東電社長はなぜ不逮捕?

今日昼のニュースで、4年前の居酒屋の火事で4人が死亡した事件に関してビルの所有者や居酒屋の店長が逮捕されたと報じていた.容疑は業務上過失致死傷である.なすべきことをせず人を死なせた,ということだ.
一方,昨日の夜のニュースで,福島の避難区域で,皆が避難した中で取り残された体の不自由な老人で餓死したと考えられる人が,ある町だけで5人いることが報じられ,担当の人や医師も,地震津波ならもっときめ細かく独居老人を訪ねられたのだが,原発事故で緊急避難の中では,それができなかった,といっていた.行政の人間も餓死は原発事故が原因だと認めている.
居酒屋火災で二人を逮捕しながら,ではなぜ検察は,餓死した独居老人の死に対して東電の業務上過失致死を問わないのか.その容疑は明らかに存在しているではないか.さらに,あれだけ多くの人が地震津波による原発事故を警告し,東電自体もそのことを認識していたのに,とりあえずの対策すら金がかかるということで後回しにしていた.原発事故は過失どころか少なくとも未必の故意である.多くの人が故郷を追われ,多くの人が亡くなり,また多くの家畜も死んだ.原発さえなければといって自死した人もいた.この先どれだけの放射線被害が出るのかもまったく分からない.これらのことについて,なぜその刑事責任が問われないのか.なぜ東電社長は逮捕されないのか.なぜ東電が捜査の対象にならないのか.誰でもそう考える.
追伸:同じ疑問を持った人がいる
これでは日本の検察や司法は東電の用心棒なのだといわれても仕方がない.確かに,用心棒ならご主人を逮捕しないのももっともである.東電とは日本の旧体制そのものであり,戦後,対米従属下で,地方を疲弊させ、沖縄を差別し,格差を拡大し,ひたすら大企業の経済的利益を追求して日本社会を荒廃させてきた旧体制である.その体制を守る用心棒,これが検察,警察,裁判所など日本の司法権力の実体ではないのか.
それではじめて東電社長が未だに逮捕されない理由が説明できる.そうかも知れない.こういう現代の日本をどのように考えればよいのか.このままでいいのか.いつまでこれを許しておくのか.
追伸(3/7):日本の首相自身が3月3日に東電の刑事責任を追及しないことを明言している.Japan PM: No individual to blame for Fukushima.その抄訳が大沼安史さんのブログにある.現在の日本国政府もまた東電の側の用心棒なのだ.首相の言葉はかつての一億総懺悔と同じ言葉である.懺悔などは必要ない.責任をとるべきものに責任をとらせる.もし今回一億総懺悔論で東電の責任を見逃せば,われわれは同じ誤ちくりかえすことになる.1回目の一億総懺悔で責任を逃れたものたちが,戦後原発を推進し,東電核惨事に至ったのだ.それでもまだ総懺悔をいうか,いわせておくのか,という問題である.