原発一揆

追伸:次の報告を見つけた.「高橋清隆の文書館」より紹介.<亀井静香氏は6日、広島県世羅町で開かれた衆院選の決起大会で、「ハゲタカが皆さんの年金をアメリカに運んでいる」と安倍政権による年金運用策を批判した。>.まったくそうである.アベノミクスは年金の資金を株に投入し株価をつり上げ国際金融同盟を儲けさせ彼らにカネを貢ぐ政策である.そのあげくに日本が失敗国家に陥り年金を激減されたとき,はじめてこの亀井さんの言葉を思い出しても,手遅れである.愚かなことは二回やらないと教訓として根づかないのか.
 ネットで読める二つの記事に心を動かされた.一つはこれは「人民新聞」1533号(2014/12/6更新)に載った記事「東電・国は大損害をつぐなえ」である.編集部のリードに次のようににある.

 福島報告の第1弾は、「希望の牧場ふくしま」代表・吉沢正巳さんのインタビューとする。希望の牧場は、事故原発から14?、居住制限区域と帰還困難区域の境界線上にある。牧場の入口が居住制限区域のため、かろうじて出入りできるという高線量地域だ。線量計の数値は、空間線量が2〜3μSv/時、雑草や木が生えている表面汚染は12Bq/平方cmを示した場所もあった。
 吉沢さんは、家畜全頭殺処分に抗いながら居住制限区域の農場で寝泊まりしている。水素爆発を間近で見た吉沢さんは、3日後に東電本社に乗り込み、抗議をしたという。経済価値としてはゼロとなった牛300頭を生かし続けるために移動が禁止されている汚染牧草をかき集める日々だ。

この記事の最後に次の一文がある.

 国にとって汚染された牛たちは邪魔者であり、県は「汚染牛が生き続けることは、福島の畜産再建にとって障害になる」と言っている。だから全頭殺処分を指示し、立ち入りも報道の自由も禁止した。そんな所に俺たちは勝手に住んで牛を飼い、移動が禁止されている汚染された牧草を運び込んでいる。やること全てが反政府的行為だ。だから、この牧場のスローガンは、「治外法権牧場」。
 もうひとつは、「原発一揆」。放射能事故で無茶苦茶にされた俺たちは、原発一揆の先頭に立たなければならないと思っている。国民の実力によって原発の時代を乗り越える連帯運動を、本気で広く深くやらなければならない。実力によって民意を見せつけるしか、原発時代への逆戻りを阻止することはできないだろう。
 俺は、己の人生テーマとして3・11後を背負うことを決めた。体を張って、本気で闘う姿には、多くの人の理解や共感が生まれると信じている。今回の震災と原発事故でそういう人がたくさん生まれた。若い人たちにそういう姿を見せて、「一緒に考えよう、行動しよう」と呼びかけたい。

 これを読んできて「俺は、己の人生テーマとして3・11後を背負うことを決めた。」という言葉に,長く立ち止まってしまった.実は日本列島・琉球列島に住むものは皆否応なく「3・11後を背負う」ことを強いられている.しかしまだまだ多くの人はその事実から目を背け考えないようにして日々を送る.テレビも新聞もそうするように仕向ける.しかし,そうしても核汚染の現実から逃れることはできない.実際に核汚染された牛を飼い続ける吉沢さんの生き方は,壮絶である.私はこの青空学園だよりに書いたことを元に『震災以降』としてまとめはじめているが,それぞれが自分の震災以降を考えなければならないのだ.
 もう一つは琉球新報12月7日の記事「福島,沖縄は捨て石」である.政治にも無関心であった福島の女性が,沖縄に避難し,その生活を通して「約70年前の戦争で日本本土を守るため、捨て石にされた沖縄は戦場になった。『今も政府は基地を押し付けている』。無関心で済まされない現実を目の当たりにし、次第に政治への関心を抱くようになった。」と記事にある.そして記事は次のように締めくくる.

 原発、基地をめぐる問題にはいずれも命が関わる。女性は避難者や基地に苦しむ国民がアベノミクスや消費税増税の議論の影に隠れていると感じる。景気回復の実感もない。基地問題の公約を重視して今回投票するつもりだ。
 衆院選中の10日、特定秘密保護法が施行される。国民の命に関わる情報に「秘密」の網がかけられないかと懸念する。「多くの国民が声を上げると、権力者は自分勝手に動きにくい。だから政治への関心が高まらないように、権力者が仕向けていると勘繰ってしまう。私たち有権者が関心を持ち、1票を投じることは大切だ」

 原発一揆,その通りだと思う.その方法はいろいろある.選挙もまたその一つだ.琉球新報が言うように,300議席確定などと言う大手新聞に惑わされず,原発問題や集団的自衛権問題を軸にその人や政党が事実どのように行動してきたかを調べ,必要なら選挙事務所にも聞いて,そして現実を動かす方向で選挙をする.あべNOデモの彼らも,選挙に行こうと呼びかけていた.金曜行動もささやかではあれ一揆である.また,10日には秘密保護法が施行される.このとき内部告発一揆である.ウィキリークスは現代の一揆である.
 江戸時代末期の1866年(慶応2年5月1日(旧暦))に,私の地元西宮で主婦達が起こした米穀商への抗議行動をきっかけに起きた一揆は,たちまち伊丹・兵庫などに飛び火し,13日には大坂市内でも打ちこわしが発生した.「大坂十里四方ハ一揆おからさる所なし」(『幕末珎事集』)となっていった.それから二年後,幕府は倒れる.わずか,百五十年前のことである.吉沢さんの「国民の実力によって原発の時代を乗り越える連帯運動を、本気で広く深くやらなければならない。実力によって民意を見せつけるしか、原発時代への逆戻りを阻止することはできないだろう。」という言葉は,重い.しかしまたここには希望もある.
 写真は用水路脇の紅葉.晩秋から冬へのうつろいを感じる夕方.