100万人の訪問

 今日25日,青空学園数学科の玄関「青空学園数学科」に置いているカウンターが100万を超えた.先ほど確認したら,ちょうど私のときが1000000であった.この画面は保存した.続けてきたご褒美といったところである.このサイトをはじめたのは1999年8月27日.夏の終わりの頃,間もなく14年である.14年間で100万人がここに足を運んだことになる.はじめの頃は,ある人がサイトのどこかを読んでまた玄関に戻るとカウンターが1つ上がるようになっていた.それでは実際の訪問者の数にはならないので,途中から,内部から玄関に戻ると,「青空学園数学科書庫」に戻るように変えた.私は普段は書庫の方から入り,番号を増やさないようにしている.だから100万は実際の訪問者の数に近い.はじめから書庫の方を記憶させて,そこから入る人もいるようなので,実際はもっと多いかも知れない.
 数というのは不思議なもので,100万もまた一つの数に過ぎないのだが,切りのよい数は一つの区切りとしていろいろ考えさせられる.なんでこんなことをやってきたのだろう.自問自答する.青空学園をやってきたのはなぜか.いろいろ理由はつけられるが,結構面白かったというのが,基本にある.
 その上で,まず何より,自分で考えている高校生の力になりたかった.「どうしてこんなことが言えるのだろう」「何がいちばん基本的なことなのだろう」など,いろいろ数学を勉強しながら考える高校生の力になりたい.どこかでそんなふうにやっている高校生は,少なくなったであろうことはわかるが,それでもいるはずだ.自分が高校生の時に出会っていれば,もっといろいろ考えられたであろうことを,提供したい.体系的にまとめたのは『高校数学の方法』である.ここには高校数学で必要な方法論をすべて書いている.本屋には多くの参考書が並んでいるが,原理的に,『高校数学の方法』以上の参考書はありえない.本をよく読み,自分で考え,部活動にも汗を流し,そして高校2年の秋になったら『高校数学の方法』をこつこつとやる.材料は数学IIまでの範囲でとっているので,ここで身につけた方法をもって,微積が必要ならそれは自分でやる.これで大学進学そのものはそんなに難しくない所までの力がつき,さらに大学での勉強の土台を作ることができる.玄関の言葉に「入試数学も数学であるかぎり,数学として正面から勉強するのが,結局は早道です.ひとつの問題を深く考え,その結果として多くの問題が解けるようになる,それが本当の勉強です.そんな勉強を青空学園でしよう!」と書いているのは偽らぬ気持ちである.
 もう一つは,これは自分自身の勉強そのものでもあるが,高校生に数学を教える人が,教えていることの背景にある事実や,その土台となることなどを深めたいと考えたときに,その糸口を提供するということがあった.教育の現場にいる人が18,19世紀数学の原典にまであたることは,時間的にも難しい.昔と今では書き方も違う.それで,こちらが勉強したことを,今風の書き方で再構成しておけば,それはきっと少しの役には立つだろう,と考えた.数学対話』はいわば高校生の自分と今の自分の内面の対話であり,今の私が高校時代の自分に語りかけるような感じではじめた.最初はそうだったのだが,そのうち,自分で勉強したことを自問自答しながら再構成する場にもなった.こうして『数学対話』は高校範囲から,もうすこしその先までの内容を含んでいる.それからいくつかの話題については独立して『数論初歩』や『解析基礎』にまとめておいた.今は『幾何学の精神』が進行中である.
 既成の学問体制から自分の意志で落ちこぼれてきたものとして,逆に現に存在する教育体系や教育課程から自由に,本来,高校から大学初年の年代の人が学ぶべきことをまとめる,ということでやってきた.いろいろな本の「読書会」をやってきて,見ず知らずの人と一緒に勉強できたのは,たいへん楽しいことであった.これらのメーリングリストは今も生きていて,質問を寄せる人がいる.
 いちばん伝えたいことは,数学の勉強を通して,事実の根拠を問うということを身につける,ということである.数学とは本来そのような学問であった.玄関の言葉に「根拠を問え.ここに科学がはじまる.根拠を問うとは,すべてを疑い,現象を根本において捉えることである.さらにその根拠をも問い直す.この永続運動が科学である.科学精神の復興は青空学園の願いです!」とあるとおりなのだ.こうして「高校数学を学問として学び,考える力をつける.これが,青空学園の目指すところです.しっかりと数学を学び,この時代を生きる智慧と力をつけよう! 青空学園数学科をそんなみんなの草の根数学の広場に!」との思いでやってきた.つくづくと50代のうちにある程度やっておいてよかったと思う.今,一からこれはできない.そのうえで,この間の年の功で,読みかえすといろいろ手を入れたいところが一杯ある.倦まず弛まず,未完のものを完成させ,同時に改訂作業に取り組み続けたい.
 その一方で,この20年,接する高校生の考える力は低下し続けている.こんなことを聞く子は前はいなかった,と思うこともしばしばである.近代日本の教育は,自分で考えることをせずおとなしく従う子どもを作ること,そればかりである.そして現在の日本である.このような教育体制を根本から変えてゆくことができるのかどうかはわからないが,できなければ,日本列島弧の文明はどこかで終焉を迎えるだろう.あるいは,旧体制を打破し,教育もまた,現実への批判力を育てる方向に再建されてゆくのかもしれない.たとえそうなっても,もう一度立ちあがり歩みはじめる日本列島弧の営みを見届けることができるのか.あるいは,200万回のときにまだ頭が動いているのかどうか,そもそも生きているのかどうか,それらはわからない.が,それこそ,それは歴史に任せて,今できることを続けたい.区切りの番号の折の雑感である.追伸:梅雨の中晴れの日の花.