雨の日の金曜行動など

金曜日,夕方には雨も上がり,今日は行いますとの主催者の告知もネットに流れ出かけた.日本の政治が,政権側の様々なところでの破綻の表面化と,その一方で,戦争法案に反対する若い人らの行動のはじまりと老壮青の結びつきなど,矛盾の深まりと転換期を担う主体の出現という歴史がいま進んでいる.老人ももう一踏ん張りというわけである.ついてみなで声をあげはじめたら激しい雨.傘を差しながらの金曜行動であった.
それでも雨は降ったり止んだりで,雨にぬれたアガパンサスの花のきれいなこと.思わず見とれて撮す.これも歴史の一情景である.最近,この時代を生きるわれわれの理念はどういうことになるのだろうと考えている.
かの戦争と核惨事を教訓とするわれわれの理念 日本列島弧,琉球列島弧の現代の問題は,経済原理から人間原理への転換の時代という普遍的な問題の,固有な現われである.普遍的な問題おへの理念を共有して,その下で固有の歴史性のある理念を互いに尊重し,共に生きることが,この時代を人として生きる条件である.
軍事力が力ではない.大義とその下に団結する人々の力,これが本当の力である.これを欠いた帝国アメリカは衰退過程に入っている.これに対して,第九条は軍事力に頼らない道を示している.物質的繁栄よりも人間の尊厳を第一とし,人々の心を一つにした力を背景に道理をもって内外政治をおこなう.生産第一主義,物質万能主義,拝金主義,弱肉強食の世ではなく,人間性の豊かさと人間の尊厳と人間としての連帯と共生,ここに道がある.これが日本国憲法第九条の精神である.この精神は今こそ新しい.
天賦人権・人格互敬 この意味は,人間が人間であることは,世俗の法以前の,より原理的で原則的な事実であり,価値であり,尊厳であるということである.そして,そのような人間として,互いに敬い,助けあい力をあわせてゆくということである.基本的人権としての,生活の保障,仕事の保障,そして思想信条の自由.これを互いに尊重し互いの人格を敬う世をめざす.
一方,国家はあくまで手段としての組織である.目的ではない.人々を戦争に駆り立てるとき,その方法として,民族主義の側もまた国家を前面におしだす.戦争は政治の一環であり,国家を手段とする政治であり,その戦争の根底には,この八百年,経済拡大という隠された目的があった.そしてまた,人間は経済のための資源でもない.人間を手段や方法,資源とする思想に反対し,人間そのものを価値の基礎とする.人間の言葉や文化をかぎりなく尊重する.これがこの理念の意味である.
人間平等・人民協和 人間は性や人種で差別されない.資本主義が終焉期を迎えるなかで,これを延命させるために,人種差別的国家主義が台頭する.二〇一二〜五年と続いた日本の安倍政権は,世界に広がったこの右翼潮流が国家権力を握った政権であった.この下で,日本社会には排外主義が一定の広がりを見せた.われわれはこれに反対する.
そして,日本の地域・職場の相互扶助である.人々は地域においても職場においても分断されている.人民は協和しなければならない.これを第一として,そのうえで国家のあり方について,議論し共有しうる形態を見出す.
万物共生・原発廃炉 生きとし生けるもの,山水はみな人と共に生きる.人間にとって,山河の意味は,福島でこれを失うことによって,逆に大きくなった.人間はこの地球上にある生き物であり,その点において,山河草木,魑魅魍魎,生きとし生きるものみな仲間である.
この人間のあり方を伝えるために,原発廃炉や遺伝子組み換え食品の禁止は必要な条件である.農薬もまたそれに頼ることはできない.様々の食品添加物もまた,可能なかぎり使用をおさえる.かつて,日本の僧,道元は「而今の山水は,古佛の道現成なり.ともに法位に住して,究盡の功徳を成ぜり.」と『正法眼蔵』「山水経」のなかに述べた.この心は今こそ新しい.
専守防衛戦争放棄 人間にとって協働して生きることは本質である。しかし,国家そのものは一つの方法であり手段であって、目的ではない。この八百年は経済を第一とする時代であるが、それは同時に政治的には国家を支配の第一の方法とする時代でもあった。国家を第一とするかぎり、政治問題の最後の解決の方法は戦争である。
われわれは、国家に国家に絡めとられる以前の人間の尊厳とその関係を第一とする。その結果また、戦争という方法を永遠に放棄する。この原則のもと、現実に国家が存在し、われわれもまたある国家に属する以上,一定の国家としての力は必要である。したがって,防衛に必要な力のみを保持する。これが第九条の土台にある思想である。そして、憲法第九条の思想を、日本国とどめず普遍的な原理とする観点から、外国軍の駐留を、この憲法のおよぶ範囲において一切認めない。-------
そして昨日は高校の同窓会に参加するため,大阪は天王寺に出かけてきた.地下鉄を出て地上に上がって驚いた.ここはどこだと思わず思う.写真のような超高層ビルができてそれにともなう再開発で,阿倍野交差点の辺りは様変わりである.十年ほど前まではよく天王寺に出る用事もあったが,その頃はまだ,この辺は昔と変わらんなあと思うところであった.ところが昨日は,昔の天王寺から見れば全く違う世界.阿倍野の交差点に円形の陸橋が出来ている.そこに上がって四方を見つめようやく昔の地図と頭の中で重なった.
先日の中学の同窓会,昨日の高校の同窓会と出かけたのは,一つわけがある.私は押入に段ボール箱をいくつか入れていて,「死んだら棄てろ」と言ってあった.しかし考えると,こんなもの残されたら遺品だし棄てにくかろうと,昨年だったか,それを開けて中を再点検した.そうしたら,中学校の体育祭のときなどの手拭二本,高校の創立何年と書かれた手拭一本が出てきた.自分でもっていてもと,それぞれの同窓会に出て,みなに見せ,同窓会の事務局に預けてきた.
それぞれこんなのよく残っていましたねと受け取ってくれた.昨日は,来年が創立の節目の年なのでこれも飾らせてもらうと言っていただいた.自分で始末しておこうと箱を空けたおかげで,これを再発見.半世紀も前の手拭である.見つけたときは棄てるのも惜しいしどうしようかと思ったのだが,同窓会に預けることができ,これで肩の荷がおりたというわけである.二十年ほど土曜日に授業を入れていたのでなかなか同窓会には出られなかった.三年前から土曜は空けることにしたので,これからも行けるときは出席することにしよう.