夏の盛りに

 6日と7日は地元の夏祭り.6日は授業があり,朝から準備を手伝うだけであったが,7日は,まず朝の7時半から地元の公園の掃除をし,それを済ませて戻り一休みして,夕方から最後までつきあった.こちらの分担もあり,あいまに年にいちど顔をあわす人らとあいさつもする.去年も書いたがこの地域には寺や神社があるわけではないので,主催するのは,小学校区内の自治会やその他いろいろな組織で作る実行委員会.小学校に隣接する公園の広場で毎年やっている.
 この公園は大正時代に大阪の商人によって開発された.かつては撮影場や旅館もあったが,昭和中期に廃れた.戦後住宅街として再開発された.大池という池があり,半分埋め立てて小学校にしたのだが,半分は池のまま,その畔に多目的広場があり,そこが会場である.この辺りは,他にもかつて農業用のため池を再整備した池がいくつかあり,野坂昭如の小説やジブリの映画『火垂るの墓』に出てくるニテコ池も遠くない.六甲山系の地下水がこのような池を作っているのかも知れない.
 近年,住宅地としての開発が進み,阪急電車の駅から大阪へも神戸へも半時間足らずで行けるので,人気の住宅街である.集合住宅も増え,小学校も一部はプレハブ校舎でやっている.それでも自然が残っている.会場の向こう,阪急電車の両側に写真の背景となる雑木林があり,そこにイノシシも住んでいる.6日の夜ゴミを整理しなかったグループがあり,7日朝にはイノシシに食い荒らされているのが見つかった.祭りの参加者は,れぞれ3000人は来ていたようである.
 7日は,子ども神輿が街をまわって戻ってくるところからはじまる.店を出したりバザーをしたりのテントがまわりに並ぶ.とにかく子どもの参加が多い.いろいろな人が準備している.中心になっている一人は70代後半の共産党系の人.神戸の集会で出会ったりする.また,学会婦人部の活動もしている人もいる.それから,自衛隊友の会の人もいる.街の店には維新系のポスターも結構出ている.それぞれ互いに認めあって,一緒にやっている.祭りが終わってから一通りの片付けをして戻る.
 地元自治会の役員を引き受けた2013年から手伝いはじめた.夏祭りのことは,それぞれ,2013年:夏祭り,2014年:梅干しと夏祭り,2015:8月の初めに書いてきた.年中行事は同じことを同じ時節に繰り返すところに意味がある.こうしてそれぞれの時代の条件の中で,人間は生きてきたのだ.このような地域の営みは,大切なことだ.
 そのなかで時代は,いろいろなことが昨年よりもっと明確になり,動いてきた.親米売国の根なし草右翼政権が,現在の日本の政府である.これに対して従来の左翼はやはり力がない.言葉に根をもつほんとうの愛郷主義が必要である.それに関するこちらの雑誌原稿にも手を入れたい.明日からしばらくドイツ,その準備もあり,8日8時からの後片付けは人に頼んだ.旅の間,いろいろ考えてきたい.