暗闇の思想

nankai2013-01-25

 昨日からまた授業.センター試験も終わり,受験生は,出願先を決め,願書を出し記述試験に向けて準備をするときだ.センター試験が終わればいつも生徒諸君に言う.「後悔はあるだろう.しかし,後ろは振りかえらない.事実を受け入れ,ただ前進あるのみ」.実はこの言葉,毛沢東の言葉の受け売りなのだが,実際,人間すんだことをくよくよ言ってもはじまらない.
 さて,授業の前に本屋にいって『いまこそ〈暗闇の思想〉を 原発という絶望、松下竜一という希望』(一葉社)を買う.1月15日に出たばかりである.この本と松下竜一さんの歴史,およびこの本のもとになった,2012年6月の「第8回竜一忌」における小出先生の講演のことなど,ネットで調べれば詳しい.小出先生の「非公式まとめ」のここにその日の講演の録画もある.竜一忌は,松下竜一さんの活動を支えた人たちでつくる「草の根の会」(梶原得三郎代表)の主催で,毎年,中津市で開かれている.
 松下竜一さんは〈暗闇の思想〉を,この本に特別収録されてる一文「〈暗闇の思想〉から十七年」にあるように,九州の地で環境権を打ち出して運動する中で,1972年頃考えはじめられた.

 かつて佐藤首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所建設に反対するのはけしからぬ」と発言した.この発言を正しいとする良識市民派が実に多い.必然として,「反対運動などする家の電気は止めてしまえ」という感情論がはびこる.「よろしい,止めてもらいましょう」と,きっぱり答えるためには,もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ.電力文化をも拒否出来る思想が.

 これは1972年に新聞に書かれた言葉である(同書より引用).今も昔も政治家は同じことを言う.暗闇の思想は,この資本の恫喝に対抗する思想なのだ.そして昨年6月,この思想を基軸に,小出先生の講演はなされた.小出先生の話そのものはぜひ本で読んでほしい.あるいは上記録画もある.そのなかで福島の核惨事の現実とその意味について語られている.日本の法律を適用すれば広大な汚染地域を無人化しなければならない.東電のしたことは明確な犯罪である.しかし裁かれることもなく,福島には今も人が棲み,生活している! そして,本書のあとがきの見出しは「他者を踏みつけにせず生きる」である.このような文明への根底的な批判と未来への希望である.

本来,夜は暗い.その夜を不夜城のごとく明るくすることが幸せということなのか….「暗闇の思想」は,私に問う.他者を踏みつけにせずに生きていかれる社会,エネルギーなどふんだんに使えなくても豊かな社会がきっとあると松下さんは教えてくれた.

 これがその結びの言葉である.〈暗闇の思想〉は,拡大を旨とする今の経済第一の時代から,新しい,人間の時代への転換期に,その方向を教えてくれる思想である.現代は人間原理を一つ,一つと打ち立ててゆく時代,というのは私の言ってきたことであるが,やはりそうだと思う.それぞれがそれぞれの歴史を背負って,少しずつ異なる言葉で同じことを言う.それが共鳴する.こうして,一人一人が,この時代を考えながら生き,そしてそれがどこかでつながって,時代を生みだしてゆくのだ.そのことについて私は楽天的である.情報技術の進展はつねに歴史の新しい段階を準備してきた.このようなブログの連携でその時代の思想が,熟成してゆけばよい.またそれは必然でもある.
 写真は朝日に映える黄梅.朝,犬の散歩で出会った.黄梅は真冬に真っ先に梅よりも早く花をつける.