春の気配

 節分が終わり,2月も早半ばである.植木鉢のオリーブの枝にみかんを半分に切ってさしておくと,メジロが来る.あたりを警戒しながら,みかんをつつく.2匹のときもあれば4匹のときもある.そこへヒヨドリが来て,メジロを追い払いみかんを皮ごと食べる.いまがいちばん食べ物の少ないときで,みかんでしのぎながら春を待っている.
 梅が咲き桃の花も咲き始めて春の気配を感じるこの頃であるが,今の日本政治の有り様もまた,いろいろと表に出てきた感がある.個人的には知らないが,名前や活動はよく知っている豊中市木村まこと議員が,幼稚園児に教育勅語などの「愛国教育」をする学校法人が、豊中市に小学校を作ることになり,政府が国有地を超格安で譲渡した上に,その価格を「秘密」にしていたことを追究した.表沙汰になったのは,木村議員が売買契約書類の公開請求をしていたが,財務省が公開請求に応じないため,大阪地裁に提訴したためだ.この問題がテレビや新聞でも取りあげられた.
 その内容は木村議員のブログ<豊中市内に建設中の私立小学校をめぐる疑惑>やリテラの記事<国有地疑惑の愛国小学校と安倍の関係 国有地を7分の1の値段で取得“愛国カルト小学校”の名前は「安倍晋三記念小学校」だった! 保護者にヘイト攻撃も>にまとめられている.このあたりは「航空機騒音指定区域」で伊丹空港を出入りする飛行機の音がうるさく小学校向きの土地ではないし,名神高速道路に近いという大気環境の問題もある.韓国の朴大統領が,個人的な関係の崔順実に政策を漏らしていた問題で,全国的な抗議が起こり,現在職務停止で弾劾裁判の審判待ちであるが,この豊中の事件とその背景は,韓国以上に大きな政治スキャンダルである.
 その安倍がトランプに会ってきたが,会談の中身や合意事項については,何も明らかにされていない.いいかえると公にすることのできない密約がなされたのだ.それがつまり,日本の公的年金資金をアメリカの事業に投資するということである.安倍内閣になって,GPIF(独立行政法人「年金積立金管理運用」)が,基盤整備や不動産にも投資できるようにした.そして,この間,株価を維持するために投資してきたが,それで大きな損失を出し,そのために年金の減額を決めたばかりである.
 しかしアメリカへの投資はその比ではないほど大きいものになるだろう.そして,そのような投資にもかかわらず,アメリカ産業がこれまでの方向のままであるかぎり,つまり,新自由主義のままであるかぎり,早晩再び大きな混乱に陥る.そのとき,投資された年金は紙くずになる.そんなことがありうるのかという意見もあるが,現に企業としての東芝が解体に直面している.もはや産業としては斜陽で衰退であると見ぬいたアメリカが,いくつかの原発企業を東芝におしつけ,それに東芝がのり,そのあげくに<東芝が米原発で減損7125億円、債務超過に メモリー事業売却も>ということになっている.
 しかし,今回の安倍訪米の結果,アメリカに差し出すものは東芝の比ではない.そのあげくに今度は,日本という国家の規模で,東芝と同じことが起こりかねない.帝国アメリカが日本の金融資産を吸い尽くし,それさえできなくなった段階で崩壊してゆくという歴史過程をたどるのかも知れない.安倍政治は,歴史舞台でのその猿回しとなっている.しかし,それを許しているのは,われわれだ.このままでは,孫の世代に本当に済まないことになってしまう.
 その思いから,やむにやまれぬ気持ちで,人が動きはじめる.<稲田朋美防衛相の南スーダン隠ぺい開き直り答弁に国会前で抗議デモ! 憲法を蹂躙する稲田は即刻辞任しろ!>のようにである.そのとき安倍政府は,秘密法,盗聴法,共謀罪でこれを押さえ込もうとする.しかし,それでやめるわけにはいかない.日本のアメリカ従属勢力がおこなう売国政策をとめるために,次の世代への責任を果たすために,大いに共謀しよう.
 このような問題に出会うと,いつも思い起こすのが,故郷宇治の人・山本宣治である.山本宣治のことは,これまでも書いてきた.<山本太郎の行動を支持ほぼ治癒>など.彼はまさに,日本軍国主義に対して闘いぬいた人である.一九二九年春,治安維持法改悪反対の演説をおこなう予定で草稿を準備していたが,一九二九年三月五日与党政友会の動議により強行採決され,討論できないまま可決された.そしてその夜,軍国主義者の手先となった右翼団体である七生義団の黒田保久二に刺殺された.このとき治安維持法改悪に反対したのは,山本宣治ただ一人であった.一九二八年三月一五日に続いて,一九二九年四月一六日に共産主義者への一斉弾圧があった年であり,日本軍国主義破局の道に踏み出したときであった.
 それに先立つ日,彼は全国農民組合大会で「実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ,山宣独り孤塁を守る! だが僕は淋しくない,背後には多くの大衆が支持しているから…」という有名な演説をした.宇治川西岸の小高い岡の上の墓地にはこの言葉を刻んだ碑が立ち尽くしている.
 ここは私の親戚縁者の墓も多くあるところで,私もいずれこの墓地に還るのだが,歴史はめぐる.いまわれわれは,山宣の時代と同じ所にいるのかも知れない.少なくとも,あのときの政友会といまの安倍自民党は同じことを考えている.背後であやつる官僚制はそのままである.しかしまた,あのときとの違いもある.資本主義にまだ拡大しうる余地があるのか,もはや資本主義の終焉が避けがたいのか,である.いまの条件の中で,山本宣治のこころざしを受けついでゆかねばならない.つくづくとそう思う.
 追伸:16日、咲き始めた桃の花.