米領事館から関電前へ

昨夜は『オスプレイいらない!基地も原発もいらない10・19緊急行動」で大阪北区のアメリカ領事館前で18時〜19時と抗議行動,それから関電前行動と参加してきた.呼びかけた団体は,「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」,「沖縄の高江・辺野古ににつながる奈良の会」,「沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会」,「京都沖縄県人会」,「沖縄意見広告運動」の5団体.それぞれに関西の地で沖縄の問題をわがこととして取り組んで来た人らである.オスプレイに加えて米兵の暴行犯罪である.これに対する怒りであった.国会議員や市会議員からもあいさつがあった.知りあいの人民新聞の記者のIさんにも出会い,一緒に声をあげてきた.
沖縄の現実は,戦後の日本本土政府によっていわば帝国アメリカに差し出された島として,生みだされてきた.そのうえで,さらに見方を変えれば,今回のオスプレイと米兵の暴行犯罪は,アメリカという帝国の急速に進む荒廃そのものであり,それがより直接的に沖縄において現出する.あのような暴行事件は,アメリカがいかに大義を失って軍事行動を続けているかということの証左である.オスプレイ問題でも,こういう危険な飛行は密集地の上ではしないといっておきながら,配備されればまったく無視する.帝国の崩壊は,まず倫理性,正統性の崩壊が人々の前におおやけになることに現実化する.そしてアメリカの言われるままにこれを追認する日本政府への怒りもまた一段と質的にも変わってきていることを感じる.しかし,いかに帝国が凋落してゆこうと,ゴミは掃き出さなければ,片付かない.この怒りを現実を変える力に転化してゆくには,われわれの側がまだまだ多くの試行錯誤を経なければならない.
それから北新地を東から西に通り抜けて関電ビルまで歩いた.北新地は,今の日本のおかれた現実を忘れようとするかのように,金曜の夜の賑わいであった.15分歩いて関電前.この日の参加者はこの緊急行動参加の人をあわせて2000人は超えていただろう.先週と同じ人らに出会い声を再びあげてきた.緊急行動はその後天満署に再び移って先日の「わざところんで逮捕」の抗議にいった.今朝メールをもらったが,人民新聞の彼はそちらとも行動を共にし,夜10時まで天満署で抗議行動を続けたそうだ.われわれ老人は7時半で引きあげさせてもらった.
沖縄の問題と原発の問題と,戦後の日本の有り様を大きく変えないかぎり,次には進めない問題だ.どのようにしてこれを変えるのか.議会選挙も一つの方法である.だがそれは方法の一部である.歴史を動かす土台の力をそれぞれの場でなし得るところからどのように一人一人作ってゆくのか.この力がなければ,議会政党や議員は腐敗する.辻元清美議員をはじめ今の民主党がいい例だ.関電前の座り込みと金曜行動の二つの取り組みが,大きな歴史の流れのなかで一つの力に合流することを願っている.それは可能である.1986年のチェルノブイリ事故から1991年のソ連崩壊まで5年.日本の旧体制が崩壊するまで,どれくらいの時間が必要なのか.早くなるのも遅くなるのも,人びとの力次第である.三人で食事をしながら,それやこれやの議論を続けて散会した.
追伸:読みかえして議論不十分,掘り下げ不十分なところが目につく.取りあえずのメモであることを言割っておきたい.