六・一五の日に

 昨日は,1960年6月15日,樺美智子が国会前デモで殺されてから53年の日であった.私は,6・15と聞けば,これを思い起こすが,昨今ずいぶん風化しているのではないだろうか.しかし,現実は風化しているどころか,あのときの安保問題はそのまま現代の問題である.安倍政府は4月28日に「主権回復の日」式典を開催した.その1951年に,サンフランシスコ講和条約と表裏の関係で結ばれたのが日米安保条約である.このときはまだ防衛庁自衛隊はなかったが,1954年に自衛隊が発足,1960年,これらにあわせて条約を改定,その批准国会のさなか,条約改定と安保条約そのものに反対する学生らの街頭行動が,国会前で警察と衝突したのである.今日の日本とアメリカの関係の基本はこのとき成立したといってよい.
 こちらはそれを思い起こしながら,大阪駅前での宣伝活動にいってきた.この活動は,もともとは2010年の御堂筋デモがはじまりである.そして,今では各地で行われている生活の党の勝手連的な応援行動である.生活の党の人,サポーターの人,検察や司法のあまりの酷さに言わずにはいられないという人,安倍内閣に言いたいという人,いろいろである.この日にかぎって雨になったが,10人ほどが集まり,ビルの軒端で行動を続けた.
 こちらは,思想的には,理念をもって生きるという,バディウの「仮説としての共産主義」に親しみを覚えるものであり,どちらかと言えば左翼である.また議会内だけで何ごとかがすべてできると考えるわけでもない.一方で,今日の世界の最も主要な矛盾が,1%と99%の矛盾であると考える.いいかえれば,多国籍大企業の経済が第一か,人々の生活が第一かである.そして99%の人々は,内部にいろんな意見の違いや利害の矛盾はあっても,1%に対するときは団結し統一しなければならないと考える.このような立場から,私は議会内においては「国民の生活を第一とする」という党を支援する.手の届くところで可能な行動をする,これが私がこの街頭行動に出かける理由である.思っただけではなく,実際に体を動かす.
 この党はまだ小さく関西での基盤作りもこれからである.みな何とかしたいものだと思いながら,毎週毎週続けている.
 生き生き箕面通信さん反戦な家づくりさんにあるように,少しずつ輪が広がっている.終わって,みなで食事.いい年をして,議論に熱中をする人もいて,こちらはそれにも加わり,小一時間を過ごしてきた.一人一人と考えは違うかもしれない.しかし,思想や政治立場で不当に弾圧された人を守り,政治弾圧を加えたものと闘い,人間の尊厳を守るという点で一致するかぎり,私もデモに加わりたい,これが御堂筋デモに行ったときの気持ちであった.歴史的に,日本の人々は,違いを乗り越え団結するということが弱かった.それだけに,それぞれの考えの違いは尊重しながら,このような観点からこれからもできることはしたいと思っている.写真は,元気なわが飲み友だち68歳の演説と,当日もらったステッカー.私も応援していることはその通りである.
 家に戻って,「対角線論法と不完全性定理」の改定の最後をつめた.2006年に最初に書いてから,いろいろ不十分なところも見つかり,この2ヶ月ほど勉強しなおした.それをまとめ,ようやく今朝HPに上げた次第.不完全性定理はあくまで数学の定理である.ここから哲学や文明批評的なことを言うことはできない.その上でしかし,ゲーデルの仕事は,数学の歴史のなかで一つの画期であった.関心をもった人の入り口にはなるだろう.青空学園の制作で次にやることも決めていてはじめなければならない.仕事の方では問題作成の締め切りも迫る.しかし,こういうことをやっている人間として,今の世に対して言うべきことを言い,なしうる行動をする,これを止めることもまた,できない.