『魯迅−阿Q中国の革命』

 片山智行先生の『魯迅−阿Q中国の革命』(中公新書)を読む.片山先生は高校のときの漢文の先生.その後大阪市立大学に移られた.卒業後二,三回お会いしたが,今もお元気だろうか.この本を書棚から取り出し読み直したのは,今の日中間の問題をもう少し掘り下げて考えたいと思ったからだ.領土問題での衝突は上辺の現象に過ぎない.本当の問題は,現代という時代に,中国の人々,日本の人々がいかに生きるのかという問題であり、近代の歩みを省みながら東アジアでいかに共存してゆくのかという問題なのだ.
 現代日本魯迅に関する評伝などの多くは、魯迅と中国革命を切り離して論じている.その中で片山先生のこの本は,あとがきにもあるように、資本主義化する中国への批判的視点を失わない好著である.魯迅もまた当時の中国を襲った資本主義=帝国主義の非人間性にたして,人間としての原理を打ち立てようとした.それを夢に終わらせないために,中国革命に彼の立場から参加したのだ.この本の表紙裏には次のように書かれている.

帝国主義列強に侵略され、半封建社会であった清末から民国時代の旧中国には、様々な「馬々虎々(マーマーフーフー)」(欺瞞を含む人間的な「いい加減さ」)が存在した。そうした「馬々虎々」は支配者によって利用され、旧社会の支配体制を支えていた。魯迅は中国民衆を苦しめてきた悪霊支配を憎み、その支配を助長する土壌を憎んだ。彼は中国社会にいまなお存在する「馬々虎々」を中国(民族)の死敵と見なし、終生それと真正面から闘いつづけた文学者である。

 魯迅は封建時代の中国民衆のなかにある問題を考えつくし『阿Q正伝』のような文学にまとめあげた.これなくして人間原理の実現はないという問題であった.魯迅は近代に向かう時代の流れのなかで,それを受けとめるべき主体を形づくるための基礎作業としての文学を提出した.このような人がいたことは,中国の歴史の重みである.この本にも書かれているように,その魯迅は同時に古典の拓本や文献の収集家でもあった.私は思わず「その気持ちよくわかる」と思ったが,歴史と中国語を基礎に,次の時代の準備をした魯迅は,私にとっても大きな存在なのだ.以下,この本の書評ではなく,本書に触発されて考えたことを書いておきたい..
 「馬々虎々」は旧中国のことではない.まずそれは現代中国の問題そのものであり,そして現代日本の問題そのものである.「馬々虎々」な人は中国にも日本にもまだまだある.というよりそれがそれぞれの社会の多数派だ.しかしそしてその中で,「馬々虎々」を脱して新たな人間としての判断をもつ人々が,日本においても中国においても,また一定の量をもって存在しつつある.
 「馬々虎々」(欺瞞を含む人間的な「いい加減さ」)はまず現代中国のとりわけ地方官僚とそこに群がる人々の中にある.地方党幹部の利権にしがみつく腐敗,これはこれまでの中国官僚の歴史のなかでもとりわけ酷い.今日の中国共産党は上から下まで事実として完全に利権の組織なっている.私は二〇年前の1991年,中国が資本主義の道を歩みはじめて数年のとき中国を旅行した.その前に中国を訪れたのは1975年だった.1991年のことは『十六年目の中国』に書いた.当時すでに中国内部に資本主義の道を歩みはじめたことを批判する人がいた.そして今回の尖閣列島問題である.その政治力学的なことは前回書いたのでくりかえさないが,反日デモに参加した多くの中国の人々もまたアメリカ産軍複合体の手のひらの上で踊っているのだ.中国の反日デモは結局は東アジアにおけるアメリカの存在理由を強化するだけである.しかしこのような中でも冷静な人々のいることを『人民新聞』1459号の「在中国日本人教師現地レポート」で知った.新しい人々が中国にも現れてきている.このような取材に感謝する.
 一方,日本における「馬々虎々」はなにより原子力村である.そのまき散らすカネに心を売った人々である.対米従属を第一とし,現地がこれだけ反対していてもオスプレイ配備を承認する日本官僚である.この官僚の制度的な無責任こそ,日本の「馬々虎々」である.現代日本支配層の無責任,ここに魯迅が批判しつくした「馬々虎々」がある.これについては「だより」でこれまでも書いてきた.しかし日本の原子力村を内側から批判した小説『阿Q原子力村正伝』はまだ日本に現れていない.
 私は,日本の将来は東アジア共同体の中にしかないと考えている.その段階を経なければならないと考えている.その共同体はEUのような政治体制ではない.それぞれ独立し相互に協同する新しいあり方である.しかしそれは、現在の中国の政権のもとではなかなか困難であり,現在の日本の政権のもとではありえない.今のままアメリカの力が弱ってゆけば,日本は中国にのみこまれる形になるだろう.しかしそれは歴史を次の段階に進めたことにはならない.中国も日本も結局は官僚制が強固な国であった.下からの人々の力がこの官僚制にもとずく体制を打破しないかぎり,新しい東アジアはありえない.そして沖縄の未来は,この新しい東アジアの中で,交易の拠点としての繁栄を築く以外にない.三年前の衆議院選挙で民主党東アジア共同体の設計図を描いた.それは人々の支持を得た.しかしその後の3年は裏切りの連続であった.彼らに任せていたのではそれははかない夢に過ぎないことを教えた.夢を現実にするためには,人々の力がなければならない.
 この間,私的に忙しくしばらく「だより」を書けなかった.ようやくに時間ができた.人々の力を一つに,このために基礎となる思索を少しでも積みあげていきたい.