた.
そのような人間として,今回の核惨事と言うほかない事態を受けて,これからどのように歩んでゆくのか,若い人への問題提起は書き置かねばならないと思う.それで「311後をいかに生きるか」と題して順次書いてゆくことにした.ここにそのたたき台を載せてゆく.自分で読み直して考えるためでもある.
追伸:17日に東大駒場で次のような催しがある.可能な人はぜひ参加して考えよう.
シンポジウム「学問にとって未来とは何か」

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1.自分の手と頭で考えよう
1.1 数学を学ぶとは

私は,数学を学ぶということは単に数の世界を学び取るということ以上の,深い意味があると考えてきた.それはどういうことか.高校時代から大学初年級の時期に数学を学ぶことは,どのような命題であれ,それを鵜呑みにするのではなく,本当にそんなことがいえるのかと疑い,そのことの根拠を問い,自分で考え,必要ならそれを批判的にとらえる.その実地の訓練でもあるということだ.ここでいう命題は数学の命題である以上に,この世界で言葉で表された主張,言明をいうことにする.先取りしていえば「原発は安全だ」も一つの命題である.
人間はサルからわかれ長い長い時間を経て,力をあわせて働く生き物になった.人間はこの世界から糧を得るために力をあわせて働いてきた.人間一人一人は弱い生き物だが,一人一人が弱いながらもその力をあわせることで,類としての力を生みだし,長い時間を生きぬいててきた.
力をあわせるために言葉が生まれた.言葉は豊かになり,世界をなんらかの形に切りとってつかむ方法になった.言葉は人と人が伝達しあう方法であると同時に,言葉によって考えるということが可能になった.先に生きたものの智慧を次代に伝えることができるようになった.
人間は働きそしてそのことを省みる.言葉がそれを可能にした.今日の労働は昨日より疲れるとか,この石を持ちあげるのはあの石より楽だなど,体感しうる労働量の比較から量の認識がはじまる.また実がなるまでの日にちを数えることもあっただろう.こうして量の仕組みの科学が育っていった.それが数学なのだ.量の認識と数の発見からはじまり,これもまた途方もなく長い時間をかけて数学が育ってきた.
数学は,量を抽象してとらえ世界の仕組みを把握する言葉そのものである.第一の生得の言葉,いわゆる母語が,量の把握と結びついて数が生まれた.量の仕組みを考えることから論理や論証が生まれ,そして抽象し判断する言葉としての数学が育ってきた.これが人間である.数学は第二の母語であり,しかもこの母語は第一の母語によって表されるが,しかし他の母語に翻訳することが可能なのだ.数学の言葉には普遍性がある.
数学はそれ自体として存在するが,存在するところは抽象された場である.それゆえに数学的な判断は論証による.数学は論証してはじめて存在する.ある数学的事実は何を根拠に成立するか.それを考える.本当か? なぜなのか? と考える.数学的事実を把握し,根拠を論証し,一見正しいことも根拠が明確でなければあくまで疑い,真偽を追求する.
だから数学を勉強することは,批判的論証の基礎訓練である.証明するということ自体が近代の人間の必須の方法である.論述や弁証が典型的に用いられる数学を学び,結論の根拠を論述したり証明することをとおして,筋道を立て結論を予測しそれを論証する力をつける.
数学を学べば根拠を問う力がつく.このように考え,少しでもこのような数学を高校生に学んでもらいたいと望んできた.それが青空学園の意図の一つであった.
1.2 東電核惨事の衝撃
2011年3月11日,東北地方を大地震とそれにともなう大津波が襲った.さらに引き続いて東京電力福島第一原子力発電所で大規模で深刻な事故が発生,現在もそのその事故は続いている.これはまったく大きな事故であった.原発周辺は人の住めない町となり,福島県の各地に死の灰が降り注いだ.多くの人が故郷を追われ,帰れる見通しはまったく立っていない.子供たちの内部被曝の影響は計り知れない.福島原発自体一段落したといえるまでに百年はかかるだろう.人類史上もっとも酷い核の惨事になった.
このとき私は,大変恥ずかしいというか辛いというか,そのようなな気持ちでいる.先の命題「原発は安全だ」の根拠をどれだけ真剣に問うたかである.多くの人もまたそれを信じてきた.しかし実際は安全どころか危険であり,また廃棄物処理の体系も見通しのない技術であった.なぜもっと安全だと言われるその根拠を問わなかったのか.
私は自分の責任として,東電核惨事の原因とその本質について,力のかぎり考えねばならないと思う.今からでもやらねばならない.原発事故は何を明らかにしたのか.戦後の日本政治と政治機構,戦後の日本の科学技術政策,核技術とエネルギー政策.さらにもっと深くかつての戦争,その敗北の歴史との関係,近代日本の基本的な構造.これらの事実を明らかにしなければならない.
とりわけ,安全神話を支えてきた教育の役割について,深刻に考えなければならない.このようなことは実は原発事故の前から問題になっていた.バブル経済が終わった段階で,すでに日本の近代高等教育は一つの曲がり角を迎えていた.私自身それを問題にしてきた.
とりあえず目の前にいる大学受験生を念頭におけば次のように言えるだろう.明治維新から一定の時間が経ち近大教育制度が整備されて以降,個人が努力することで高等教育を受ける機会を獲得し,その高等教育を媒介にして個人の生活や社会的地位といった利益がもたらされるとともに,それが同時に社会発展であるとされる時代が続いてきた.近代社会を組織する人間を養成するために作られた旧帝国大学などは,はじめからそういう大学であった.
ひと昔前までは,自分のために「いい大学」を出ることが,同時に社会に何かの貢献することであり,同時に自らの幸福にもつながる,このような回路が機能していた.一般的に近代資本主義と産業社会が発展する段階では,大学というものはそのような位置づけになる.だから,がんばって勉強した.おしなべてみな貧しく,苦学しつつも機会は比較的均等であった.
その大学という制度が,見かけの形式はあまり変わらないが内容が大きく変わってきていた.自己の利益と社会の発展が一体というのは幻想ではなかったかと,皆気づきはじめている.高度経済成長は達成した.しかし,人々は幸せになったか.
産業社会の拡大と人間の幸せは別のものであることが覆いがたく誰の目にも明らかなものになった.がんばって勉強し,がんばって働き,自分の生活を築き,それがまた世の中に貢献するという,そのような人生の起点としての大学は,もはやない.近代資本主義の建設と経済成長に自分の成長を重ねることができる時代は終わった.
その結果,社会のなかで教育機関としての大学に求められることがらが変わってきている.しかし,ではどうあるべきかについての社会的な合意は形成されていない.今はそういう時代だ.現代は大学にいく意味が外からは与えられない時代になっていた.
このとき大地震が起こり原発事故が発生した.東電核惨事はその意味を考えてゆくと,近年近代の教育で問われていた問題が,すべてそこに内包され,そしてそれを劇的に明らかにしたことがわかる.そのような体系の中で,いわゆる原子力村が形成されてきた.原子力村形成において近代の大学が果たした役割も問われねばならない.
これはこれから自分の進路を考えてゆこうとする高校生にとっても,実は大きくて本質的で深刻な問題なのだ.核惨事とその後の保安院原子力安全委員会の醜態を見て,東大進学をためらう人もいるかも知れない.その感受性は貴重であるが,私は,問題はそこにはないといいたい.それもまた以下で考えてゆかねばならない.(以下 1.も続く)
2.核惨事とそこに至る歴史
3.その教訓と人類の行く末
4.人間として考え,生きる