原発ゼロ社会実現シンポ

追伸1:11月1日夜に「原発ゼロ社会実現シンポ」集会の案内が来た.御堂筋のデモ以来つきあいのある人たちがやる.これだけの人に来てもらうのにいろいろ苦労もあったようだ.河合弘之氏は脱原発弁護団全国連絡会の代表である.一堂に会して脱原発議論をやるのはたいへん意義のあることだ.会場の西宮勤労会館は私の地元で,かつて毎年組合の支部大会をやり,またいろんな集会でも使ったところだ.これも何かの縁である.当日は設営も手伝おう.印刷用PDFファイルはここから.チラシ(拡散可)ということなので,それぞれに出来る協力を.これにブログの表題を代えた.
先日,10月26日の関電前金曜行動で,知り合いが「生活が第一党」の脱原発政策のビラを配っていたら,40歳前の人がやってきて「小沢さんは自民党時代原発推進だったのではないか.そのことを謝罪しなければ,脱原発と言っても信用できない」と言ったそうだ.知り合いは,今何をしているか見ろと一喝したと言っていた.まさにその通りだ.が,実際のところ,「生活党」の脱原発は選挙のためだけで,選挙が終わればまた今の民主党と同じように元に戻るのではないかという疑問をもつ人が多いのは事実だ.
フリーのジャーナリストの田中龍作さんは脱原発の運動をしている人の中にそんな疑問があることをふまえたのだろう.昨日29日の「生活が第一党」の定例記者会見で質問したそうである.その記事が『生活・小沢代表 「原発に依存してしまった」 自民党時代を反省』と出ている.
私は政治家は過去の政策を言葉で謝罪する必要はないと考えている.どんな人間も多くの誤りを犯して,そのうえに今があるのだ.それは誰も同じ.反省し政策を変え,新たな政策を責任もって進めることが,政治家としての「謝罪」であり責任のとり方なのだ.その点で田中龍作さんが「過去の失政に口をつぐむ政治家ばかりのなか、失政を反省し、脱原発を政策の柱に掲げたことは評価できる。」と書いているのに賛成である.ようやくに自分の考えをそのまま述べる政治家が出てきたのだ.
追伸2:11月2日,今日も金曜関電前行動.季節は巡る.今日は寒かった.それでも同じように人々が集まる.何も現実は変わっていない.それどころか,日立のイギリス原発企業の買収,関電の値上げ策動と,人々の怒りをかき立てることが続く.沖縄の屈辱は限界に達しつつある.今はどこに向かうのか.もう少し現実の歴史過程と,そして歴史のあるときに生まれてきた人間の生き方を掘り下げたいと考えている.