福島原発告訴団が発足

3月16日夜,福島原発告訴団が発足した.準備を重ね6月には東京電力,国,官僚そして御用学者を福島地検に告訴する.「福島原発事故の責任をただす!告訴宣言」にまったく賛同する.しかしこの一文にこめられた参加者の怒りと苦しみを思うと言葉はない.控訴団に参加したい気持ちだが,直接の利害関係がないと地裁にいわれると迷惑になるかも知れない.こちらで出来ることはしたいと思う.
先日,住宅工事の足場が風雨で崩壊して子供が亡くなった.すぐ警察は工務店を捜索した.ところが,東電は捜査すら行われない.福島第一原発核惨事では100万人が被曝した.これを原因として幾人もが亡くなった.あれだけ多くの人が危険性を指摘し,東電もそれを認識していながら,対策が後回しにされ,その結果の惨事である.未必の故意の殺人である.その犯罪が問われないのはどう考えてもおかしいではないか.
その一方で,政治的冤罪,つまりは検察・裁判所一体のでっち上げ事件は後を絶たない.最近のことをつなげば「小沢有罪,東電無罪,そんなことがあってよいのか」となる.とりあえず福島原発告訴団の発足を知ってほしい.そして少し考えてみてほしい.そのうえで日本という国家の歪んだ形を自分の問題として考えてみてほしい.
水俣の裁判も長期になったが,福島の裁判も現在の司法が相手ではまったく長期の闘いになる.しかしおそらく核惨事の後始末はそれよりはるかに長い時間が必要だし,核廃棄物の処理は数万年の月日を要することなのだ.2011年は大変な負担を後世に残す年となってしまった.しかしまた2011年は新しい時代の兆しを垣間見させる年でもあった.この福島での闘いの狼煙は全国に広がる,また拡げねばならない.そして新しい時代の「兆し」を「うねり」に,現実の変革に深めていかねばならない.