九月の終わりに

九月の終わりの土日,忙しかった.
28日土曜日は,連合町内会の自主防災組織の30人弱で,兵庫県広域防災センターを見学した.阪神淡路の地震の後,三木市に出来た施設である.広大な敷地に,研究棟や訓練棟,そして,多くの競技場.その観覧席の下のは,毛布や食糧の備蓄倉庫.競技場は,何かあればヘリの基地であり,各地からそして各地へ物資や消防車などを派遣する基地にもなる.ずいぶん立派なものである.兵庫県は大きい県だが,三木市はその中央部にあり,しかも中国縦貫道に近いという立地でここに出来たようだ.東北の地震の際にはここから多くの物資が送られた.備蓄倉庫の納入年月があの地震以降であるのはそのためだ.
昨日は,晴れわたった秋の一日.子どもづれの人もいたが,大半は老人.一通り講義を聴いた.県の職員でもある講師は,原発のことは言わない.しかし,2000以上の活断層があり,知られていない活断層が8000ある.南海トラフでは確実にプレートが沈み込んでおり,早晩それが跳ね返る.こういう客観的な事実を話してゆく.事実として,日本は地震列島であり,しかも地震の活動期に入っている.
講義に続いて,地震の揺れを再現する車にのって実際に関東大震災の揺れを経験するとかした.また,煙の中を逃げる訓練室に入るとか,消防ポースをもって実際に水を出しての体験とか,けっこう疲れた.こちらは,東北地震の揺れを体験させてもらった.あの日,大阪ではゆっくりとした揺れが長く続いていたが,現地ではこのように激しく揺れていたのだ.阪神地震を体が覚えていて,それを思い起こしたが,揺れは東北の地震がはるかに大きい.町内で出かけてこういう経験をすることは,いいことだ.
いったいこの日本列島弧になぜ原発となったのか.東海地震東南海地震,南海地震,この数十年の間に起こる確率はそれぞれ70%といわれている.逆に起こらない確率は30%.しかしこれは連動する.いずれもが引き金になり得る.三つとも起こらない確率は0.3の3乗で,0.027ほど.つまりどれかが起こる可能性は97%.そしてこれは連動する.これが現実だ.
ところが再稼働の動きが急である.目先の経済のために,再び動かす.このままでは,まだ分からないのかという,自然の教えは不可避である.とりわけ,何かあればもうまったく取りかえしつかないのが,六カ所村の再処理工場である.日本中の原発から集めた膨大な量の使用済み核燃料をプールに保管している.その意味は言わずとも,ということである.ところが,日本の1%は「六ヶ所の稼働を急げ」という.どこまで旧体制は愚かなのかと思う.
そして今日日曜日は,大阪宣言の会の,生活の党応援行動に加わり,京都は四条河原町角で街宣.女性を含めて10数人での行動であった.京都の人はこういう活動への包容力が大きい.いろいろ話しかける人もいて,なかなか面白かった.こちらは前日の経験もあり順番で少しは喋ってきた.「徳州会を捜査する前にすることがあるだろう.なぜ東京電力を捜査しないのか」.このような活動は,持続こそが力である.2010年の11月から続いている.私も時間のあるかぎりはでようと考えている.その後,皆で食事.持続してやってきて,若い人も加わるようになってきている.
なれ寿司
こうして九月も過ぎてゆく.ところで,先週,いつもの京都の店で.川魚のなれ寿司を手に入れた.琵琶湖にそそぐ能登川の漁師が自分で採った川魚で作ったそうだ.米はもうすっかり醗酵してとろけている.そこに,魚が,これもほとんどとろけて柔らかくなって,のっている.この醗酵した米と川魚のにおいが何ともいえない.これはまさに,琵琶湖とそこにそそぐ川が生みだした風土の産物である.
来週には,またフナ寿司も手に入るようだ.故郷宇治川とその源流の琵琶湖の,かぎりない懐かしさをたたえた,なれ寿司である.うまい酒を少しだけ,今夜も味わおう.