大阪反原発デモ

 今日はTwitNoNukes大阪の主催した大阪北のデモに行ってきた.昨日の金曜行動は原稿改訂が重なり行けなかった.代わりということではないが,久しぶりの大阪でのデモだった.昨日の夜はいつものように2000人程だったそうだ.昨日の関電周辺を取材した田中龍作さんの記事がおもしろい.梅田の西側もずいぶん変わったものだと歩いて集会場にいった.先週関電前の集会で日の丸を掲げて一人で参加していた人が「ときどきお見受けします」と声をかけてくれた.「今日は日の丸はどうしたのですか」「あのあと二,三意見もあって今日は日の丸は遠慮しました」「行動で統一するかぎり,どんな旗を掲げようといいと思いますが」.それからいろいろ話して,まあ若い人ががんばってやっているのだ,その意見を尊重しようと,老人2人で一致した.
 デモに出る.沿道の若い人が立ち止まっていろいろこちらを見ていた.かつてよりもデモに対する人々の構えが違ってきているように思われる.デモの記録はIWJ大阪「2012/09/08 反原発デモ in 大阪」にある.先週日の丸の人は「私はずっと右翼だったのですが、原発の問題では,やはり止めなければと思います.それで来ています.右翼で原発推進のところがあるのが残念です」.ということで,右翼の人ともと左翼の私が一緒にデモしてきた.どう見ても70歳になっておられようかという人であるが,最後まで歩いておられた.
 3.11以降,旧来の枠組みの左翼,右翼は意味をなさなくなった.それぞれがそれぞれに分化した.分化の基準はただ「人間として」かどうか.私はそれがバディウの言う新しい段階の仮説としての共産主義と深く関係していると考えている.が,それこそこれはまだ仮説.現代において共産主義とは何かの定義もまだない.これは難しい.無条件に「人間」を置くことはできない.人間を規定する関係性の総体,という議論になると70年代の「疎外論から物象化論へ」という議論のくりかえしになる.ここはまったくまだ何も考えることができていないところ.閑話休題
 国会は閉じたようだが,政府はそんなことにかまわず原子力規制委員会の人事を国会同意抜きで首相が任命し,強行発足させようとしている.それも事後の国会同意もなしでであるから,議会制民主主義という立前も投げ捨てた行動である.もちろん野田首相を背後で動かしているのは財務省であり,つまりは旧体制,原子力村である.彼らもここまでしなければならないほどに余裕がなくなっているのだ.旧体制側には60年安保闘争の記憶があり,あれだけのデモやストがあったがあのように乗りこえられた,今回もおしきればほとぼりは冷める,と考えているのだろう.
 だろうか.1960年の時とは状況が違う.野田首相が何かをすればそのたびに集会の規模が大きくなって来たこの間の経験から言えば,ますますこのようなデモ・集会は膨れてゆく.それがどうなるのか.数だけでは状況は変わらない.それでは何を準備するのか.準備はなされているのか.等々ここはもう少しよく見てよく考えなければならない.
 追伸:先日のWBC参加問題で毎日新聞が社説で正論を展開している.「WBC参加問題 『不平等条約』の改正を」である.社説には書いていないが,いちばん基本の不平等条約日米安保条約であり日米地位協定である.それが,今日沖縄で開かれる「オスプレイ配備反対県民大会」で再びあきらかにされる.これについては目取真俊さんの意見に賛成する.