金曜行動の持続

昨夜の関電前集会は緊張のあるもので,人の参加も多かった.先週のまったく不当な逮捕.15日の拘留だそうだ.わざと転んで逮捕して15日の拘留.それで昨日の集会がどうなるかと思っていたのだが,参加者は減るどころか,逆に増えていたと思う.反原発の人の動きは,この関西でも,警察の小手先の弾圧では押しとどめることができないところにきている.原子力村の,警察や司法も巻き込んだむき出しの支配,彼らの意志をそのまま政治にする現政権の腐敗.なにより原子力村の非人間性.これらが露わになればなるほど,行動をはじめる人の波は大きくなる.ここに報告あり
もとより多くの人が出会えば,それぞれのなかの意見の違いも,運動作風の違いも出てくる.この三月からの金曜行動と、昨年の春から持続する正門前の座り込み行動と.それぞれに自分たちでやってきたことへの自負もあるし,意見の違いも当然あるだろうが,しかし,どうか大きな目的を共有して,互いの持ち場で仕事を分けあうようなつもりで,これを拡げていってほしい.昨夜見るかぎり,基本的なところでは互いを認めあい,分担がなされていた.
昨日は四時前にようやくこの夏からやってきた Flatto の本が10章まで終わった.それから出かけたので,こちらは「再稼働反対」に声を合わせながら,頭の中はリーマン面という具合であった.大学入試にも出るポンスレの定理の奥行きの深さがようやくに理解できたところだ.集会に参加しながら,これをどのように再構成してゆくか,できるだけケーリーの計算を生かしたい.またこの間こちらでやってきた計算も生かしたい,しかしまた代数幾何の必要なことはまとめなければならない,などなど考えるものだから,あっという間に7時半が来た.
集会では一昨年の御堂筋デモ以来の知りあい三人に出会い一緒であった.集会の後,そのうちの二人と一緒に食事をして,これからの市民としての運動のことをいろいろ話しあった.来週もまたと約して別れた.65歳を超えた二人と40代の一人が,時代の動きの中で出会い,こんな議論をする.それ自体はおもしろいのであるが,しかしわれわれを動かした時代の現実は悲惨である.核惨事を引きおこした責任あるものが優雅な老後を送り,その一方で将来に絶望して「原発さえなければ」と書き置いて自死した酪農家,故郷を奪われた多くの人,書き始めればきりはない.この現実を変えろ,それが歴史の求めていることであり,われわれをつき動かす.