歴史のうねり

 小沢新党が発足した.国民の生活が第一党,である.これは必要なことであり,歴史的な必然があり,そうであるがゆえに必ず発展する.新たな政治勢力の誕生である.政治は何より政治主体の形成が出発であり,三年間の民主党の血の教訓のうえに,それを踏まえて再出発したことは,それ自体すばらしいことである.大手のマスコミはこれをできる限り小さく見せようと必死であるが,それが歴史の要求に応えるものであるかぎり,つまり未来において発展する質をもつものであるかぎり,必ず発展する.日本の近代は,国民の生活が第一の政治を実現する段階を必ず経なければならない.
 金曜日は再び官邸前抗議集会である.今回は警察権力との対峙が抜き差しならにところまで行くかも知れないし,あるいは再び逮捕者も出さず終えるかも知れない.あるいはまた,権力側がその気なら撹乱分子を紛れ込ませ,あえて騒乱をつくりだすかも知れない.しかしいかなる混乱が生じても,自覚し自立した個人が結集するかぎり,さらに大きなうねりをつくりだすことはまちがいない.この点において,私は基本的に楽観主義である.
 この二つはそれぞれ別個のことのようであるが,互いに連動している.官邸前集会の主催者の意図がどこまでであるのかはわからない.小沢新党がどこまで人々のうねりの中に出てこようといているのかもわからない.しかし,主催するものが自覚しようとしまいとに関係なく,それぞれが紫陽花革命の一環なのである.紫陽花革命,日本近代においてはじめて自覚した個人が歴史に登場し自らの政府を要求する革命,である.小沢新党がこのうねりを受けとめうる政治勢力であるのかどうか,それは歴史が判断する.いずれにせよ紫陽花革命を体現する政権が生まれるまで試行錯誤をくりかえさなければならない.そして歴史は紆余曲折を経るが,必ず到達すべきところに到達する.
 しかし,現在において,国家権力はあくまで旧体制の手中にあることを忘れてはならない.官僚制も警察機構も健在である.最近野田政権は尖閣諸島国有化を唐突に言いはじめた.あるいは橋下大阪市長が突然野田政権を賛美しはじめた.ここには何があるのか.旧体制は追いつめられれば起死回生の手を打つ.それは尖閣諸島の問題を巡って中国と衝突を引きおこすことである.旧体制が最後に拠り所とするのは戦争である.野田政権が総選挙の前に,あるいは消費税成立の頃に,中国との間で混乱を引きおこし,戦時内閣として生きのびようとすることは多いにありうる.それを橋下が賛美する.その選択肢も彼らは視野に入れて準備している.
 しかしにもかかわらず日本の旧体制は行き詰まる.なぜなら帝国アメリカが否応なく凋落しているからである.人道の罪そのものである大量破壊兵器原子爆弾を広島,長崎に投下し,戦後世界に君臨してきた帝国アメリカ.そしてそれにひれ伏すことで戦後の支配体制を維持してきた官僚を実働部隊とする日本の旧体制.そこに原子力村もある.しかしベトナム戦争,アフガン戦争,イラク戦争とそのたびに帝国アメリカは衰退をくりかえしてきた.今や世界は多極化し,アメリカは地球の一部を勢力下においているにすぎない.客観的に見れば,帝国としてのアメリカは同じ地球という船に乗りあわせた疫病神である.帝国の凋落,この歴史的趨勢は誰もおしとどめることはできない.そのゆえにアメリカの威を借る狐である日本の旧体制もまた行き詰まる.
 難しくも困難であるが,しかしこれほどまでに生きがいのある時代も,またない.目前の利害にとらわれず,あくまで原則的に,人間原理にもとづいて生きよう.強欲な資本主義に抗して人間原理を打ち立ててゆくこの時代にあって,どんな小さなことでもよい.自分の手の届く範囲でよい.いささかでも人間らしく,なし得るこをしようではないか.これを読んでくれている若い人に心から訴えたい.