関電前抗議集会

nankai2012-07-06
 関電前再稼働抗議集会に行ってきた.朝日新聞も無視できなくなって報じている
 4時過ぎ,西宮は大雨だったので雨合羽も用意して出かけたのだが,大阪に着くと雨は上がり,傘さえも要らなかった.こちらは個人としての行動に徹して,誰も誘わない.現地は人も集まりはじめ,6時過ぎにはもう2000人は越えていた.最終的には3000人に近かった.一年以上前から関電前座り込みの中心になってきた人たちと,新たに,東京と呼応して毎週金曜日に集会をしている人らとが合流しての集会だ.子供連れや赤子をだいた人,その世代の若者.その一方でわれわれのような老人というべき人.それぞれ,「ここで再稼働はないだろう,そこまで愚かなことをするか」という思いでやってきている.勤務時間がすぎて社員が順次出てくる.出口の通路部分を空けてその両側で集会をする.
 関電社員は複雑だ.私も遠縁に関電社員がいるのでわかるが,社内のどんな会議でも会社の方針を批判することと等,まったくできない.組合も会社と一体だ.一方,内部の者として原発の危険性は十分わかる.関電ビルから出て行く彼らにすれば,国策で原発をやらせておいて,今はもう原発がなければ財務が立ちゆかないようにしておいて,それで何でこんなに言われるのだ,言うんなら政府に言ってくれ,という気持ちだろう.それはその通りだ.「再稼働反対」は関電の社員にむけたものではない.関電をして原発をやらせてきた背後の政治,それで莫大な利益を生みだしてきた原子力村,核兵器保持能力を維持しアメリカという虎の威を借る狐の武器にするために原発を作ってきた,つまりはこの間の戦後政治,これに対する人々の怒りである.
 このような集会に行くと,それでも誰か知っている人に出会うのだが,この日は,門真市議の戸田ひさよしさんや衆議院議員服部良一さんの姿を見かけたが,「やあやあ」という知人には出会わない.参加層が変わってきた.新しい知らない人が出てきている.などと考えながら「再稼働反対」の声を合わせる.そのうち集会も半ばを過ぎて,顔見知りの人民新聞編集長のYさんに出会う.「どうしたの.いまごろ」「事務所でIWJユーストリーム中継を見ていたら,○○さん(私のこと)映っていましたよ.それもあって来ました」という.なるほど,彼が現場に来るきっかけになったのだ.ということで後半は,いろいろ最近のことごとについて話をしながらの集会であった.彼はバイクなので,一杯飲むわけにもいかず,別れていつものところで食事をして帰ってきた.
 それだけでいいのである.個人による個人としての意思表示のための街頭行動.これが大切なのだ.考えてみれば若い頃のこの手の行動はつねに組織の一員としての行動だった.教員組合の委員長というのも6年ほどあった.すべての組織活動が破れ,「人間として」以外のすべてがなくなったところから,再び歩いてきた.そして今,時代を切りひらいているのは,やむにやまれぬ個人の行動だ.これは日本の近代にはなかったことだ.新しいことなのだ.紫陽花革命の中味はここにある.この新しい事物の出現に,近頃いささか興奮していろいろ考えている.
 今日は午前中,ポンスレの定理を再訂してあげ,ケーリーが結果だけを書いている一般的な十分条件が,きっちり証明するとしたらなかなか準備がたいへんだということを確認.印刷したものや資料を整理し,これからの方向を考えた.それから当面の仕事も確認した.月末までに問題を5題作成しなければならない.明日から少しでも取りかかろう.ここまでやって,さて気分転換.関電前抗議集会に出かけた次第であった.
 写真は8日朝見つけたタマムシの羽.これは残しておこう.