どんど焼き

 どんど焼き,これは年中行事である.一月の十五日は松の内が終わる日.この日に正月の飾りもの,祝い箸などを燃やす.昼前,雨が上がったので越木岩神社にもっていった.去年のこの日は,退院してまだ一ヶ月にもならないときであった.ようやくに回復したことを実感しながらであった.今日は,去年より体力も戻っているので,その代わりに仕事が混んで坐りすぎて腰が痛いので,運動をかねて越木岩神社拝殿の裏山にあるご神体である甑岩まで参ってきた.写真のように大きな岩である.大阪城の石垣に切り出そうとしたが,煙が出て人が倒れ切り出せなかったという言い伝えがある.この岩自体は,古くからあり,室町時代に歌にも詠われている.毎年この日のことは書いてきた.2010年2012年2013年,そして2014年このような日記はそのときどきの自分を逆に照らし出すのかも知れない.
 このあたり,瀬戸内から北へ六甲山への麓の丘陵地帯は,縄文時代から人が住み,弥生時代の遺跡もいくつかある.神社を取りまく林は,原生林である.冬も葉を落とさない常緑の林である.そこをめぐってきた.このようなところに神社を置き,その自然を守り,その力への畏怖をいだき,身近なものの安寧,世の平安を願って,手をあわせる.この地で営々と人は祈りとともに生活し,そして命をつないできた.わが家の正月の雑煮は,前に書いたように,かしら芋と白味噌である.芋はおそらく東南アジアから照葉樹林地帯に伝わり,そして水田耕作と麹の文化が白味噌となった.正月は,このように伝えられてきた文明とそのもとでの文化を思い起こすときなのだ.このような風土とそれに根ざした文化こそ,われわれの生の根拠であるのかも知れない.このようなところにこそ,つぎの時代をつくってゆく拠点があるのかも知れない.
 先日の佐賀県知事選挙をよく見てみると,やはりここでもどこかで,このような伝統的な生き方とそれに根ざした人々の,それを否定するものへの拒否がある.これは沖縄知事選挙でもそうであった.それを否定するもの,それが固有性を否定することで金儲けをしてきた国際的金融資本とその力である.原発を動かし農協を解体し貨幣を実体経済の裏づけなく増刷する.もう10兆円を越える年金資産が株価維持に使われ消えたという試算もある.国を破るもの,それがいまの安倍政権の中味である.日本国もまた,大きく二つに分岐してきている.国破れても,何とかこの越木岩神社のような山河は守りたい.このような山河を守ろうとするところに,カネカネカネの世を変えてゆく根拠があるのかも知れない.歩きまわりながらそんなことごとを考えていた.