時代のうねり(続)

nankai2012-08-04

昨日は,神戸三宮の関電前集会に顔を出してきた.5時まで大阪で授業をして5時50分に三宮.20分歩いて浜の方の関電前に.すでに集会は始まっている.知った人はいないがわれわれの世代が多い.大阪より少し上品(笑).時間のあるかぎりいて,それからまた東公園の中を歩いて三宮駅に戻りそこから神戸教室に行き,7時半から2時間授業をした.さすがに少し疲れるが,見るべきほどのものは見ておかなければならない.
全国で,このような集会が開かれている.日本の動きを伝える海外メディアは,「デモの少ない日本で,このように多くの人が集まっている」という.しかし,この日本で街頭の直接行動は江戸時代からあった.それがおかげ参りである.奉公先を抜け出し,伊勢に参る.職場放棄の街頭行動である.これがおよそ60年ごとにくりかえされてきた.そして江戸時代末の「ええじゃないか」である.「世直り,ええじゃないか」と人々は街頭で踊った.それから,米騒動,60年安保〜70年闘争とやはり数十年ごとにくりかえされてきた.
直接の街頭行動は,人々の間に受けつがれてきた記憶である.それが世の不合理がきわまると噴き出す.そして時代を大きく動かす.3.11以降の反原発のデモ,再稼働反対・野田政権打倒のこの間の運動は,日本列島弧の伝統的な世直し運動を受けついでいる.それだけに深く,持続され,世を直す.そしてまたその中で人をかえてゆく.米騒動のときある集会で「お前喋れ」と突然言われた名古屋の工員の青年が,その後,名古屋地方の労働運動の中心になっていったのは有名な話しである.このような祝祭空間に身をおいた経験は,身体が覚える.
小沢新党,国民の生活が第一,が10年での原発全廃を打ち出した.私はそれを支持する.10年で廃止なら,今すぐその段取りを策定し,さっそく取りかからなければならない.同時にそれは,10年で原子力村を解体し,旧体制を国の中枢から一掃することを意味する.そうでなければ原発廃止はありえない.大きな抵抗,大きな反動をおしのけねばならない.その動きを見守りつつ,自分の仕事を続け,そしてできる行動はしてゆこう.