ドイツと日本(続)

1933年1月30日は,かつてドイツでヒトラーが首相に就任した日である.それから80年,ドイツ議会では当時を生きのびた90歳になろうというユダヤ系ドイツ婦人の講演があり,また,各地,各施設でさまざまの行事が行われた.高校生が「もういちどあんなことをくりかえしてはいけない」と語るのも放映されていた.ドイツはナチスの時代に対して,いわばそれにケリをつけ,その上で,昨年脱原発を決めた.
1933年は,日本についていえば,国際連盟脱退の年である.日本の傀儡国家であった満州国の成立がその前年.これに対するリットン調査団の日本を批判する報告書が,国連で採択されたことに抗議して,3月27日,国連を脱退した.それ以降,日本は東アジアから南洋アジアへ広く侵略を行い,そのあげくの8月15日であった.国連脱退から80年の今年,日本は国際的に孤立したこの侵略の歴史に向きあうことが出来るのか.
いわゆる従軍慰安婦問題でも,先日29日,ニューヨーク州上院は,これは「人道に対する罪」であるとの決議案を採択している.いまだにこういう決議が上げられるのは,それこそいまだにこの問題の始末をつけていないからだ.もちろん,「人道に対する罪」というなら,最悪最大の大量破壊兵器である原爆を,二度も実際に用いたのはアメリカであり,アメリカもまたそのことに向きあってはいないのだが,日本が,かつての戦争にケリをつけるという問題から逃げ回っているのも事実である.そのあげくの原発再稼働である.これは一体の問題である.
前にも書いたが,ドイツはすばらしいとか,そういうことではない.ドイツは第一次世界大戦で悲惨を経験し,もうこんなことはやめようとなったはずであったが,結局ヒトラーの台頭を許し,ユダヤ人虐殺にまで行った.愚かなことを二回しないと,その社会の経験として定着しない.悲しいかなこれは歴史の現実である.その上でのいまのドイツである.
日本の一度目の悲惨はあの戦争と原爆であった.二度目の悲惨は福島の核惨事である.これは事実である.ここから教訓を引き出し,生き方を少しでも変え,新たに歩みはじめようという人々が,広く深く生まれてきているのに対し,その一方で,これを見ないふりをしてやり過ごし相変わらずの経済拡大を求める勢力が存在し,それが現在のところ国家を牛耳っている.このままでゆけば,ヒトラーの台頭と同じことがこの日本で起こり,もういちどの徹底した悲惨を経なければならないことになる.しかしもう一度の核惨事の後には,もはや日本はない.
それを許すのか,それでいいのか,そう言うことが,1933年から80年の今年,問われている.