二月

二月である.旧暦の二月は如月であり,早春の時節であるが,新暦の二月は冬籠もりの時節である.東北の地震の起こる少し前に「冬籠もり」を書いた.そこでは「毎年この時期は私の冬籠もりである.」と書いた.実際これまでこの時節は授業も少なく書斎に籠もることが多かったのだが,今年はなかなか籠もれない.地元自治会でやることが多い.それはそれで大切なことであり,地縁を大切にした人のつながりを,このような近代の果てに模索することは,こちらとしても面白い.いろいろやっていることを,少し高見から意味づけながら,人を動かし,またいろんな人と動いてゆく.
授業もいろいろやっているし,問題づくりの原稿仕事もいくつかある.そして,少なくともこれはまとめておきたいということが少しづつ形になってくるので,それを書いて自分のサイトにあげてゆきたい.今は『解析基礎』に複素函数論の基礎構造と言うべきことを書きたそうとしている.昨年中にと思いながらできず,春を超えるだろう.『震災以降』はまだまだ荒いので,これも書き直したい.等々ある.いずれも次代への遺言なので,やらねばならない.
一昨日は,京大時代の数学科の同級生が昨年五月になくなっていたことを知った.私と彼は同じ西宮市に住んでいたが,昔ちらっと見た以外なかなか出会わず,ようやく数年前,夙川遊歩道を散歩していて出会った.彼は大学卒業後,仕事を通して臨床統計の分野を研究するようになり,出会った頃は大阪大学臨床医工学融合研究教育センターの教授を務めていた.仕事の中で数学に再会したということを聞いて,心を動かされたのを覚えている.彼とは以降,年に1,2度は散歩で出会ったり,電車で一緒になったりした.電車の中で臨床統計の話しをいろいろ聞かせてくれたのが懐かしい.年賀状の交換もしてきたが,今年は来ず,どうしたのか心配で,一度隣の町内にある彼の自宅に行ってみようかと考えたいた矢先,夫人から,「昨年5月に、癌により逝去いたしました」との葉書をもらった.
彼はそれでもやることをやっていった.兵庫県北部の豊岡高校の出で北国の粘りのある人だった.理学部2回生のときの文集が今もあるが,彼が故郷豊岡のことを書き,私が故郷宇治のことを書いている.彼と違い私はまだやることをやっていない,昨日電車の中でつくづくそう思った.
この青空学園だよりであるが,関電前の定例行動は昨年末で終わりその報告はなくなった.集会などに出かけたときは報告したいが,なかなか時間がないのと,出かけることに対して,地元に腰を据えることもまた同じように大切であることもわかってきたので,いろいろ出歩くこということは少なくなりそうである.ということで,この青空学園だよりの更新もゆっくりになるが,ここに書いておくと,記録としても,また自分で見返すという点からも,意味があるので,ここにいて考えたことごとを中心に,続けるつもりではある.
追伸三日:今日は節分。いわしの頭をひいらぎにさして裏口につるした。