映画『標的の村』を観る

 昨日は,夜の7時から神戸市長田区の新長田勤労市民センターで開かれた,映画『標的の村』の上映会に二人で参加してきた.百二十人程の席が満席.午後2時の上映の時は椅子が足りず追加して並べたとか.映画がはじまるまでは三線(さんしん)の演奏が
 この映画の公式サイトは『標的の村』,またこの映画を制作したのは琉球朝日放送で,このなかの『標的の村 国に訴えられた東村・高江の住民たち』には何回かテレビ報道番組として放映され、それが映画となった経過ものっている.ここにあるように,この映画のもともとは,高江の闘いや普天間ゲート封鎖を伝えた沖縄地方テレビ局・琉球朝日放送の報道番組である.それはYouTube『標的の村』で観られる.このドキュメンタリーはいくつかの賞を取ったりして,地元では高く評価されていたが,沖縄以外のところのテレビ局はこれを一切無視.本土ではまったく放映されなかった.この映画を作るに至った経過を監督の三上智恵さんの一文をぜひ読んでほしい.YouTubeなどで話題となり,それが回覧されて広がったことなど,今風である.こうして,報道番組が映画にまとめ編集された.これがいまも上映運動が続く映画『標的の村』である.上記サイトからの一部引用.

 2012年9月29日。沖縄の怒りが普天間基地のゲートを完全封鎖した。67年の歴史上かつてない出来事。真っ先に身を投げ出して座り込んだのは沖縄戦を知る世代の人々だった…。オスプレイの着陸帯が自宅のそばに建設されると聞いて座り込んで反対した沖縄県東村・高江の住民たち。すると「通行妨害」で訴えられた。国が国策に反対する住民を訴える前代未聞の裁判。高江はベトナム戦当時、襲撃訓練用の「ベトナム村」で住民役をさせられるなど常に戦争の訓練に巻き込まれてきた。「我々はいつまで標的にされるのか」。復帰40年、その怒りはオスプレイ配備で全県に広がり、怒りの普天間封鎖へと発展していく。

 映画は沖縄の端的な現実を伝える.明確になるのは,ベトナム戦争以降のアメリカという国家が,いかに倫理的に崩壊をしているか.そしてそれにひたすら従属する日本政府とその出先の防衛施設局がいかに醜い存在であるか.それに対して,この現実の中で,人間としての生活を守るために闘う人々の,粘り強さとしたたかさ,そこから生まれる尊厳.この対比.
この映画から,沖縄の戦後六〇年が照らし出す日本の戦後政治の有り様を明確に読み取ることができる.戦後間もなく,沖縄をアメリカに売り渡し生き延びた日本官僚機構.それが原子力村を形成し日本本土では原発を作り続け福島の核惨事に至る.一方,原子力村は,自分たちの後ろ盾と考えるアメリカ軍を引き留めるために基地を提供,沖縄の人々を今日まで一貫してふみにじってきた.まったく,このような体制を存続させることは,人間と地球に対する冒涜である.
 この体制をひっくり返す.いかに時間がかかり紆余曲折を経ようとも,人間がこの地上にあることの意味を失わないために,この映画が映し出す日本という国家の現実を土台から変えねばならない.原子力村の解体.駐留米軍の追放.すべての基地の奪還.それは人間の尊厳をかけた闘いであり,この闘いのなかで人間もまた甦る.この点において沖縄の人々の闘いは,日本のそれぞれの場での一人一人の闘いと一体である.そして,沖縄の未来は,奪いかえした基地の跡を整備し,東アジア交易の拠点としての末永い繁栄の基礎をつくるところにしかない.それはまた,われわれ自身の課題でもある.目取真俊さんのブログ『海鳴りの島から』を見ると,高江では新しい動きがあったようだ.映画を観て目取真さんの報告を読むと臨場感が違う.
 この日の上映会を主催したのは妻の友人.二人は50歳で大学院に社会人入学し臨床心理士になった同期生,私の尊敬する人たち.その彼女は主催者あいさつで,昨年12月にこの映画を予備知識なしに見て衝撃を受けたと語る.自分のこれまでの生き方が問われていると思ったと語る.それで,一人でも多くの人に見てもらいたいと上映会を主催した.今日16日は阪急六甲駅すぐのところにある神戸学生センターでもある.また上映スケジュールにあるように,これからもこのような上映会は全国で開かれてゆく.ぜひ機会を捉えて観てほしい.
 帰りはJR三宮で降りていつもの飲み屋.入院の4,5日前に来て以来である.前に来たときは一合の酒が飲みきれず残した,などなど話をしながら,二人で夕食をとり,阪急に乗り換えて戻ってきた.このような上映会を開かれた知人に感謝する.
 追伸:17日夕方,今年初めてのツルニチニチソウの花.道ばたの金網の下で夕日を受けて咲いてきた。