旧友に会う

 昨日は、高校から京大理学部まで一緒だった友人と再会,数時間,つのる思いを語りあった.「追悼,亀井豊永君」を東北地震の少し前に書いた.そこにも書いているように,1966年に同じ大阪学芸大附属高校から京大理学部に3人で進学した.そのうちのもう一人が彼である.彼とは,私が党派活動に破れこれからどうするか考えていた94年頃に再会し,そしてあの阪神地震のときに無事かどうかを確かめるために電話をかけて来てくれた.96年頃だったと思うが,今回と同じ事務所に行ったこともある.が,それ以来,手紙のやりとりと同窓会で顔をあわせた以外は会っていなかった.それがこのたび連絡をとって,本当にひさしぶりに会った.彼は亀井君が亡くなったのを知らなかった.そんなことだろうと荒木先生にいただいたPDFの追討文集を渡した.
 卒業写真にも載っているが,彼とは高校時代「数学同好会」をつくり、2人の教師と4人で『群論入門』(倍風館)のような本を読んできた.彼は,こちらがあっと思うような解法を普通に述べたり,高3になる春休みには,いまならパソコンですぐに曲線が描けるようないろいろな3次曲線などを,点の位置を手計算して描いて新学期に見せてくれた.高校3年の夏は七月に何か英語の本を読んでばかりいる.そうしたら夏休みの間ほぼ一月高校に泊まり込んでその本をもとに物理の光の回折に関する実験に明け暮れていた.先日,押入の段ボール箱を整理していたらそのときの彼のガリ版刷りの分厚いレポートが出てきた.それもあって,これはいちど会わねばと考えた.
 高校生を指導する立場からいえば,あれで現役合格したのだから,彼はすごい地力のある高校生だった.高校時代に何ごとも自分で考えるということがほんとうに身についていれば,いわゆる受験勉強をそんなにする必要はない.このことが『勉強のすすめ』などの話しの根拠の一つになっている.彼は京大では最初山岳部に入り,しばらくして背広姿で授業に現われ,どうしたのだというと探検部にかわって,探検のための資金集めで企業なども回るとかいっていた.そして2回生〜4回生の頃南米パタゴニアを探検した.帰りの船で日本の情勢を聞いて,居ても立ってもいられない気持ちなったのだろう,戻ってからすぐに,もう終わりかけていた大学闘争に飛び込み,結局大学を中退,その後,関西空港反対運動で淡路島に住み込み,それからある党派の専従活動家になり,今日に至っている.その党派の機関紙は1974年の党派創設以来一号も欠かさず私のところに届いている.
 この20年近く私が青空学園数学科をやってきたのは,高校のときに彼とやっていた数学同好会の続きである.彼と一緒にした高校時代の数学の勉強と,その後私がいわゆる底辺校で数学を教えた経験と,それをもとに高校数学をもう少し掘り下げ,18〜19世紀の古典的な論文を再構成して,この20年,青空学園を書きながら,仕事もしてきた.私自身,かつてはもういちど数学をやるとは思ってもいなかったが,再び高校生に数学を教えるようになって高校時代の記憶がよみがえり,こんなとき彼ならどのように解くだろうなどど考えたことも何度かある.
 このようにこちらが好きなことをして生活できて来たのは,実は彼との出会いが大きい.その話を昨日は高校時代のいろいろな思い出とともに話した.彼と教師のやりとりを横で聞いていたこちらが覚えていることも,彼はほとんど何も覚えてはいなかった.彼の方は,党派の活動家とはいえ,生活と活動のために仕事をし,それに時間も費やしてきた.こちらもそのような党派の経済活動の経験があり,その苦労はよくわかる.それもまた共通の話題であった.
 会ってはじめて聞いたのだが,彼は数年前大腸癌で,医者にかかるのが一ヶ月遅かったらもうまったく手遅れかというほどの状態で,それでも手術して九死に一生を得た.その後再発していないのでなんとか一段落ということだった.これは知らなかった.こちらも二年前,突発性器質化肺炎を何とか生き延びた.その話しもした.互いに大病し生き延びたのは本当に不思議である.お互いそれを知らなかった.まあそれにしても,お互いこのような人生は,まったくあの時代の産物であることを確認した.
 その上で,しかし,である.私は,今,世の変革に党という組織が必要なのかどうか,それを考えている.前にも書いたが,その時代の情報手段はその時代の世の変革運動のあり方を決める.西洋にも印刷技術が伝わり,聖書を皆が読めるようになって,それがいわゆる宗教革命を生みだしたことはよく知られている.レーニンの時代,つまりはロシア革命の時代,情報手段は輪転機等による大量印刷と鉄道網であった.この情報技術に対応するのが党組織である.情報の伝達は党員の移動でもたらされる.また,輪転機で印刷したものを大量に配布した.日本の共産党新左翼諸党派も,その他のさまざまの党派も,このレーニンの時代に生みだされた党組織と機関紙という手段を基本にしている.
 今はその時代か? 私は自分自身の問題としてこれを理論的に解きほぐしたいと考えてきた.まだ何も出来ていない.人間にとって,言葉と言葉による協働が,存在の基本である.人間とは,言葉によって力をあわせて働く生命である.そこではつねにさまざまの組織が生みだされてきた.だから,今は組織党の時代かという問いは,変革のための組織は今日の条件の下でどのように現実化するのか,という問題でもある.そしてこれは机上の論ではなく実践の問題である.今の私にできることは知れている.
 彼は今の活動を続けるといっていた.私も,自分のこの問題を考え続ける.それぞれ,生涯をかけて歴史的な問題に対して試行錯誤する.歴史的な問題とは,資本主義が終焉にむかうときに,資本主義をこえる時代のあり方,その組織はいかにあるのかということだが,この問題に対して異なる立ち位置から試行錯誤する.それを互いに認めあい,これからもときどき会って意見を交換したい.自分自身の来し方を振りかえるいい機会ともなった.本当の旧友とはこういうものであると実感する.