年の瀬

 退院して1週間.少しずつ日常生活に戻っている.まだ足の力は弱い.少し体重は戻った.昨日は,JR芦屋駅の広場まで,しめ縄を買いにいった.教え子のS君から買うためである.彼との出会いは「28年ぶり」に書いた.以来毎年,年末に会う.入院していたことをいう.「僕も入院したよ.脊椎狭窄で手術をした」.彼はいまはバスの運転手が日頃の仕事.「それは職業病やな.もう来年は50歳になるんだろう」.「そう.それで先生は」「こちらは肺炎」などなど,昔と変わらない口ぶりでお互い今年のことを言いあう.「それではまた来年,いいお年を」と別れたが,互いに入院を経験すると,この言葉にもいささかの感慨がこもる.
 年の瀬,沖縄県知事辺野古承認までは想定の範囲内であったが,安倍首相の靖国参拝は,思わなかった.アメリカがいろんな回路で靖国参拝に反対であることを表明してきたので,それはしないだろうと思っていた.かつて,岸首相は安保条約の改定を行ったのに,まもなく首相を辞任した.岸首相には,憲法改定など戦後の体制,いわゆるヤルタポツダム体制を変えようとする指向があり,そのゆえに首相を続けられなかった.
 安倍もまた同じ指向を現した.もっとも岸首相のときと今とではアメリカの力がまったく異なる.今,アメリカは中国なしには存在しえない.中国がアメリカ国債を手放す動きに出れば,アメリカ経済は崩壊する.その中国も,いつバブルがはじけるかというきわどいところにいる.アメリカと中国,それぞれが経済が崩れるぎりぎりのところで,互いに支えあっている.そこに,安倍のこの行動である.アメリカの力は落ちたが,ぎりぎりのところにいることも確かで,それだけに安倍のこの行動には反対である.
 辺野古沖を埋め立て米軍基地を作る.誰が何のために.アメリカ自体はもう沖縄には遊撃部隊のみを置き,大半はグアムに戻るのが基本である.それを,辺野古の基地を提供し,必死に日本に米軍を引き留めようとしているのが,日本の旧体制である.日本政府は,アメリカが「辺野古に基地を作って普天間の部隊が移動できるようにしてくれないと,海兵隊を日本から撤退させる」と脅すのに押され,辺野古の基地建設を進めようとしている.
 このようにアメリカに従属することで存在してきた日本の旧体制とその官僚制.これと今回の安倍の靖国参拝とは,本来矛盾している.この矛盾がどのように来年現れてくるのか,それはわからない.しかし,アメリカ,EUなど今日の強欲な国際資本主義体制のもとにあるところと,そして官僚資本主義の中国,ここからの退陣圧力は強まり,対米従属を続けたい旧体制のなかからもそれに呼応する動きが出てくることはまちがいない.ここには旧体制の内部矛盾がある.
 しかしさらにいえば,来年かどうかは別にして,長期的にみるなら,米国の金融と覇権の崩壊は不可避である.旧体制の今の対米従属の努力は最終的に無駄になる.われわれはそのことをおさえて,もっと長い時間で考えて,そして今を行動しなければならない.現代はやはり,経済を第一とする時代から,人間を第一とする時代への転換期であり,これは必然である.この転換は激動であるが,しかしいかに紆余曲折を経ても,新しい時代は来る.来なければならない.いや,われわれが作り出さなければならない.
 という年の瀬の偶感である.年末に書くことの中味は昨年の「行く年来る年」とあまり変わらない.昨年の第二の立場=旧体制の内部矛盾が顕在化した.また,大きな転換にむけて、深い矛盾が蓄積された1年であることは確かだ.
 最後になりましたが,今年「青空学園だより」や青空学園各サイトに足を運んでいただいた方々に心から感謝します.また,入院に際して励ましの言葉をいただいた方々にもあらためて感謝申し上げます。皆さん,よいお年をお迎えください.