チェルノブイリとソ連崩壊

先日「1986年のチェルノブイリ事故から1991年のソ連崩壊まで5年.日本の旧体制が崩壊するまで,どれくらいの時間が必要なのか」と書いた.その後,ゴルバチョフ回顧録で次のように語っていたことを改めて知った.これを教えてくれたのは,梶村太一郎さんのブログ「明日うらしま」のなかの「フクシマが日本社会に問いかけているもの/小田実氏5周忌によせて」であった.ちなみに,このブログの「白ネコでも黒ネコでも脱原発法支持は良いネコ/小沢一郎氏と河合弘之弁護士のドイツ視察」もたいへん優れている.ぜひあわせて読んでほしい.
さてブログによると,ゴルバチョフソ連大統領は回想録で

チェルノブイリ原子力発電所の事故は、わが国の技術が老朽化したことだけでなく、従来の体制がその可能性を使い尽してしまったことをまざまざと見せつけた恐るべき証明であった。それは同時に、歴史の皮肉か、途方もない重さでわれわれの始めた改革にはねかえり、文字通り国を軌道からはじき出してしまった。

と 述べているそうである.ゴルバチョフソ連邦の枠の中で改革をやろうとした.その中身は今の中国と同じで社会主義の名だけ残して,中身は資本主義そのもであったのだが,そしてそれはフルシチョフ以来のソ連の進んできた方向であったのだが,チェルノブイリ事故はそんな路線を吹き飛ばし,ソ連邦そのものを崩壊させた.ゴルバチョフ自身がそのことを証言しているのだ.1917年の社会主義革命で誕生したソビエト社会主義共和国連邦は,変質を続け,71年の後にチェルノブイリ核惨事を契機として崩壊したのである
このゴルバチョフの言葉のなかの「従来の体制がその可能性を使い尽してしまったことをまざまざと見せつけた恐るべき証明であった」は,そのまま福島核惨事以降の日本をまさに正確に言い表してはいないか.戦後日本の,アメリカに従属しながらひたすら経済的繁栄を求める官僚が取り仕切る旧体制,これがその可能性を使い尽くしてしまった.地震列島に原発を作り,福島第一の事故後も情報を操作して事態の真実を隠し,核汚染を世界にまき散らしながら誰一人責任を取らず,福島を見捨てる日本政府の有様は,まさにこの体制の可能性が使い尽くされたことを示している.これを存続させることは人間と地球に対する冒涜である.日本列島弧に住むのものの責任において原子力村を解体し,旧体制を終わらせ,人類の叡智を集めてこの惨事に対処する体制を生みださなければならない.
しかしいかに「可能性を使い尽くしてしまった」ことが明らかになっても,それだけでその体制が崩壊するものではない.現実にソ連邦を崩壊させたのはエリツインという人間の登場であった.エリツインの評価はいまは置く.日本もまた,旧体制を崩壊させる人間と人々の心を一つにまとめる政治力が必要である.日本官僚制は明治10年頃以来の長い歴史を持っている.それはしぶといし手強い.旧体制の側も必死に取り繕ろうとする中で,せめぎあいが続いている.それが現在である.われわれはいま,そこでどうするのかという岐路に立っているのだろう.立ち上がった人々の連合の力で新しい政治の形まで生み出してゆくことができるのか.そこが問われている.考え行動し人と繋がり,また考え,そして行動しよう.写真は夙川の秋の鳥.鴨と川鵜,そして白鷺.