越木岩神社のどんど焼き

 毎年これは書いているのだが,今年も十五日,地元の越木岩(こしきいわ)神社にしめ縄などをもってゆき,燃やして来た.関西では十五日までを,門松を飾る期間,松の内といってきた.そしてこの日にそれを福火で燃やすのである.どんど焼きとか左義長とかいわれる古くからの民俗が,神社に生きている.こういう行事の一つ一つに農耕文化の年が改まっていく世界観がこめられている.これから春の農耕の時節を迎える準備をしてゆくのだ.
 この神社は古い.瀬戸内海を望む台地の上にあり,少なくとも弥生時代から人間が住んできた.神社の背後には大きな岩があり,これがご神体になっている.むかし大阪城築城のために切り出そうとしたが,できなかったそうである.そのさらに前,室町時代俳人山崎宗鑑(やまさき そうかん)(1464〜1553)の句 『照る日かな 蒸すほど暑き 甑岩』ものこされている.
 人がぽつりぽつりとやってくる.こちらも一通り火にあたり,甘酒をいただき,参拝して戻ってきた.こういう行事はいつまでも続いてほしい.その土地その土地に根づいた神社は,ほとんど民俗そのものである.神々はあまねくいておられる.大きな岩や高い木や,そこが神の依り代として崇められてきた.自然への畏怖,これが土台である.
 どこかで自然への畏怖を失って,原発を作り続けた戦後日本.そして間もなく阪神大震災から十八年である.大きく世界が動いてゆくときに,このままでは日本は現代のローマ帝国アメリカと共に衰退した愚かな東洋の国として後世に残るだろう.なし得ることはしなければならない.等々いろいろ歩きながら考え戻ってきた.こうして正月松の内は終わり.本格的に春に向けて仕事である.いろいろたまってきた.順にしあげてゆかなければならない.
 追伸:夕方,takehikom さんに教えられて注文した田村二郎先生の『量と数の理論』(1978年,日本評論社)が来た.一気に読めそうな本である.そこまでやって自分の考えをまとめよう.こうして人間は月日を送り,そして老いてゆくのだ.