三月下旬

早いもので,三月も末になってきた.今年は昨年より少し春が遅いようである.というか昨年の春が暖かでそれが夏まで続き,夏の暑さが体にこたえたのだ.今年も家の車を置いている横のハクモクレンが満開になった.これは,阪神地震の後数年間,西宮市が希望する家に無償で配った苗木が育ったものだ.多くの家が倒壊し,また多くの家が半壊した.更地も増え緑が少なくなり,そこでいくつかの種類の苗木が配布された.この家に越してきたとき,古道具屋で大きな瓶を見つけ,そこに水を満たして,いまは車庫の横に置いている.そこでメダカを飼い,その横にこのハクモクレンがある.この一角だけはすこし風情がある.昨年は20日前後に満開になったが,今年は25日.その写真である.
四週間は早い.昨日は退院後三回目の通院診察の日.血液検査ではHbA1cの値が0.2少なくなり,血糖値も基準内に収まった.ステロイドを飲みながら,これらの数値を下げるために,この間毎日1時間は歩くようにしてきた.歩数で6000歩,これを続けることで,数値が減少する方向は出てきた.そこで,今日からプレニドロンは1錠.5mgということになった.昨年からの入院とその後の療養はほんとうにいろいろと勉強になった.油断せずに時間のあるときには歩いていきたい.
いま開かれているサミットが次のG8でロシアを追放,G7に戻る.これはお笑いである.すでにG8自体がもう役割を終えている.G8等は,アメリカ主導で,国際金融資本つまりは1%の側が,99%の側を支配し収奪するための枠組であった.しかしアメリカの没落にあわせて,G8にはほとんど実質的な力は残っていない.ウクライナ問題でのこの間の一連の動きは,アメリカやイギリスといった旧来の資本主義大国が,もはや国際問題を調整する力を失っているということを誰の目にも明らかにした.G7は世界の三分の一に影響力をもち,上海機構やBRICS諸国が過半に影響力を持つようになっている.BRICS諸国を入れたG20のようなより大きな枠組がとりあえずはつくられ,ロシア外相は余裕たっぷりにそれがあるからG8に参加しなくても関係ないと発言している.このようにG20で国際的な問題を協議するということは,これからもおこなわれる.
世界は多極化しているといわれる.それは確かにそうなのであるが,多極化するということは,混沌が深まるということでしかない.G20の時代になってもやはり世界は混沌のままである.なぜか.G20といい,BRICS諸国といい,それらの概念はやはり経済を第一にするものであるからだ.歴史は経済を第一とする時代から次の時代,私はそれを人間原理を第一とする時代と考えるのであるが,その段階への展開を求めている.経済第一でやっているかぎり,どんな枠組みを作っても混迷と混沌である.それを端的に示すのが,台湾の動きである.台湾全土から抗議の市民が集結して,立法院を占拠.遂に占拠運動は台湾におよんだ.それは中国との不平等な経済協定に反対するものであり,「民意無視の推進は許されない」と怒りが爆発したのである.岩上さんのところのジャーナルがこの動きを現地から伝えている
台湾の占拠運動では,中国の大企業自体が新自由主義の強欲な資本主義企業とされているのだ.1%の側と見なされている.そしてそれは事実である.BRICSの企業であるかどうかの問題ではない.またウクライナでも,EUアメリカ対ロシアという対立を越えて,新しい占拠運動に広がる芽があちこちにあるようであるし,日本においても占拠運動が深く広がるところに来ているかも知れない.人間原理を第一とする世の在り方のその形はまだ見えない.しかし歴史が要求することは必ず現実になる.同時にそれはまた激動なくしてありえない.春,激動を予感させる春.春の嵐の予感.
追伸:天木直人さんが今日のメールマガジンで書いておられる.「国際政治の大激動の幕開けと、その激流に沈みゆく日本。その深刻な現実から目をそらせ国民に真実を知らせようとしないこの国のメディア。今度の核・安保サミットが教えてくれたのはまさしくその事である」と.それはその通りである.政治的にも経済的にもアメリカよりも先に没落する日本.そのとおりであるがしかし,これは逆に見ればいいことである.経済を第一とする世界政治の中で日本は没落する.そして,そのところで新しい政治を生みだすしかない.人間を第一とし,国民の生活を第一とし,沖縄,福島の問題を第一とする政治を生みだすしかない.その岐路にわれわれは立っている.