ユニクロの矛盾

23日の朝日新聞に,ユニクロの柳井会長の言葉が載ったようだ.新聞はとっていないので,ネットで知った.

グローバル化の問題。10年前から社員にもいってきた。将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減る。低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない。

これを巡って,いろいろ議論がなされている.田中龍作さんも「ホームレス殺人事件と年収100万円社会」で言及されている.また孫崎享さんもツイッターで言及されていた.SPYBOYさんも金曜行動の報告にあわせて,柳井会長の発言を批判しておられた.それぞれその通りである.そのうえで私は資本家であり経営者であるユニクロ柳井会長に,やれるものならやってみなさいといいたい.
もし年収100万円の人と年収1億円の人が棲む社会になったとしよう.そのときはユニクロ自体が消滅するときだ.年収100万円の人はユニクロの製品を買うことはできない.年収1億円の人はユニクロの製品など見向きもしない.かくして,ユニクロの店には誰も行かないということになる.中間層の購買力に依拠した企業が,その中間層でもある自社の社員を年収100万円に追いおとさなければ立ちゆかない,それが今日の新自由主義資本主義である.
マルクスが『資本論』で,絶対的な貧困化とその一方での過剰生産について論じたとおりの事態である.ユニクロの根本的な矛盾である.そしてこれは,ユニクロだけの問題ではない.資本主義そのものの矛盾である.搾取し収奪しなければ企業は競争に負ける.しかしそうすれば人々の購買力は落ち,作っても売れない.これまでなら,そのとき資本は労働力と販売先を求めて他国へ展開する.しかし今日ではもはや,この地球上に新たに開拓する市場はないというところに来ている.資本主義は,地球という船のうえで暴れ回り,のたうち回り,そして地球を難破させ,食い尽くそうとする.いずれの国も例外なくそうのようにしようとする.資本主義の最後の収奪の方法,そえがTPPである.TPPとはそういうことだ.
くりかえし言うことになるが,人間にとって経済は方法であり,手段である.決して目的ではない.手段としての経済,これを現実化する.放っておけば,勝手に動き回る資本主義を,人間の手で規制する.金儲けを目的としない,方法としての市場,これをおこなわせる.それが資本主義を乗り越えるということだ.資本主義の生産関係を別のものに置き換えることを目的とするよりは,それを乗り越えることを第一義とする.
わが家では,西宮の農家が有機栽培した野菜が,毎週月曜日に来る.作った人自らが軽トラで届けてくれる.人参は人参の味がする.自然食品のネットワークにも入っていて,牛乳,ヨーグルト,肉,魚の干物,地酒などが水曜日に来る.生産者のこともよくわかる.過半の食材はここで得る.これは市場を通さない,人間関係の見える,経済である.生産者とそれをいただくものを結びつけるこのような関係は,小さい単位のまま,もっと横に繋がっていけば,何かを生みだす.これはTPPに対抗するささやかな一歩でもある.身の回りから,できるところから,新しい生産者との関係を作っていきたいものだ.
資本主義を使いこなす人間の確立,それが第一である.経済を方法,手段としておさえうるためには,それだけの人間性がなければならないのだ.かつての計画経済は資本主義の対立物を生みだそうとした.そしてそれは破産した.貴重な経験であった.その段階から進んで,こなれない言葉で言えば資本主義を「止揚する」,要するに「乗り越える」.資本主義を方法として使いこなす人間の確立とその政治体制の実現.そしてその国際的な連合.これはすでに南米などではその一歩を踏み出している.その道筋となすべきことごとについて,大いに議論が進むことを願っている.経済の時代から人間の時代への大転換期.その始まりの時代.それが現代である.写真は原種のバラと虫一匹.飛んでる虫にピントが合った! それとテッセン,クレマチスの花.